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tetujin282828

Author:tetujin282828
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小さい秋を見つけに
ゲリラ的な大雨が各地を襲う中、深夜23:54発のJR快速ムーンライト信州81号は、雷雨のとどろく新宿を後にした。朝からのゲリラ雨で、終日、中央線の特急列車のダイヤグラムは乱れっぱなしだった。しかし、この夜行快速のムーンライトは、発車が込み合う中、順番待ちのため10分程度の出発の遅れがあったが、あとはすんなりと、朝もやの立ち込める早朝の白馬駅に到着した。

白馬駅から見上げた白馬連峰はガスでかすんでいた。天気予報は今日も一日中雨。山の景色は望めそうもない。
夏場の八方は今回が初めてだ。上村愛子チャンの住む町。モーグルの女神さま。ぼくにとって、唯一、チャン付けで名前を呼びたいと思っている女性。彼女は先シーズンワールドカップで総合優勝を果たした。彼女の輝く笑顔。来シーズンも活躍を期待したい。

さて、八方尾根自然探求路へのプチトレッキング。右足首の状態を見て、明日、富士山に登るかどうか決めるつもりだった。足首が痛むようなら、ここから近場の栂池自然園のハイキングに変更せざるを得ないだろう。
白馬駅のベンチでウイダーinゼリーとマックスバリューの携行食で朝食を終えたぼくは、スパッツとリュックカバーを装着して山の雨に備えた。駅前からバスに乗り、八方のバスターミナルへ。白馬の町並みは、おしゃれな店が軒を連ねている上に、いたる所に地図が表示されており、方向音痴のぼくでも迷うことはない。
7時30分のゴンドラリフトアダムの運転開始を待って、標高770mからゴンドラリフトで標高1400mの兎平まで。この兎平は、その昔、ぴょんぴょん平と呼ばれていたと思う。
兎平でアルペンクワッドリフトに乗り換え、標高1680mの黒菱平へ。気温は一気に下がり、しかも、雨が激しく降りだした。
半そでのシャツで傘をさしていたぼくは、リフト降り場でゴアテックスのレインウエアーをはおり、雨対策。同じゴアテックスの生地でも、ハイキングシューズの方は、たやすく水が浸入するが、レインウエアーの方は通気性を保ったまま、水を完全に遮断してくれ快適だ。
そして、グラートクワッドリフトに乗り、標高1830mの八方池山荘まで。
途中、リフトからぶら下げた足が伸びた草をかすめるほど、地面の近くを通る。リフトから飛び降りて、歩いて行けそうなほど。
標高1830mの八方池山荘から標高2060mの八方池までは登山道を歩く。いきなり石だらけの道。

石神井高校の山岳部が建てた石神井ケルン(標高1974m)。冬の尾根では天候が荒れると方向が判らなくなって遭難を起こしやすい。八方尾根には6つのケルンがあるが、これらのケルンは遭難が2度と起こらぬことを祈って、建てられたものだ。
息(やすむ)ケルン(第2ケルン)を経て、標高2035mで迎えてくれるのが八方ケルン。さらにもう少し登れば、雪によってずり落ちた土砂が堆積してできた八方池を見下ろす第3ケルン(標高2080m)に辿り着く。
結局、白馬三山にかかる雲は晴れることなく、ぼくは八方池をあとにした。
濃いガスの中にシルエットとして浮かび上がる八方連山。ハイマツの緑に白い雪が爽やかなアクセントとなり、山を美しく彩る。そして、足もとに咲く可憐な花たち。屹立する岩山と優しげな花の対比が、見事な調和をみせる。これからも、八方がよい環境でありつづけることを願わずにはいられない。

兎平まで降りて、山を振り返ると、なだらかに続く登山道に蟻の行列のように人の流れが見た。皆、山が大好きなんだ。
最初にスキーで訪れた八方は、大雪だった。ゲレンデで一休みしていたら、深雪でコントロールを失ったスキーヤーが頭上に降ってきた。幸いエッジで頭を切ることはなかったが、突然、背後からぶつかられたためにダメージが大きく、しばらく雪面から起き上がれなかったっけ。
八方兎平ゲレンデ。斜面の上に立つと、なんとなく、冬のコースのイメージが浮かび上がってくる。
さよなら、ぴょんぴょん平。またいつか遊びにくる。八方連山を見れなくて残念だったけど、「山は逃げない」から、またこんど登りにくる。山は心をあとに残す方がいいかもしれない。幾度か登り損ねたあげく、ようやくその山頂を得た方が、はるかに深い感動がありそうだ。そしてぼくは、今晩、富士山に登ろうと心に決めた。

大糸線の一両だけの電車、ワンマンカーから見た田園風景。雨の中の田んぼの縁に、案山子がぽつんと立っていた。小さな、小さな秋を見つけた気がした。

八方尾根自然探求路から降りてきたぼくは、外湯の第一郷の湯で疲れを癒した後に、白馬の町中を散策。小さな秋の味、りんごを一個、昼食代わりに買い求めるつもりだった。おしゃれな店が立ち並ぶ一帯では、りんごを売っている店はなく、あきらめてバスターミナルへ。とそのとき、目の前を白馬駅行き11時55分のバスが通過。・・・・・・(´・ω・`) あれ? 。バスに乗り遅れちまった。
ここから駅まで歩くと、12時26分発の大糸線松本行きの列車に間に合わない。(´;ω;`) しょぼーん・・・・・・なにやってんだか。
バスターミナルからタクシーを呼ぶと、すぐに来てくれた(^ω^)。どうやら今朝、JR中央線で人身事故があったらしい。その影響で、大糸線の白馬駅まで特急電車の影響が及んでいる模様。
「どうも、中央線で自殺者が多くてやりきれないね。きっと、都会ではコミュニケーションが不足してて、コンピューター社会だからなんだろうね」とタクシーの運転手が言う。
「山の挨拶もなくなっちゃいましたね。すれ違う人に声かけても、10人に1人ぐらいしか挨拶を返してくれないすよ」
とあいづちを打つと
「そうかね。山も変わっちまったね。もっとも、山岳会に入ってたころは、遭難した学生を助けてやってもお礼の一言もなかったなあ」
とのこと。悲しいことだけれども、たしかに、列車で隣り合わせた乗客どうしで会話を楽しむこともなくなってしまった。

無事に12時26分発の大糸線松本行きに間に合い、松本からJR特急スーパーあずさ22号で甲府に向かう。16時00分甲府到着。ここから、16時10分発のJR特急かいじ118号に乗り換えて大月へ。さらに富士急行に乗り換えて夕暮れ前の河口湖に到着。
しばし湖畔でたたずみ、夕暮れのひと時を楽しんだ。駅前の食堂でほうとうを食べて、今夜の富士山登山に備える。店のおばちゃんが、山の服装とか、金剛杖の購入などについてアドバイスをしてくれた。

河口湖駅19時45分発、五合目20時40分着の登山バス。バス停で、大きなリュックを抱えた大勢の外国人旅行者がバスを待っていた。防寒のためレインウェアーに着替えたぼくは、外国人たちとバスに乗り込む。1時間弱のバスの車内には、いろいろな国の言葉が聞こえてくる。たぶん、すぐ後ろの若い女性二人連れはフランスからなのだろう。まったく言葉がわからない。富士山は、ある意味でバベルの塔のようだ。
終点に到着し、ワンマンバスの料金を払う際に、目の前のドイツの夫婦が困った様子を見せた。
どうやら2人で往復チケットを購入した際に4000円払ったにもかかわらず、一人分の往復切符(2000円)しか発行してもらえなかったらしい。
一生懸命、事情を説明するドイツ人の男の英語がわからずに、バスの運転手がぼくに助けを求めてきた。そこで、ドイツの男の言い分を翻訳してあげる。しかし、列の後ろのせっかちな日本人登山者が、料金を払うのにつかえているから早くしろとブーイング。結局、ドイツ人夫婦とともにバスを飛び降りて、一目散に逃避。こうして、とりあえずは、彼らのトラブルを回避。しかし、気の毒だが、彼らの手にはあと1枚の復路のチケットしか残っておらず、帰りにはドライバーとまたひと悶着起こすのは必須。だが、たぶん、バスの運転手は英語が苦手のようだから、外国語でまくし立てればなんとかなりそうな気がする。

まるで都会の歓楽街のように灯りが輝く5合目のみやげ物店をあとにして、ぼくは漆黒の闇の中、樹海の中にあるはずの登山道に向かって一人で歩き出した。本当は、どっちの方角に進んでいいものやら、まったくわからなかったのだが、みやげ物を物色している大勢の外国人たちに聞くのも日本人としてプライドが許さない。
「ヘイ、そこの外人。・・・・・・富士山ってどっちっすか?」なんて聞けるわけない。
目の前の暗闇の中を、4つの人影が歩いている。道はジャリ道だが、車がすれ違えるほどの広さで、傾斜も小さい。しかも、この歩き始めにはだらだらの下り坂が続く。これでぼくは、富士山なんて楽勝だと、日本一の山をなめてしまったのだった。
2つのライトをつけている前の4人組との距離を詰めたら、なんと彼らは急に止まって振り返る。彼らと挨拶をかわしたら、「先にどうぞ」と道を譲られた。どうやら、彼らもこの道が果たして富士山の山頂に続いているのか不安のようだった。
東京から来たという、20代のカップル2組。男は石井君と北尾君。市場に勤めているということなのだが、なかなかの好青年たちだった。全員が、富士山河口湖ルートは始めてということで、一緒に登ることに。振り返ると、はるかかなたに、ちらほらと登山者のランプが揺れて見える。どうやら、道は間違っていないようだ。
「山は良く登るんですか?」
と聞いてきた北尾君の彼女。
「気圧になれるため、今朝、八方に行ってきますた!」
どうやら、ぼくのこの返事が彼らに変な誤解を招いたようだ。富士山に登る、その前に、八方で体を慣らしてる・・・・・・すげーベテラン。
こう思ったかどうかは知らないが。
30分ほど歩いて、ぼくは彼らこそがとんでもない山のベテランなんじゃないかと思い始めていた。というのも、装備もそれなりに立派で、歩くペースが結構速いのだ。<こいつら、普段、山を駆け足で登っているグループか?>
1時間ほど歩いて、かなり高かったテンションが落ちはじめた最初の休憩で、この誤解は解けた。どうやら、彼らは山道を歩くペースがわからないらしい。

とにかく、歩くペースを落として心拍数を過度に上げないよう、ゆっくりゆっくりを合言葉にぼくらは進んだ。休憩のたびに呼吸がぜいぜい言っている彼らは、持ってきた携帯酸素を夢中で吸っている。それでも、6合目あたりまでは、長時間の休憩を必要とすることもなく、順調なペースで登り続けていた。それが、苦しくなってきたのは6合目を過ぎたあたりからだった。
先頭を行くのが懐中電灯を手にしたゴエモンこと、石井君。その後に彼の彼女。そして北尾君と彼の彼女。しんがりはぼくで、ヘッドランプで前の4人の足元を照らしてあげる。
おしゃべりを続けていた彼らが、何にも話さなくなる。一番元気だったネイルアーティストをやっているという北尾君の彼女が、ヘッドフォーンを付けていたから音楽でも聴いているのかなと思ったら、足の疲労でおしゃべりどころではないらしい。ただ、頭痛はしないというから、さほどの高山病というわけではないかもしれない。
ぼくの息が切れだしたのは、新6合目「樹海荘」を過ぎたあたりからだった。およそ2000mの八方で高度順応したつもりでいて、あまり役には立っていないようだ。
へばっている彼女たちの<心臓がバクバク言っている>状態がこの時よくわかった。ほんのちょっと歩いただけで、足が棒のように重たくなり進まなくなる。眠気覚ましのためにガムを噛んでいたのだが、それすら、呼吸の妨げになり、息が苦しくなる。
標高が高くなるにつれて大気中の酸素が段々薄くなり、体が酸欠状態になって様々な変調をきたすようになるのが高山病(高度障害)だ。
深呼吸を少し意識的に行う。高度が上がるにつれて気圧が下がり、酸素の分圧が低下することによって、体の中に取り込む酸素の量が減る。これによって高山病が起こるのだから、意識して深い呼吸をくりかえした。同行中の女性2名は、つづら折の登山道の角を曲がるたびに休憩を要求するほどヘロヘロの状態だった。
それでも、7合目の最初の山小屋「花小屋」に到着。そこには「是より吉田口七合目」という看板が立っていた。「是より」と書いて「これより」と読ます。この後もよく「是より」と書いてある看板が目立った。

そこから歩いては休みを繰り返し、1時間。鎌岩館という山小屋を通過。ほとんどの山小屋の前には、道を挟んで谷側にベンチが置かれている。そして、高度が上がるたびに、また、ご来光の時間が近づくにつれてベンチから人があふれて休憩していた。
そして、鳥居荘に到達。この鳥居荘の正式名は「本七合目鳥居荘」。ここが7合目という名前がついた最後の山小屋だ。永遠に続くと思われた7合目だが、ついに8合目が目の前に。
相変わらず登りにくい溶岩の固まったごつごつした岩稜地帯が続く。そろそろ体力の差がモロに現れ始める頃だ。
山登りでは手足の3点確保が原則。しかし、富士登山ではみんな金剛杖やらストックやらを持って登るから、手に持ったものが邪魔で、四つんばいの姿勢をとりにくい。面倒くさいから、ほとんど足だけでバランスを取って登っているのだが、ヘタをするとバランスを崩してひっくり返るかもしれない。つまりは、上から人が転がり落ちてくる可能性があるということなのだが、道が登山者で渋滞しているし、なによりも考える気力がなく、ヘロヘロになりながら前の登山者との間をあけず、そのまま登っていく。

いつの間にか雲海を登りきったのだろう。頭上には無数の星が光っていた。ダイビングウォッチにつけたコンパスで方向を確かめて北極星を探す。そして、そのそばに、見覚えのあるカシオペアのWが見えた。ひょっとしたら、頭上にかすんで見えたのは、高気圧の吹き出しによる高層雲のせいじゃなく、天の川が見えていたのかもしれない。その後の天候は、ガスッたり晴れたりだったが、晴れている間は、見上げた空の星にずいぶんと元気をもらった。
休みがちなぼくらのパーティ。それでも、ぼくらを追い越していくグループは、さほど多くはない。登山道のわきによって、登ってくる人たちを見ていると、さすがみんなヨレヨレ。なにも考えず、ひたすら重い足を引き上げて登ってくる。みんな気力だけなんだよね。

3時ごろ、太子館に到着。山小屋の手前に「是より八合目」という看板が立っていた。ようやく8合目だ。高度はすでに3000mオーバー。石井君は自分の彼女のリュックを背負ってあげたり、北尾君は自分の彼女を一生懸命に励ましたりで、ぼくらのグループはなんとかもっていたのだが、石井君の彼女が、とうとうダウン。<もう、どっかで横になりたい>という彼女。
ご来光を見るため、泊り客がすっかり出払った山小屋に彼女を頼み込み、仮眠させてもらうことに。石井君が彼女に付き添うのかなと思ったら、<せっかくここまで来たのだからみんなと行け>と彼女。携帯を持ってなかった彼女に渡して連絡がとれるようにして、ぼくらは頂上を目指すことにした。がらんとした山小屋。この夏の最後の富士山で、彼女で貸しきり状態の山小屋。
<ドンちゃん騒ぎするんじゃねえぞ>
憎まれ口を利くぼくに、彼女は素敵な笑顔を見せた。登頂という重荷がなくなったせいか、さっきまで死にそうだったその顔は輝いていた。
あれ?どっかで見たことあるぞ・・・・・・思えば、これがぼくの変調のはじまりだった。
山小屋のお兄ちゃんに彼女のことをつくづくお願いし、彼女一人を山小屋に残して残り4人で頂上を目指した。

そして、蓬菜(ほうらい)館を通過。山小屋の前で、休んでいる人たちは、みんな並んでそれぞれが携帯用酸素を吸っていた。その様子に、なにか、新しい宗教団体を見ているようで奇妙な気持ちになる。携帯酸素は本当に効果があるんだろうか?休憩のたびにガバガバ吸っている石井君に効果のほどを聞くと、よくわからんとのこと。半分プラシーボ効果なのだろうか。
リュックからチョコレートを取り出し、みんなで分けて食べる。なんで、こんなときに糖分控えめの”MEIJI BLACK”なんだ?ダイエットを意識にしていたぼくは、なんの考えもなく、ブラックチョコレートを購入していたのだが、それでも、みんなは美味しいと言って食べてくれた。
このあたりからごつごつした岩稜地帯ではなくなり、また幅広の道になる。しかし、石ころがごろごろしているため、登りにくい。白雲荘前に到着。吐息が白く見えるから、気温は10度を下回っているのだろう。もう、ご来光も近い。そろそろ空が明るくなってきている。雲の切れ間に見える眼下の河口湖方面の夜景がとてもきれいだ。

5時ごろ、遂に本8合目トモエ館に到着。石柱に「これより浅間大社境内」と書いてある。富士山は8合目より上は浅間大社境内になっている。20時45分に5合目を出発して、ここまで8時間(も)かかったことになる。岩場のひどい渋滞があったし、シーズン登山者数が過去最高だったというほどたくさんの登山客でにぎわった、この夏最後の富士はこんなものかもしれない。リュックからバナナチップスを取り出し(いったい、どのぐらい食料を携行してるんだ?)、彼らに渡す。そして、ご来光の写真を撮るため、ぼくは彼らと別れて山小屋の前のベンチに一人残った。これから、彼らと別れて単独行動のつもりだった。しかし、彼ら曰く、<この調子じゃあ、休み休み登っているから、あっという間に追いつかれますよ>。
ベンチには、フランスの娘やらも含めて数十人の人だかり。夏の暑い日差しを避けて、夜のうちに富士登山する楽しみの一つが、このご来光だ。カメラを構えて40分待った。太陽が出ないまでも、せめて朝焼けをと思ったからだ。だが、そこにいたみんなの期待を裏切って、太陽は雲の切れ間から顔を覗かせることなく、雲を赤く色づかせることもなく、あたりは明るくなってしまった。一度の登山でご来光が見られるほど、そんなに人生は甘くはないか。

ウイダーinゼリーとマックスバリューの携行食で朝食。あたりが明るくなると、目標となる山頂がはっきりと見えてきて、苦しい登坂に対するモチベーションも高まる。だが、現実はきびしい。草木一本生えてない急な斜面をひたすらに登っていくしかないのだ。とりあえず、先に見える山小屋まで登ろう。ぼくは、今度は一人で、登り始めた。
一人になったことで、いつでもドロップアウトできるから気が楽に。というよりも、クライマーズ・ハイがぼくに訪れていたのだろう。以前ほどの苦しさを感じなくなっていた。
この8合目あたりから所々、下山道への分岐がある。どうしても登れなくなった人は、こうした下山道で下山することになる。前を行く登山者をごぼう抜きにして、ノンストップで御来光館に到着。このあと山頂まで山小屋はない。御来光館の前の人だかりを掻き分けて進んでいると、石井君にばったりと出会う。そばを見ると、北尾君と彼女も休んでいた。石井君の彼女が脱落したため、残った北尾君の彼女もヤバげだなと思っていたのだが、なかなか根性のある子のようだ。

再会をみんなで喜び合い、ぼくらはまた一団となって頂上を目指すことに。だが、下山道への分岐に差し掛かるたびに彼女が弱音を吐く。そして、とうとう、9合目の鳥居まであと少しのところで、リタイア。ここで3人が下山することに。ぼくらは<またね>と挨拶を交わして別れた。さて、いよいよ今度こそ、単独で頂上を目指す。
このあたりになってくると、登山道の端にうずくまっている人が徐々に増えてくる。なかには、登山道から外に出て、横になっている人もいる。他の登山者から踏まれないようにとの配慮なのだろうが、登山道をはずれるとそこは落石がしやすい場所が多く、たとえ蹴飛ばしたのが小さな石であったとしても、それが原因で大きな落石が起こらないともかぎらない。だから、高山病で苦しいのは理解するが、登山道以外の場所には、下から登ってくる他の登山者の安全のために立ち入るべきではない。6合目で登山道から外へ踏み出した石井君に注意したら、彼はそのことを理解してくれた。富士山の登山者は、もっと自分の限界と山のマナーを知るべきだ。

登山道は超過密状態。2列になって進んで行く。いつしか、30名ぐらいの団体の中に紛れ込んでしまい、それでも、前の人の踏んだ足跡をできるだけトレースして同じペースで登っていく。どうやらぼくは大丈夫そうだ。
そして、遂に山頂直前の鳥居まで到達。木でできた鳥居には1円玉や10円玉がこのように埋め込まれていた。
9合目の鳥居を過ぎ、目指す頂上はすぐそこに見えている。しかし、ぜんぜん近づいてこない。一歩ずつ、一歩ずつ・・・・・。
そして、ついに狛犬のいる鳥居へ。あと数十歩で終わり。前を行く団体の人たちが感極まって団子になって喜び合っている。先に頂上を極めたガイドやらリーダーたちが仲間を励ましに、あるいは、記念撮影のため降りてくる。最後の混乱・人波を掻き分けて、鳥居をくぐって石段を登り切ると、河口湖口、吉田口、須走口の頂上に当たる久須志(くすし)神社に到着。時刻は7時30分。
富士山をなめてかかっていたせいか、とくに登頂できたという感激はなかった。これはたぶん、山頂は所詮、通過点にすぎないと思っていたことと、単独登頂では感激を分かち合うことができないからかもしれない。というより、大げさに感激するほどの体力が残っていなかったのかも。
山頂から見下ろすと真下に、雲の上を歩いて向こうまで行かれそうな雲海が果てしなく広がっていた。

久須志(くすし)神社の前の人ごみを抜けて、下山道を横目にそこから見えた朝日岳のトップへ。このときに、ぼくはどうしてもここには前に来たことがあるような気がしてならなかった。いつ来たんだっけ・・・・・・。疲労のピークに達していて、思考もままならない。
登ろうとする意思に逆らって、サボタージュを決め込もうとする両足を元気付けつつ登坂。いつここに来たのか思い出せぬまま、朦朧として、朝日岳の頂上の鳥居のそばでひと息。そして、おもむろに下山。このとき、富士山の最高地点である剣ヶ峰のことなど、まったく頭になかった。とにかく、頭がもうろうとしていた。
下山は須走口を目指す。下り坂なので、最初は面白いようにスピードがあがるのだが、しばらく行くと腿がパンパンにはってくる。スキーも現役から遠ざかっているから、すっかり下り坂に使う筋肉もおとろえてしまったようだ。気を付けないと前に吹っ飛ぶこととなりそうなので、体重を後ろにかけ、かかとで降りる感じで一歩ずつ慎重に降りた。

下山の途中も、何度も天気が変わり、ぼくはその度にウエアーで調節した。6合目ぐらいからは、夏の強烈な日差しに変わり、天気も30℃ぐらいまで上昇。
あとゴールまで小一時間ぐらいというところで、追い越した集団の中から呼び止められ、振り返るとそこに北尾君がいた。そして、他の3人も笑顔でそこにいた。また彼らと会えた。先ほどはあっけなく別れてしまったので、せめて握手でもしたら良かったと言ってくれた。
ぼくらは携帯の番号を交換し、途中で撮った写真をメールで送ることに。こんな、なんちゃってトレッカーのぼくでも、彼らにとってぼくがいることで、道中がずいぶんと心強かったらしい。もちろん、ぼくの方も、最初から単独登頂だったら、オーバーペースで途中で挫折していただろう。彼らと同行することで、ずいぶん登坂の苦しさが癒された。ありがとう。

こうして、ぼくの8月は終わった。なお、富士山の頂上で体験した強烈なデジャ・ヴ は、極度の疲労と、酸素不足(高山病)から、脳内の視覚神経経路と思考経路にタイムラグができたことによると考えるのが妥当だろう。つまり、実際に見た視覚イメージに頭が付いていっていないということ。恐るべし、富士山。
5合目のバス停にたどり着いたときは、まずは下界で、あびるほどスポーツドリンクを飲むか、どこかのプールに飛び込んでオーバーヒートした体を冷やしたい一心だった。



小さい秋を見つけに(あとがき)

帰ってきた翌日、右の足首は痛々しいほど腫れ上がった。骨折脱臼から9ヶ月目。いろいろなスポーツに復帰はしたものの、復活にはまだほど遠いようである。
今回、一緒に登ってくれた石井君たち。5合目のスタートで偶然に前を歩いていたという縁なのだが、長く苦しい登坂の時間を共有することで、旧知の間柄のように親しくなった。今回は彼らは途中でリタイアと言う結果だったが、来年リベンジするから一緒にと誘われた。だが、「富士山に一度も登らぬバカ、二度登るバカ」という。また登るとしても、しばらくは下から富士山を眺めていたい。
今回の登山では、トイレを含めて一度も山小屋を利用することはなかった。だから、その気になれば、山小屋が閉鎖されても、雪が降る前であれば一人で登ることができるかもしれない。たぶん、その時は今回の登山のように、天気予報を参考に、思い立ったその日にということになるだろう。いずれにせよ、骨折した足首は完全に前のようには戻らずに、これから先は、だましだまし痛みと付き合っていかなければならないのだろう。
最後に、厚い雲に被われて、秋空に浮かぶ雲を見せてくれなかった今回の富士山だったが、そのかわりに、風のようにさわやかさを運んでくれた石井君たちにお礼を言いたい。ありがとう。

追記 甲府・長野から帰ってきた日、自宅へ帰る途中で寄ったスーパーで、信州産のりんごが売られているのを見つけた。買い求めたそれは、なつかしい故里の味がした。・・・・・・という、結末については、だれも納得しないであろう。スローライフを掲げて、文章を書いている本人がまったく納得していない。
この先、どんなに時間がかかっても、小さな秋を自分で見つけるつもりでいる。そして、実は、意外な方法で甲府のブドウを入手できたことを書き添えておく。まだまだ、ぼくの旅は続く・・・・・・。
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