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私をスキーに連れてって2007
東京ウェーデルン

12月10日(日) 初すべり
先月のことだ。11月の土曜日の昼下がり、ぼくは浦和に住む従兄弟の長女の理津子に電話した。まだ独身で優雅な生活を送っている理津子を、土曜の午後に電話で捕まえるのはほとんど無理だろうと思っていた。しかし、電話口に出たのは何のことはない本人だった。
「ご無沙汰してます。元気?」
こうして、ぼくが彼女に直接電話するのははじめてだった。理津子とは、もう10数年も会っていない。ぼくが学生の頃、東京で3畳一間のアパートに一人暮らしをしていた時は、しょっちゅう、いとこのところへ食事をご馳走になりに行っており、当時幼かった理津子やその下の双子の姉妹といつも顔を会わせていた。しかし、大学卒業後に就職した企業の最初の配属先が栃木県の事業所だったため、その頃から、ぱったり訪れることもなくなってしまった。そして、東京へ戻ってきた今でも従兄弟の所へは、なんとなく遊びに行きそびれている。理津子に最後に会ったのは、おそらく彼女が中学生の頃だったろう。親戚かだれかの結婚式の時だったと思う。母からはその後、理津子が東京の大学を卒業して、一部上場会社の総務課へ就職したことは聞いていた。趣味でライターをしているぼくが十数年ぶりに彼女へ電話したのは、従兄弟から彼女が得意と聞いたスキーのモーグルのことを教えてもらおうとしてのことだった。というのも、モーグルについての簡単な記事の執筆を、知り合いのWEBデザイナーから頼まれたからだった。
こうしたスポーツ記事の執筆依頼は、多くはアウトドア情報サイトを運営している会社などがクライアントで、3000字程度の文章と数枚の写真を記事として依頼されることが多かった。ただ、実際に文章を書くともなれば、多少のことは調べなければならない。すずめの涙ほどの原稿料に比べれば、文章をまとめるための苦労はかなり多く、とっても割に合わない仕事だった。だからこそ、趣味でやっている部分もあると言える。僕自身も学生時代にスキーに没頭していたが、スキーに行かなくなってから久しく最近の話題にはついていけない。まして、フリースタイルのモーグルは一度もやった経験がなく、記事の執筆を引き受けたものの何を書いたらいいのか見当もつかなかった。
理津子は30歳をとうに過ぎているが、まだ独身貴族の生活を満喫している。そして、従兄弟、つまり両親とともに浦和のマンションに住んでいる。彼女はモーグルに熱中しており、夏でも月山などへ車を運転して滑りに行ったり、スキーシーズンが到来すれば毎週週末にスキー場通いしているらしい。いつだったか親戚の法事で顔を会わせた従兄弟から聞いていた。理津子に聞けば依頼された原稿のネタの一つか二つは何とかなるかなと思っての電話だった。
理津子は、会社のスキー同好会に所属しているらしい。つまり、彼女は、一人でスキー場通いするヒトリストではないということだ。会社の同じようなスキーフリークの連中と、12月上旬にいつも初すべりに行くとのこと。ぼくをスキーに連れてってと誘うと、二つ返事でOKだった。たまには、中年のおじさんと滑るのも面白いなんて言った。そして、ぼくらは、12月10日の今日、待ち合わせして日帰りスキーに出かけることになった。

彼女の住む浦和のマンションで朝5時に待ち合わせしたぼくは、白のステップワゴンで理津子を迎えにいった。マンションの前の道路に車を止めて、駐車違反を気にしながら4階の従兄弟の部屋まで階段をダッシュした。部屋のドアの呼び鈴を押すと、玄関ドアを開けて理津子が顔をのぞかせた。10数年ぶりに会ったのだが、えらく綺麗になっていて驚いた。とは言いものの、いくらか中学生の頃の面影が残っているようにも見える。早朝だというのに、しっかり化粧も終えていてそれなりにエロかっこいい。ひと目でスキーへ行く準備が終わっているのがわかった。ドアの隙間から、これまたまだ独身の次女、理恵が素顔でハジャマ姿のままにっこり笑いながら顔を見せに来た。
「綺麗になったね」ぼくは挨拶も忘れて、呆然と理津子の顔を見つめてしまった。
「今日はよろしくお願いします」
理津子はぼくを見つめて微笑んだ。ぼくははじかれたように理津子のスキー板を受け取ると、マンションの階段に向かって歩き出した。路上止めて置いたステップワゴンの後部座席のシートはすべてたたんで、ラゲッジスペースを広く取っている。ぼくは、理津子のスキーとバッグをそのラゲッジスペースに押し込むと、運転席に回り乗り込んだ。後ろからついて来た理津子が助手席に座った。天井のスイッチをスライドさせて室内灯をつけると、ぼくは駅前のコンビニで買った缶コーヒーを律子に手渡し、スキー場までのルートの確認をした。ステップワゴンのエンジンをスタートさせる。千葉の自宅から浦和に着くまで聞いていたAMラジオから、AFN(American Forces Network:米軍放送網)が流れ出した。AFNでは日曜の朝のこの時間に、Adult Contemporaryをやっている。圧倒的に多いのが、大人が好きそうな今のポップス、昔のトップ40中心のAC (Adult Contemporary) Soft Rockだ。オールディーズというのも、ちょっと前まで50年代、60年代を指していたような気がするが、今はオールディーズといえば60年代70年代になっているようだった。ぼくはドライブのときは必ず音楽を聴く。ただし、ぼくのステップワゴンにはカセットテープしか音源がないので、いつもは、ポータブルのMP3プレーヤーからFMラジオにトランスミットして聞いている。その日は、理津子が普段どんな曲を聞くのか全く知らなかったので、とりあえずはラジオを聴いていたのだった。

「なんと呼んでいいのか、ずーと理恵と相談していたんです」
「なんでもいいよ。じじいじゃなきゃ」
ぼくは理津子に答えた。ぼくがまだ高校生の頃、地方に住んでいたこともあって予備校の夏期講習の受講のため、従兄弟の家に2週間ぐらい泊めてもらったことがあった。当時、まだ幼少だった理津子やその下の双子の姉妹は、ぼくに良くなついて胡坐をかいて座っていると必ずいつもまとわり着いてきた。両手で彼女達を高く抱え上げるとすごく喜んだ。そして、当時、彼女達からぼくは”ポパイのお兄ちゃん”と呼ばれていた。きっと、半そでのシャツから覗いた二の腕がそんな印象を与えたのかもしれない。だが、まさか、50歳に近づいたこの年で”お兄ちゃん”と呼ばれても、他人から見ればキモイだけだろう。
「サンドイッチ作ってきたんですけど食べます?」
「ありがとう」
ぼくは、サンドイッチを一切れ受け取るとハンドルを握りながらほおばった。はさんである中身は、スパイスの効いたチキンのスライスとチーズとレタスだった。
「おいしい!チキンは自家製?」
「そうです」
ぼくは、理津子にタンドリーチキンのレシピを教わった。そんなに難しくなさそうだ。今度、クリスマスにでも作ってみようと思っていた。

一般道を走って、やがて外環浦和ICから東京外環自動車道に乗る。東京外環自動車道を西に向かってひた走り、大泉JCTに出た時は、空が白み始めていた。天気は晴れ。朝というのに、さほど寒さは感じず、スキー場に向かっている実感がない。ぼくは、車を路肩に寄せて、ポータブルDVDの電源をシガーソケットにつなぐと、本体をダッシュボードに乗っけてDVDをスタートさせた。何事がはじまったのかとDVDの画面を覗き込んでいた理津子は、スタートした20年前の映画に思わずつぶやいた。
「ああ、これ懐かしいですね」
<キューガシャキューガシャキューガシャキューガシャ>懐かしいドットインパクトプリンタの音が車内に流れる。
<出来ましたあ。 検算はしたんだろうな、 お、おい矢野ォ。>
<1番線から電車が発車します>
<キョロロロロロロロロ、プッシュウ>
画面では、主人公が金曜日の夕方、会社から飛び出してスキーへ行く準備を始める。
「いつもスキー行く時って、こんな感じ?」
「こんな時もあります」
理津子がDVDの画面を見ながら笑って答えた。
「この映画1987年のものだから、りっちゃんが中学生のころか・・・」
DVDから車のエンジンをスタートさせる音が聞こえ、そして荒井由美の『サーフ天国、スキー天国』が流れた。
<ゲレンデのカフェテラスで すべるあなたにくぎづけ~>
「いいなあ・・・。いつもシーズンはじめはこのビデオを観てたんですよ」
理津子が目を画面に釘付けにしてつぶやく。
「かぐらに着くまで、暇つぶしにその映画を観ててね」
ぼくは理津子に答えた。

関越自動車道に乗り換えて月夜野ICを目指した。前橋を過ぎて、途中、トイレ休憩のため駒寄PAに寄る。赤城ICを過ぎたあたりから、雪がうっすらと積もった景色へと変わっていく。8時ちょうどに月夜野ICで高速を降りて国道17号、新潟方面に北上し三国峠へ出た。ここから県境越えになる。三国トンネルを挟んで群馬側、新潟側とも駐車場がある。快晴だった群馬を抜けて新潟へ出ると天気はどんよりと小雨。外気温は1度。外は寒いが何せ暖房が効いているので車内は結構暖かい。路面は安定しており、チェーンの必要はなさそうだった。「トンネルを抜けると…」で有名な、川端康成の「雪国」で描かれた越後湯沢、豊かな自然に抱かれて身も心も開放されていく。猿ヶ京温泉を過ぎたあたりから坂と急カーブが多くなり、道幅の狭い箇所もあり運転がタイトになった。高速を降りてからの国道17号では、スキーをつんだ車が何台も走っており、流れが結構速かった。ぼくらは前を行く車のペースに合わせていたから、常時ややスピードオーバーだった。月夜野ICから、約1時間走って田代スキー場に到着する。このスキー場は国道17号線沿いに大駐車場があり分りやすい。ここは田代、かぐら、みつまた3つのスキー場がつながっている。

駐車場に車を着けたぼくらは、車の中でスキーウェアに着替えると、大駐車場のそばの山麓駅から100人乗りの田代ロープウェイでスキー場へ登った。さすがにスキーフリークの理津子は、ダークブルーのFABLICEのロゴの入ったジャケットと、ひざの白いアクセントが目立つパンツ。真新しそうなウェアだ。全日本の佐々木選手や湯川選手の愛用のウェアだそうだ。そして、ニット帽にオークレーのゴーグル、ひどく短めのポール。ヘストラのレザーグローブ。老舗のHartのスキー板とGENのブーツ。(メーカー名を言われてもほとんど知らない・・・20年前にはなかったメーカーだ。)
一方、ぼくのほうは20年前に買ったLLビーンズのウールの裏地付きのマウンテンパーカー。(地球温暖化の今時、ウールの裏地付きのマウンテンパーカーは、古着屋でしか探せないそうだ。)これまた20年前に着ていたエレッセの黒のパンツ。ロシニョールのSMコンペ、180cm。ラングXRIのブーツ。

田代エリアには3つの山頂があり、それぞれいくつかのコースに滑り降りられ、横につながっている。そこをたどっていくと、かぐらエリアに入ることができる。かぐらは標高が高いので比較的良い雪質と景観のスキー場だ。ただし、去年は大雪で、12月でも多すぎるくらいの積雪があったが、今年はさっぱりと理津子が言う。積雪量は60cmといったところだろう。かぐらゴンドラの山頂駅を降りると目の前に急斜面があり、しかもここは非圧雪ゾーン。ぼくは10年ぶりぐらいか、最後がいつだったか思い出すのも苦労しそうなほど、久しぶりにゲレンデに立った感触に喜びを感じていた。
「板、長いですね」 
理津子がめずらしいスキー板のようにぼくのスキー板を見た。スキー板の先が尖っているのが、時代の流れを感じてしまう。その昔は200cmの板を履いていたのだが、滑降競技から足を洗ってはじめて購入した板がこれだった。当時、一緒に滑っていた仲間は180cmの板を見ていろいろ言ってきた。確かに、短い板は高速で滑った時に不安定かなと思っていたが、実際に乗ってみるとまわし易い利点があっても不都合な点はなかったと思う。短い板が流行りだした頃でもあった。

[よし、じゃ行こう」
ぼくは、ゴーグルを付け直すと、ぽんとポールを交差させ、目の前のこぶに向かって滑り出した。
<ガリガリ>
滑り出して最初のこぶでトップを跳ね上げられ、思いっきり後傾したところで、スピードをコントロールできなくなり、そのまま新雪の上を直滑降で落ちる。ゲレンデの隅にどうにか逃げ込んでようやく体勢を整え、重心をはずして急ブレーキしたつもりが、こぶにひっかかって両足のビンディングがはずれて、前につんのめる。新雪に頭からダイブ。
後ろから、理津子がきれいなシュプールを描きながら降りてきた。
「いやあー、びっくりした!凍ってるね・・・」
ぼくは、立ち上がると頭の雪を払いながら言い訳をした。
「大丈夫ですか?」
「死んではいない・・・」ぼくはゴーグルについた雪を叩き落とす。
「こぶができてますね・・・」理津子がうれしそうに言う。
ゲレンデの真ん中辺には、座り込んでスキーヤーの邪魔になっているスノーボードをつけた子供たちが大勢いる。これは、このスノーボードというスポーツが日本では、まだルールもマナーも出来ていない事を表しているのだろう。スキーヤーよりスノーボーダーの数が多く、全体の7割程度いる。もはやスキー場ではなくて、スノーボード場といった感じだ。スキーヤーは、ぼくのような年恰好の年配者、スノーボーダーは若い人と年齢で分かれている。ゲレンデの中央は急斜面を除いて整地されている。これはスノーボーダーのスライド気味のすべりのお陰だろう。そして彼らを避けて、それらしい格好をしたモグラー(モーグルスキーヤー)がコースの端を何人か滑っていて、そこには、こぶのラインができつつあった。どうやら、モグラーはこうしたこぶを見ると無性に嬉しいらしい。また、周りをよく見回していると、ゲレンデスキーヤーでポールを突いて滑っているのはモグラーを含めてぼくらだけのようだった。ターンの時にポールを突くぼくらは、まるで変態のようだ。今のカービングスキーではポールは必要ないらしい・・・

ぼくらは午前中、主にかぐら第1高速リフトを使って、リフトの両側ジャイアントコースとテクニカルコースを滑っていた。両コースともに多少アイスバーンがあり、結構面白い。リフト待ち時間は10分程度。午後になるともっと空いて来て3分ぐらいで乗れてしまう。ぼくがスキーに夢中になっていた20年前と比べると、このリフト待ちの時間の短さはとても信じられない。当時は1時間以上の待ち時間が当たり前だった。ひどい時には3時間も待たされたことがあった。車の中で観た”私をスキーに連れてって”の映画が流行った時代。高度1980年代の過熱気味の高度経済成長に伴って、日経平均株価は上昇を続け3万円の大台に乗った頃のことだ。日本は「Japan as No.1」の言葉どおり、自信に満ちあふれていた。レジャー産業が盛んになり、各地の山の樹林が切り倒されてゲレンデとして乱開発され、スキー人口は増え続けていた。
1989年、日本のスキーマーケットで200万台のスキーが売れた。アメリカで110万台、ドイツで80万台。その数量を見れば日本の200万台は異常な販売数であったと言わざるを得ない。だれもが、スキー場をめざしていた時代だった。
 
お昼はかぐらの定番と理津子が言う「和田小屋」で食事をした。プリンス系スキー場では異例の美味さとのこと。けんちんうどんを2人で注文した。野菜たっぷりでたしかにウマい。結局、三俣エリア・かぐらエリアともに終日天候は雪。みつまたは湿雪で、かぐらは柔らかい雪。コースにはところどころ草やブッシュが出ている。ぼくらは、午後の始めくらいまでかぐらで、その後はみつまたで滑っていた。途中でかぐらゴンドラが機械故障で運転が中止に。理津子は頑張ってずっと練習していた。短いポールを持ち、腕を前に出し、あるいは肘を外に突き出して、不必要と思えるくらいのショートターンで滑っていた。
一般に、モーグルでは、フォールラインを外さずコブ斜を降りてくる。つまり、谷に向かって直線的に滑り降りてくる。したがって、広いゲレンデで気に入った連続コブを選択し、執拗に同じラインを何度も滑るようだ。このラインはモグラー同志の安全のため、1ラインに1人しか入ることができない。したがって、ラインが空くまで、順番待ちを強いられることになる。モグラー特有の、最も特長ある行動形態が、この「ライン待ち」のようだ。モグラーが数多くいるゲレンデでは、当然この「ライン待ち」の待ち時間が長いことになる。だから、モーグルラインで下手に転倒しようものなら、しかも、スキー板をはずしてしまおうものなら、上でライン待ちしている大勢のモグラーの冷たい視線を浴びてしまう。視線だけならまだいいが、最悪の場合は、こぶ斜面の上からモグラーやスノーボーダーが降ってくる場合もある。したがって、こぶ斜面でバランスを崩した場合は、ラインを思いっきりはずして(ゲレンデのすみまで耐えて行って)そこで存分に転ぶなり、スキー板をはずすなり、ナンパするなりした方が良さそうだ。
ということで、ぼくらはこぶ斜面を主体に、「ライン待ち」をしながらまったりと滑っていた。理津子いわく、ぼくのすべりは、どうもものすごく昔の古臭い滑りらしい。それは、スキーの形状がそうさせるのであって、今のカービングスキーでは絶対真似のできない滑りなのだそうだ。すなわち、昔のスキー技術は、曲がるには加重、加圧をきちんと意識して、板をずらしていかないとターンができなかった。ところが、今のカービングスキーではずらさなくても、角ヅケさえ与えてやればスムーズに曲がるとのこと。早い話が、昔のスキー技術では、両ひざを揃えて8の字に運動させることで、スキーへの加重、加圧をしてスキー板をずらしていたが、今はひざを左右に振るだけでターンができるらしい。もう一つ言えば、今のスキーは板のズレがない分、ターンのスピードが速いことになる。なんどか、こぶのない斜面で理津子と同じタイミングでターンをして滑ってみたが、どうしてもターンの度に置いていかれる。細かいターンを連続させた時の滑走スピードの差は明らかだった。
「その滑り方、うちの会社の人たちは東京ウェーデルンって呼んでるんですよ」
雪面でぼくの両方のスキー板のテール部分が、まるで箒で掃くように左右に振られるのをみて理津子はそう言った。その昔、東京方面の自称スキー上級者が好んで滑った形らしい。もちろん、昔のスキー板とセットでなければ再現できない技で、絶滅の危機に瀕している技とのことだった。

途中、休憩してお茶を飲み、さらにこぶ斜面を何本か攻めていたが、気がつけばもう15時だった。
ここで今回は時間切れ。みつまたには行かず田代に戻る。かぐらエリアは奥まっているので、かぐらのリフトは他より早めに終わってしまうようだ。公式サイトでは17時までとなっているが、リフトによっては15:30頃で終わり。苗場へのドラゴンドラも15:30に終わっていたような・・・。
さて、次はどこへ行こうか?

帰りの車で、理津子は気を使って頑張って起きていてくれたが、疲れたのかそのうち助手席で寝てしまった。彼女が睡魔に襲われる前に、ぼくらはスキーが昔みたいにメジャーなウンタースポーツになるには、なにが必要なのかを熱心に話し合った。彼女の意見によれば、80年代後半のスキーブームの隆盛と衰退の原因は、朝、車の中で観た「私をスキーに連れてって」にあると言う。あの映画にあおられて、日本の当時の若者たちは日本経済の好況に浮かれ、カッコイイ外国のスキーやスキーブーツを買っていた。映画に出ていたから、みんなが持っているからと自分も持ちたいと思って買い漁っていたのだ。だけど、その時が過ぎると誰でも持っているものをダサいと感じ始めるようになって、一気にブームが消えてしまったという意見だった。彼女に言わせれば、ぼくのように20年前のアウトドア古着を着て滑っているおじさんは「ちょいわるおやじ風」でカッコいいかもしれないとのこと。まあ、スキー場へのアッシー君として1日奉公したぼくへの最大限のお世辞なのだろうけど。実際には着るものがないからしょうがないだけのことなのだ。
彼女はさらに、「私をスキーに連れてって」をリアルタイムで観た世代は、そろそろ子育てが終わってゆとりがでてくればスキー場に帰ってくるかもしれないとも言った。きっかけがあればとのことだ。
「ライターをしているのなら、“私をスキーに連れてって2007”のシナリオを書くなんてどうですか?」
などと理津子は勝手なことを言う。
「Tokyo Driftっていう映画がありますよね。あれは車のドリフトターンするのを描いた作品だけど、昔のスキーはドリフトが主体だから、そんなすべりを撮った映画は流行るんじゃないですか?」
「それって、アメリカからヤンキーが留学してきて、日本のおっさんグループにスキーの挑戦をするってストーリー?」
「あっ、それいいじゃないですか?」
「絶対無理だね。第一、スキーでドリフトさせても横滑りするだけでかっこ悪いもん。ボーダーだって観にこないだろうし」
ぼくは言いたいことだけ言って寝てしまった理津子の寝顔を見て思わず苦笑してしまった。
<ライターと言っても、ぼくは趣味で書いているだけ。本屋で売れるようなストーリーは逆立ちしたって書けないよ・・・>
さて、明日は仕事だ。急いで帰ろう。ぼくらは、帰りの高速を思いっきり飛ばして家路についた。
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ファイアーウォールと30代,40代の転職
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【2008/09/07 09:49】 URL | #-[ 編集]

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