FC2ブログ






プロフィール

tetujin282828

Author:tetujin282828
このブログは、tetujin's blog(Broach)の倉庫です。
本体はココ→ http://pub.ne.jp/tetujin/
小説関係だけをまとめて置いてあります。
倉庫だけに、コメントへのレスなしをお許しください。
(本体に遊びに来ていただければ嬉しいです)



最近の記事



最近のコメント



最近のトラックバック



月別アーカイブ



カテゴリー



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



ブログ内検索



RSSフィード



リンク

このブログをリンクに追加する



スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


風の記憶:北アルプスの風
東京 → 越後湯沢 7:48~9:05(JR新幹線MAXとき307号) → 富山 9:13~11:21(JR特急はくたか4号)
電鉄富山 → 立山 11:50~12:50(富山鉄道本線)
立山 → 美女平 13:10~13:17(立山ケーブルカー)
美女平 → 室堂 13:20~14:10 (高原バス) 
立山室堂山荘宿泊

立山室堂山荘 - 雄山 - 大汝山 - 富士の折立 - 雷鳥平 - みくりが池 - 室堂ターミナル

山を形容する言葉はたくさんあるが、山を人になぞらえて、男性的な山、あるいは、女性的な山と形容することも多い。そうした言葉は、切り立った岩肌、鎖場だけが頼りの人を寄せ付けないような登山道、情け容赦ない悪天候などの印象から生まれてくるのだろう。ただ、山の天気に関しては、とくに秋にかけての時期は変わりやすく、霧や雲はいつでも生まれ、視界が急速に閉ざされてしまう。もし、秋のこの時期、山で一日中晴れたら、女神に祝福されたと言っていいのかもしれない。
天気予報では、この日、立山地方は午前中は雨。午後からはかろうじて曇りの予定なのだが、日曜日なので午前中で帰らなければならない。明日からまた仕事。私は、昨夜、室堂の山小屋で同室になった人たちと話をして、雨の立山をさっさとあきらめて、午前中に信濃大町から白馬へJRで移動し、栂池の自然観察園にでも行こうかなと思っていた。高山に咲く花なら、雨が降ってても見ることができる。むしろ、立ち止まって花をじっくり見るには雨の方が良いかも知れない。
それほど、前日にトレッキングした室堂のまわりは濃い霧が立ち込めて、目の前に聳え立つ立山連峰の影がようやく見える程度で、今日の天候は期待できそうもなかったのだ。

室堂平の日の出は遅い。山小屋の人によれば、この日の富山の日の出は5時30分なのだが、山荘の東にそびえる立山連峰に隠れて、実際に太陽が顔を出すのは6時30分ごろとのこと。
5時ごろ、隣の男性の立てる物音で目をさました私は、布団から抜け出して窓の外を見た。空は白み始めていた。だが、山は雲に隠れていて、天気は予報どおり悪いようだ。同室のもう一人の方を起こさないように布団をたたんでいたら、寝ていた彼も起き出して互いに挨拶をかわした。とりあえずパジャマがわりのジャージを着替えて、6時からの朝食前に山小屋の近くを散歩することに。
室堂山荘の外に出ると、朝の空気が冷たかった。あたりはすっかり明るくなっていて、もうすでに何人もの登山客たちが立山連峰縦走を目指して登山道に出ていた。立山連峰の中腹あたりの稜線が影のように見えて、そしてその稜線を這うように、浄土山方面から富士の折立、大汝山(おおなんじ)、雄山(おやま)方面へ雲が流れていく。かろうじて、室堂山の頂が見えて、そこに朝日が弱く反射していた。
<山の中腹まで登ってみよう>山の稜線から日の出を見ることができるかもしれないと、私はだれもいない室堂山への登山道を登り始めた。立山連峰につながる雄山方面へのメインの登山道と違って、こちらに向かう人はだれもいない。

室堂山へ向かうゆるやかな道をのんびり散歩していると、山の中腹辺りで登山道を降りてきた若い女性とすれ違った。まだ10代であろう彼女は、ペパーミントグリーンのトレーナーを着て、手にはペットボトル、そしてヘッドフォンをつけていた。いたって、軽装。
「おはようございます」
彼女の弾んだ声に、妖精と出会ったような気がして私はうれしくなった。彼女も朝日に誘われて、この道を散策していたのだろう。
その後、だれともすれ違うことなく、室堂山への登山道をひとりでしばらく歩く。朝の至福のひととき。限りなく静かで、本場アルプスの高原のような贅沢な空間を独り占め。
やがて、平坦地になって室堂が隠れると、整備された遊歩道はいきなり山道らしくなり、あたりは険しい高山の雰囲気。この景観の激変に戸惑う。ただし、ここまでの室堂平への展望は圧巻だった。緑のじゅうたんに被われた立山カルデラが眼下に広がり、見飽きることがなかった。ハクサンイチゲ、ミヤマキンバイ、シナノキンバイ、チングルマ、コイワカガミ、ツガザクラなどがところどころに咲いていた。

室堂山への登山道を散歩していたら、霧が流れてきてあたりを一瞬にして包んだ。天気がよければここの辺から、五色が原や薬師岳が見えるらしい。時計を見ると、時刻は6時を回っていた。この霧ならば、さらに上に登ったとしても、立山連峰の稜線からの朝日を見るのは無理だろう。そう判断した私は、朝食を食べに室堂山荘まで戻ることに。
霧が出ているということは、天気は回復に向かっているのだろうか。どうやら心配したほど今日の天気は悪くはなさそうで、あと2~3時間はなんとか持ちそうだった。せっかく立山に来たのだし、昨日、校外学習の軽装の高校生たちが団体で降りてくるのを見かけた雄山へ登ってみようと思い直していた。

標高2450メートルに建つ室堂山荘のすぐそばには、日本最古の山小屋が保存されている。また、その昔、富士山、白山とともに多くの庶民の信仰を集めていた山岳宗教の名残を示す山荘のすぐそばの祠には、「西国33番札所観世音菩薩霊場」の第32番札所、近江国繖山観音正寺の千手千眠観世音菩薩の分霊像が奉られている。そうした遺跡のそばを通り過ぎると、何人かの人たちが写真をとっていた。
山荘に戻り、朝食。室堂山荘の食事は美味しくてボリューム満点だ。 ただし、米どころの富山なのに、ご飯だけはイマイチのよな気がする。気圧が低いから、ご飯を炊くのが難しいのかもしれない。また、この山荘のお風呂は温泉じゃないのだが、昨日、夕刻に山荘にチェックインしてそうそうに入った湯船は、大きくて綺麗な上、貸切状態で気持ちよく入れた。山小屋というよりも、昔のユースホステルのような印象だ。
美味しい山荘の朝食を済ませ、いよいよ出発。連泊するという同室の人に挨拶をして、私は山荘をあとにした。

すり鉢の底のような室堂から、雄山への鞍部である一の越までは、石畳でできた景色のよい遊歩道が続く。一の越と室堂との標高差は300m。前半は比較的なだらかだが、後半は勾配を増したきつい登りとなる。石畳の道とはいえ、高度2500mを超えており、空気が薄く、少し歩くと息があがる。行く手には、カラフルな登山ウエアを着た数組の登山者たちが先行するのが見えた。また、時折、雄山方面から下山してくる人たちとすれ違う。この坂はその昔、山岳信仰のために山に登った時代に懺悔坂と呼ばれていた。
途中の祠と祓い堂を過ぎて、1時間ほどで一ノ越到着。東西が大きく開けた稜線に立つ一ノ越山荘。大勢の登山者がその前で休んでいた。
ここは、立山雄山の直下にある峠となっていて、黒部湖と室堂の境界でもある。下からはあいかわらず、室堂方面からぞくぞくと人が登ってきている。
そしてここから雄山まで、さらに1時間。すぐに急登が始まり、登っている尾根を除けば遮るものがない360度の空中散歩道が続く。ただし、あいかわらず霧に閉ざされていて、立山連峰が全貌を現すことはなかった。

一の越山荘前で大勢の人が休んでいたものの、見通しの悪いガスのためか、雄山方面への登山者はほとんどいないようだった。他の登山者となるべく重ならないように、タイミングを見計らって雄山ルートに歩を進める。ここからが本格的な山登り。さっきまでの、しっかり作られた石畳の遊歩道はもう存在しない。
雄山までは、ルートが幾重にも付いているガレ場なので、足下が不安定で思ったより歩きづらい。その、つづら折りのガレ場をいっきに登る。
途中で、岩陰に咲くハクサンイチゲ、イワギキョウ、イワウメ、ミヤマキンポウゲ、イワツメクサなどの花の写真を採っていると、別ルートから登ってくる30代の女性と年配の男性の親子が迫ってきた。岩場なので、できれば落石による事故を防ぐために間隔を開けて登りたいのだが、写真を撮るため止まるたびに距離をつめられて、すぐ後ろに。彼らが通り過ぎるのを待って再び登り始めたのだが、こちらが休むと向こうも休むため、なかなか彼らとの距離をあけることができない。
ガレ場の尾根を、団子になって進んでいるうちに、天気が変わりぽつぽつと雨が降ってきた。
大きな岩陰に足を止め、レインウエアーの上だけをはおり、ザックにはカバーを。ザックのポケットがカバーで覆われて使えなくなってしまうので、給水のためのペットボトルをレインウエアーのポケットに。傍らを見ると、さきほどの親子も、レインウエアーを着て登りを再開するところだった。


雨の中、雄山の山頂に着いたのは9時半。ニノ越、三ノ越をすぎ石仏の前を通ると最後の急登で山頂の社務所前に出た。古くから山岳信仰の栄えた山だけあって、頂には立派な社務所が建っている。この社務所の前の広場には、大汝山方面から下ってきたであろう団体の登山者たちが大勢休んでいた。みんな、雨が上がるのを待っている。
雨でさらにトレッキングパンツが濡れるので、レインウエアーの下を着るため社務所の中へ。中には、うら若き巫女さんがお守りやジュース等の販売をしていた。彼女はおそらく、夏の間のアルバイトなのかもしれない。
「毎朝、登ってこられるんですか?」と聞くと
「お泊りしてます」って笑いながら答えてくれた。

山頂の鳥居から、その奥にある3003mの頂の神社に向かって手を合わせた後、大汝峰に向かおうと数歩進んだときだった。さっきまでの本降りが雨も止み、急速に空が明るくなってきた。行く手には、雲の切れ間から夏の日差しが見える。
天気が晴れそうだった。社務所前のベンチにもどり、今度はレインウェアーを脱いで、ザックのカバーもはずした。長袖のシャツに、半そでシャツの重ね着、片手にペットボトルという朝のスタイルにもどったが、気温は20℃ぐらいなのでこの格好で快適だ。
社務所の前からガレ場の道を、正面に雲に隠れる剱岳(つるぎだけ)を見ながら進む。雄山から30分で大汝山。立山の最高峰(3015m)の山だ。日本で20番目に高い。山頂の岩と岩の間の狭いスペースでは、中年の夫妻が私の到着を待っていた。単独行(単独登山)の人は、自分の登頂記念の写真が取れないだろうからと配慮して待っていてくれていたのだ。初めて3000m超の山頂で、自分の写真をカメラに撮ってもらった。自分の姿を客観的に見る機会というものはなかなかないものだが、なにが嬉しいのか山の格好をした男がバカヅラ丸出しで写っていた。

さらに稜線を伝わって30分ほどで標高2999mの富士の折立。折立というのは、岩を折って突き立てたような山の形をさす。山道は山頂を巻いて、本当のピークは登山道のすぐ脇にそびえている岩峰だ。そのルートは岩峰の左手上にある。折立のピーク部分は花崗閃緑岩からできていて硬い。剱岳同様に氷河に削り取られた氷食尖峰で、そのピークの峻険な様は挑戦する者を圧倒する。普段はこのピークには登る人は少ないのだが、天気も良くなったことだし岩を伝って慎重に登ってみる。富士の折立は、劔岳と同じ高さなのだが国土地理院では独立峰としては認めらていない。
頭上に雲ひとつない折立の岩の上に立つ。登ってみると、思ったより広い。ここから見る天空のながめはすばらしかった。この富士の折立付近だけ、空が急速に晴れてきて天狗平、室堂、地獄谷、大日岳が眺望できる。そして、まだ山の東側は雲におおわれがちなのだが、黒部ダムが遠くに見える。さらに、真砂岳の向うには別山。その先は、ひときわ雲の流れが激しい雲の中から、ほんの一瞬姿を見せる巨大な岩の塊。剱だ。雲をまとった姿は神々しいほどだった。至福のながめだ。
カメラを手にしたまま、ずいぶん長い間、景色に見とれていた。10分ぐらい、空中展望を楽しんだだろうか。岩峰の下から、他の登山者の声が聞こえてきたので、その見知らぬチャレンジャーにピークを譲ってあげることにする。岩の陰で、彼らをかわそうと待っていたら、20代前半の身軽な格好をした関西弁の若者たちだった。
ピーク下(2999m)の標識まで下ると、先ほどのチャレンジャーたちの同行者だろうか。ピークの上にまだいる彼らを見上げながら会話している。ピークの下と上で普通に会話ができるほど、その直線距離は短いのだ。<気の済むまで、そこにいていいよ>ピーク上の若者たちに、彼はそう言っていた。

そろそろ、帰りの時間だ。何といっても、今日中に東京まで帰り着かなければならない。縦走路に戻り、真砂岳の山腹をトラバースする大走りコースを目指す。この大走りコースは別山の稜線を右に見ながら雷鳥沢へ一気に向かうエスケープルートとして知られている。稜線から急なザレ場の下りが延々と続き、ハイマツ帯に沿ってほぼ直線的にグングン下る。左右に遮るものがなくて開放的な景色。ずっと眼下には、色鮮やかなテント村のある広々とした雷鳥平を見下ろし、右手には巨大な別山を見上げる。振り返ると、真砂岳から立山連峰に続く稜線見える。少しガスって来た。さすがに疲れてきて歩くペースが落ち気味。
下っても下っても、まだ着かない。途中から岩混じりの道に変わり、浮石も多く歩きにくい。膝や足先にかなりの負担がかかり始めていたが、大走り分岐から2時間ほどでやっと平坦な場所に。「賽の河原」と呼ばれる広い草原だ。
大走りからの合流点付近。流れている川の橋を渡り、今度は標高差200m弱を登ることになる。ここから、室道のターミナルまでさらに1時間。
途中、雨が本格的になり、らい鳥温泉雷鳥荘の軒下で雨宿り。雨はかなり激しく降っていて、時折、雷鳴さえとどろく。先ほどまでの僅か1時間半ほどの天気は、貴重な晴れ間だったわけだ。

降雨など自然現象に対して、人は無力だ。立山だからというわけではないのだが、やはり、古来より信仰を集めた山の上に立てば、自然と神に祈りたくなる。神の機嫌を損ねたのはなんでなのだろう。ふと、平成元年の10月初旬に、紅葉登山に訪れた京都、滋賀の中高年者グループの遭難事故を思い出した。台風並みに発達した低気圧のせいで強い冬型気圧配置となり、猛烈な吹雪が10月初旬の紅葉を楽しむ彼らを襲ったのだった。
<また来るから、今日は帰して・・・・・・>
立山の神様に祈りが通じたとは思っていない。しかし、しばらくすると、激しかった雨が少しだけ小降りに。私は意を決し、山荘を出てまた歩き出した。ミクリガ池温泉を経由して室堂まで雨の中を黙々と歩いた。
急な勾配を登り終え、開けた場所にさしかかった時だった。かなり、前の方を歩いていたカラフルな雨合羽を着た小学生の兄妹とそのお母さんが、足を止めて遊歩道わきの草むらを覗き込んでいる。そして、後方をとぼとぼ歩いている私の方へ<雷鳥がいる>ことを告げに来てくれた(レッドリストの野生生物については撮影地は記載しないのがエチケットのようです)。
雷鳥を驚かさないように、子供たちに目でありがとうと伝え、静かに雷鳥の動きを見つめた。

知ってのとおり、ニホンライチョウ(日本雷鳥・にほんらいちょう)は氷河期を超えて生き残ってきた鳥だ。全長約370mm。夏は額、頭上、後頭が黒色。体の上面は黄褐色を帯びた暗灰褐色で黒と白の細かい横縞と、ところどころに黒色斑がある姿をしている。ワシ、タカ類による捕食を避けるため朝夕に活動するのだが、雨や霧の時は昼間も行動し、ツガザクラ、コケモモ、ガソコウランなどの新芽、葉、花、果など、オンタデ、タカネスイバの種子、新芽、ハイマツの芽などを食べる。このときも、雨のしずくを振り飛ばしながら、さかんにミヤマセンキョウの花を採食していた。立山の神様は、雨を降らすことで雷鳥を私に見せたくれたのだろうか。普段は神など信じない私であるが、なぜかこの時は山がまたおいでと言っているようで、女性の深情けのようなものを感じてならなかった。

人を怖れない雷鳥といえども、人間の立てる物音はイヤのようだ。親子が小声で話す声や、雷鳥の存在に気が付いた若いカップルが急いで近寄る足音に、雷鳥は多少緊張した様子で私が立っている方へひょこひょこ移動してきた。その足には個体識別用の足輪がはめられていた。その歩く姿を見ていて、私はなんだか彼らの世界に侵入した人間の一人として、申し訳ないような気持になった。この先、立山の登山客が増せば増すほど、植物の外来種の持込など植生に大きな影響を与えるのは必至だ。植生の変化は雷鳥に住みにくさをもたらすことになるだろう。だが今は、ひたすら、雷鳥に対して生き残れと祈るしかなく、自分の無力を感じざるを得ない。
雷鳥が、首をかしげてこちらを見ていた。私は、できるだけ静かにその場を離れた。

雨にたたかれた室堂。思い出になると余計なものがはぎ取られていくようだ。蒸し暑かった事、登りが辛かった事などは全て忘れ去り、楽しかった事だけが思い出となって行く。そして全てが素晴らしい山行きとなって、心の中の宝箱に詰まって行く。
<雪のころ、立山にまた来たい>
人はリスクを冒してまで、何のために山に登るのだろうか。私には、自分の気持ちを伝えられるだけの言葉を、今は持ち合わせていない。ただ、白い雲のように思いが流れていく。 了

スポンサーサイト

テーマ:自作小説 - ジャンル:小説・文学



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。