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歴史の街 修善寺散策
日枝神社→修善寺→竹林の小径→源範頼の墓→風の径→赤蛙公園→指月殿→源頼家の墓→おしゃぶり婆さん→源義経の像→吉田明枝の句碑→十三士の墓→筥湯(独鈷の湯)
(約1時間)

伊豆と言えば、熱海や下田といった夏の海、あるいは、ダイバーであれば伊豆海洋公園とか雲見など、光きらめく海辺を思い浮かべるだろう。その一方で、伊豆山間部にある修善寺温泉は、鎌倉時代には源氏滅亡の地として、歴史の重みを感じる伊豆の違った一面を味わうことができる。修善寺温泉は今から1200年前に弘法大師により発見されたと伝えられ、桂川を囲む山には数多くの文人の足跡が残されている。今回は、しっとり濡れる雨の中、のんびりと歴史の情緒を味わいながら散策をしてみた。

古い温泉街は、ことさら雨が似合う。すれ違う多くの観光客が色とりどりの傘の内にあり、街並みに溶け込んでいるからなのだろうか。天気予報通り、空はどんよりと暗く、踊り子号の車窓から見た熱海や湯河原の海辺は、雨に煙る鉛色の海が広がっていた。伊豆箱根鉄道の修善寺駅を降りたときも、雨は相変わらず降り続いていた。駅には観光名所らしく、たくさんの観光客がいたのだが、降りしきる雨が小雨になるのを待って、構内で雨宿りをしていた。
結局、駅前のバス停から修善寺温泉行きのバスに乗り込んだのは、雨具を着込んでリックを担いだ中年女性の旅行客と、デイパックが濡れるにも構わずに折りたたみの傘をさした僕の2人だけだった。

バスに一緒に乗り込んだ中年女性。人の縁とは不思議なものだ。バスの終点から修善寺へ直行するという中年女性をかわして、日枝神社へ向かったのだが、そこから修善寺へまわると、向けたカメラのレンズの先には、かならず先ほどの中年女性がいた。そこから先は見かけることはなかったのだが、1時間後の帰りのバスでまた一緒になってしまった。雨降りのせいで、観光における行動パターンが中年のおばちゃんのそれと似通ってしまったのかもしれない。

修禅寺に隣接し、昔は修禅寺の鎮守様であったという日枝神社。2本の杉の木が根元で一体となっていて、その間にステップがかけてあり、通れるようになっている。樹齢800年の夫婦杉「子宝の杉」。静岡県指定天然記念物にもなっているイチイカシは見事で、圧倒される。これらの樹は、これまでにどれだけの想いを見つめてきたのだろうか。

修禅寺(しゅぜんじ)は静岡県伊豆市修善寺にある曹洞宗の寺院である。大同2年(807年)に弘法大師が開いたと言われている。幾度もの火災で焼失し、現在の本堂は明治16年(1883年)に再建したものだ。修善寺の地名の発祥にもなった寺で、鎌倉幕府の2代将軍の源頼家はここで非業の死を遂げた。昨年2007年に、建立から1200年を迎えた。
明治43年(1910年)8月、夏目漱石は持病の胃潰瘍療養修善寺温泉の菊屋旅館(別荘)を訪れている。漱石は散歩がてらに修禅寺を訪ねたことだろう。そして8月の終わりに漱石は大量吐血して人事不省の危篤状態に陥る。

神仏の前で静かに手をあわせる人々。順番を待って、なにも願わずに手を合わせる。ただ、感謝。
修禅寺を後にして、虎渓橋を渡り「竹林の小道」へ。本降りになり始めた雨さえも今は気持ちがよい。川面の向こうに、遠く朱色の滝下橋がかすんで見えた。雨に濡れた石畳の道は、そよぐ風に揺れる竹の葉の音と相まって、古い温泉地の旅情をいっそう深いものにしてくれる。

しゅぜんじ回廊から、道しるべを頼りに源範頼の墓へ。頼朝の誤解により、幽閉されたこの地で無念の自刃を強いられた源範頼の墓に手を合わせ、雨に映えるあじさいを眺める。源氏の悲しい歴史には、華やかな晴れの日よりも、しっとりと降る雨が似合う。
ファンが多い弟の義経に比べて、兄の範頼はその陰にかくれ語られることさえ少ない。平家討伐の際に、頼朝に代わって全軍を指揮したのは範頼だったのだが。道すがら、雨に落ちた梅の実が、範頼の無念を物語っているようで心に焼きついた。

「風の径」を途中で曲がり朱色の滝下橋を渡る。桂川傍の「赤蛙公園」へと続く道を雨に濡れながら歩く。途中、赤い傘をさした和服の女性とすれ違い、その絵になる風景を振り返って見ていたら、温泉宿から出てきたプレジデントにクラクションを鳴らされた。宿の前では、おかみと番頭が「ありがとうございました」とその車を見送りのところだった。
家々の壁には花が活けてあって、その赤が雨の情景とほどよくマッチしている。その生け花に、古い観光地の歴史と余裕みたいなものが感じられる。
温泉宿が立ち並ぶ路地に入って、「頼家歩道」と名付けられた階段を登る。
階段の先には「指月殿」が建ち、その側らには苔むした源頼家の墓がひっそりと佇んでいる。「指月殿」は23歳の若さで暗殺された頼家の死を悼んだ母、北条政子が建立したものだ。

やがて道は石を敷いた道となる。道沿いに、桂川を見下ろす鹿山を登る。はるか前には、ぼくと同じように滝のような雨にずぶぬれになりながらも山道を登って行く女性のグループが見えた。濡れた道のからは、雨の匂いが風に揺れている。「雨の匂い」を感じたのは、いつ以来だろう。針葉樹の葉の匂いが、微かに混ざり合いながらぼくのまわりに漂っている。
山の中段に設けられた、岩を削って作られた「岩谷観音」と、その横で笑みを浮かべる「おしゃぶり婆さん」の像。ずいぶんとユーモラスな姿なのだが、子育て子宝の神だそうだ。

先行する女性グループの後姿に励まされ、大粒の雨の中を、さらに山道を頂上に向かって登る。昔は数多くの茶屋が建ち、鹿を追った旅人が湯に浸かったと云われる鹿山の山頂。そこに、勇ましく獅子にまたがる源義経の像が建っていた。
牛若丸の伝説から、色白の美男という印象を義経にいだいていたのだが、この像の義経は豪快な武将のイメージだった。

女性グループに追いつき、挨拶を交わす。「竹林の小道はどうですか?」と聞かれ、「風情があって最高ですた!」
<せっかく来た修善寺だから、やっぱり寄っていこう>とのこと。山を降りたら、あとは楽な道が続くから、彼女たちの巡回コースが正順なのかもしれない。
濡れて滑りそうな山道を下る途中、修繕寺をこよなく愛した作家 吉田絃二郎が、最愛の妻の死を悼んで建てた明枝の句碑を訪ねた。妻明枝とたびたび この地を訪れた絃二郎の墓は、称号を志女と称した俳人 明枝の墓とともに、道をさらに下った山の中腹に仲良く並んでいた。


雨脚はさらに強まる。山を降りた先にある「筥湯(はこゆ)」で入浴。デイパックのポケットには雨が侵入して、中に入れていた「夏草の賦(司馬遼太郎)がびしょぬれに。そして、同じくポケットの中の携帯電話が水没していた。乾燥させれば、携帯は復活できるのやら・・・・・・。

もう少し上流に向かえば、川向こうに桂川に突き出すように湧く独鈷の湯がある。この温泉は、その昔、この地を訪れた弘法大師が川の水で病気の父の身体を洗う親孝行な少年の姿に心に打たれ、「川の水では冷たかろう」と手に持っていた独鈷(仏具)で岩を砕いて霊泉を湧かせたといういわれがある。大師が父子に温泉治療を教えたところ、父の十数年来の固疾はたちまち平癒したと伝えられ、その後この地には温泉治療が広まったという。

筥湯を出て、向かった先のバス停で、今朝のバスで一緒だった中年の女性に再会する。目が合ったとき、どちらともなく微笑んだような気がした。桂川に注ぐ雨脚は、わずかに弱まったようだ。明るくなり始めた道の向こうで、せせらぎがわずかに聞こえてくるような気がした。バス停の軒下には、先に待っていたアメリカ人のカップルが、購入したジャパニスクなみやげ物について笑いながら話をしている。
バスが来るまで、もう少し、このゆったりした時間の中に浸っていよう。
了 
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テーマ:登山・ハイキング - ジャンル:旅行


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