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私をスキーに連れてって2007
12月31日(日) 大晦日

ぼくは、テレビで見ていた紅白歌合戦を途中に切り上げてパソコンを立ち上げると、頼まれていたモーグルに関連した原稿の完成を目指してとりかかった。原稿を引き受けた当初は、WEBの特徴を活かして最新の話題をふんだんに盛り込んだ記事にしようと意気込んでいたが、なにせ入手できる最新情報が少なすぎた。少ない情報をかき集めてなんとかまとめ上げたが、その結果、モーグルの古き歴史を書き連ねた平凡な記事となってしまった。それに加えて、記事に添える写真がなかった。一応、先日、理津子とかぐらゲレンデを滑った際に何枚かの写真を撮ってはいた。しかし、天気が悪かったこと、いくらきれいなシュプールを描ける理津子とは言え、プロの洗練されたフォームと比べると問題点が多すぎた。また、モーグルではよく使われる減速のテクニックであるが、ターンの中盤から後半にかけて、コブの頭(表)をスキーのテールで踏み潰すような典型的なヒールキックを捕らえた写真が何枚かあった。しかし、事情を知らない人が見れば、後傾した暴走気味のすべりとして見るかも知れない。ということで、写真はこちらで用意しないで、原稿の依頼主のWEBデザイナーに適当な写真を任せることにした。もちろん、理津子本人の承諾なしに写真を使えば、肖像権の問題もある。

さて、書き上げた原稿はそのままを載せることはできないが、大まかには次のような内容となった。

『1960年代にアメリカで、プロスキーヤー達がデモンストレーションとして行っていたものがルーツとされるフリースタイルスキー。その原点にあるものは、ゲレンデにあるコブ斜面でどれだけカッコよく目立つかである。こうしたスキー競技が生まれた背景には、米国を中心にそれまでにない若者の生活スタイルに変化したことがあげられる。彼らが“解放”と呼んだ民族、法律、道徳といった既成の価値観からの脱却で、新しい価値観で自由に生きることを目指したものである。ヒッピースタイルと呼ばれる長髪に髭、ジーンズというファッション、サイケデリックな色彩感覚、限りなく自由を求めたロック音楽などが当時の文化だった。いわゆる“カウンター・カルチャー”(対抗文化)の誕生である。このような背景から、伝統的なアルペン、ノルディック、ジャンプといったクラシックなスキー競技にも新しい風が起こったのだ。
目立ちたがり屋がやるクレージーなスポーツの代名詞だったホットドッグの一種として知られるようになったこのフリースタイルスキーは、1970年代に入って、カナダを中心に本格的な競技会が開催されたのをはじめ、1979年、FIS(国際スキー連盟)により正式種目として承認され、1986年にはワールドカップが開催された。当初は、モーグル・エアリアル・アクロという3種目の競技をコンバインドで行うものだった。モーグルは、急なコブ斜面でターン、エア、スピードを競う競技である。エアリアルは、ジャンプ台を使って3回転3回ひねりや3回転4回ひねりなどの高度な空中演技を行う競技、そして、「アクロ」は、フィギュアスケートのように音楽に合わせてステップやスピン、フリップやジャンプを組み合わせて雪上を舞い踊る競技である。モーグルは1988年のカルガリー五輪で公開種目となり、アルベールビルオリンピックでは正式種目として採用された。現在、FISで認定されている正式な種目は、モーグル(デュアルモーグル)、エアリアル、スキークロス、ハーフパイプの4種目だ。モーグルは、これまでの力と技だけのスポーツから「魅せるスポーツあるいは芸術的なスポーツ」に進化したと言えるだろう。

モーグル競技は、コース全長235m (±35m)、コース斜度28度(±4度)のコースを滑り、30点満点で争われる。採点は、5人のジャッジが5点満点で行う。ターンの得点は15点と全体の50%を占める重要なポイントで、最低点と最高点を除外した3人の合計で計算する。フォールライン(山から谷への直線ライン)を外さずに直線的に滑っているか、コブの吸収はどうか、カービングターンの質はどうか、上体の安定性はどうかなどが採点対象になる。エアの得点は7.5点で、飛んだうちの良い2回のエアの平均点で採点する。シングル技からダブル、トリプル、クォード、クイントなどのアップライト系(立ち技系)や、3D系と呼ばれる宙返り技など異なる組み合わせと異なる難易度で飛ばなければならない。タイムは同じく7.5点。男子9.7m/sec、女子8.2m/secを基準に、コース長さからペースタイムを算出し、スピード点=15.625-(10×競技者のタイム)÷ペースタイムとしてスピード点を計算する。

現在のモーグルテクニックの土台を築いたのは、1994年のリレハンメルオリンピックで表彰台にのぼった3人の選手だ。ジャン・リュック・ブラッサール(Jean・Luc Brassard、カナダ)、セルゲイ・シュプレツォフ(Sergei Shupletsov、ロシア)、それとエドガー・グロスピロン(Edgar Grospiron、フランス)である。当時、この世界最強のモーグルスキーヤー(モーグラー)達は「3強」だった。中でもセルゲイは、忘れられない。彼は、1994年のリレハンメルオリンピックで突然現れ、ジャン・リュックに次いで銀を獲得する。まさに、衝撃的デビュー。そして、翌年のW杯を制したら彗星のごとく突然去っていった。享年25。セルゲイがW杯を制した時は、開幕から5連勝、出場全9戦中6勝、残りの3戦は全て2位とぶっちぎりだった。その圧倒的な強さに、「セルゲイの時代」が到来したと誰もが思った。その3ヶ月後、彼は新妻を残しバイクの事故で突然にこの世を去ったのだった。また、セルゲイは、オーストリアのキルヒベルグで史上最高点の28.80をたたき出してみせた。この点数はいまもなお破られていない。彼が伝説のモーグラーと呼ばれるゆえんである。
3強による三つ巴の戦い。当時、彼らは三者三様のモーグルスタイルで切磋琢磨していた。ジャン・リュックは、コブを舐め回すような柔らかく膝を使った華麗なターンと柔軟な体を生かして前に飛び出す美しいエアを得意とした(モーグルで唯一ターン点満点を出したのは彼だ)。エドガーはハイスピードでパワフルな滑りでコブを叩き伏せるようなターンと豪快なエアで圧倒的な強さを見せた。セルゲイの滑りは、二人の中間のアグレッシブな超高速ターンとキレと精度をあるビッグエア(100度まで上半身と下半身を逆方向に捻るツイスター)、ミスの無い完璧な滑りが印象的だった。彼らの滑りは人々に驚きと感動を与え、そしてモーグルは世界中で広く認識されるようになったのだった。

当時のモーグルでは、安全のためと言う理由で、体を斜めに傾けた状態で横向きに回転するコーク7や後転のバックフリップのような縦回転の技は認められていなかった。また、グラブ(スキー板を掴むこと)したら減点で、しかも立ち技系(アップライト)エアの連続回転数はトリプルまでといった今よりもコブを滑り降りる事が重視されていた。一方、モーグル発祥の地アメリカでは、プロのスキーヤー達は2人が同時に左右のバーンを滑り降りるデュアルモーグルで、しかもエアは5回の捻りを入れるクイントまでやってのけるような状況であった。FISの規則にがんじがらめにされたモーグル競技は、その競技発祥の自由を求める雰囲気からはまるで異なったものとなってしまった感がある。
そこで、原点に復帰しようする動きが出てくる。3強の一人、個人主義の国のフランス人エドガーは、規則を振り回すFISに対して公式試合で反則覚悟でクォードを繰り出した。しかし、彼はエアの乱れとして大幅減点された。この減点に怒ったエドガーは、FISに出向いて抗議を行ったらしい。結局、エドガーはこれを期にアメリカでプロになり、現在はコンサルタント会社を経営してる。皮肉な事に、エドガーがプロに転向した後、デュアルモーグルの導入、ナイター導入、グラブの解禁、「頭がブーツよりも下になってはいけない」と言う、暫定処置を経由しつつも3Dも解禁され自由度が増した。このルール改正で、よりアクロバティックになって見る面白さは増えたが、一般スキーヤーが到底到達不可能な技の体系になってしまった。

なお、3Dをやると踏み切りで速度を落とさざるを得ない。また、複雑な技になればランディングが難しくなるから、ターン点にまで影響する。ポイントをひたすら追求すれば、エアで使える技は限られてくる。スピードを求めたら、エアの踏み切りの時に減速することが必要な3D技は使えない。完璧な完成度のJ・L・B(コザック、バックスクラッチャー、コザック)か、クォードかクイントのツイスター、グラブか足を後ろに曲げて、スキー板を90度に交差させる アイアンクロスを入れたフロントフリップ(前転)くらいであろう。それゆえ、セルゲイらが競った時代よりも、現代のモーグルでは同じような技を各選手が選択しがちで選手の個性が出にくくなっている。
モーグルは、個人の考え方、パーソナリティが強く反映されるスポーツのはずである。今後も時代を超え、国境を越えてモーグル競技は進化し続けていくであろうと思われるが、自由を求めるその精神は決して変わらないことを祈る。』


ぼくは、原稿を仕上げると、WEBにつないで某巨大掲示板のレスを覗いた。ここ数日は、原稿にかかり切りでWEBをのぞく時間が取れなかった。パソコンの時計のアイコンを見るともう深夜0時をまわっていた。そう、新しい年2007年の幕開けだ。窓の外で、遠くのほうから花火の音が鳴っているのがかすかに聞こえた。掲示板専用ブラウザの画面を見ると、さすがに巨大掲示板とはいえ年末から元旦の朝にかけての書き込みはほとんどない。みんなパソコンから離れて、家族や仲間と新しい年の幕開けを祝っているに違いない。
2chのスレの住人達、特にぼくの書き込みに対しレスを必ず返してくれる『泉さん』、『小杉君』、『ヒロコさん』、『真理子さん』達とは、ヒロコさんが掲示板で公開した彼女の無料メールアドレスを通じて、ぼくらはプライベートのメールアドレスを交換し合っていた。というのも、ヒロコさんが予約してくれた志賀高原の宿に予約金を送る必要があったからだ。こうした何回かの個人的なメールのやり取りを通じて、ぼくらはさらに親しくなっていた。これから、彼らに新年のメッセージを送るとしよう。
ふと、かたわらに置いてある携帯の着信音が鳴っていることに気づいた。携帯のメールを開いてみると、八方尾根にスキーに行っている理津子からのメールだった。
<あけましておめでとうございます。新年を八方尾根スキー場で迎えています。心配していた雪は…ここ数日の寒波でなんとか間に合っていますよー!旅館の人の話によると昨日は吹雪だったそうで、ゲレンデ上部はパウダースノーo(^-^)o 下はカリカリのアイスバーン!でも雪がないよりか滑って降りられるだけましです。滑れるゲレンデが限られてるのでリフトもちょっと混雑ぎみです。しかし、寒い~!風もきつかった~。今年もよろしくおねがいします(顔文字)。>
添付された写真は、おそらく12月31日に撮ったものだろう。ゲレンデから遠くに雪をかぶった山々を写している。手前には真っ白なガラガラのゲレンデ。6人ほどのスキーヤーたちが点々見える。しかも、スノーボーダーは、写っていいる範囲では一人しか見えない。本当に気持ち良さそうだった。ぼくは、さっそく返事を書いた。
<賀正。りっちゃんがこの前言っていた『私をスキーに連れてって』の原稿を書き上げた。ttp://tetujin282828.blog89.fc2.com/blog-entry-2.htmlにあげてあるから、暇な時に読んで感想をください。スキー場空いているね。気持ちよさげで裏山水(うらやますい)。>

むらっけのある人間とは、まさに自分そのものだろう。2月に志賀高原でスキーをやることになってから、ぼくなりにいろいろな準備をはじめていた。というのも、一番、気がかりなのは体力だからだった。10年前ごろに会社の同僚とスキーに日帰りで行った時は、スキー場が空いていたことと、緩斜面の湿雪ゲレンデだったこともあり、ゲレンデをなめて一日中、片足ウェーデルンで滑っていたことがあった。この時は、滑っている間は特に疲労を感じてはいなかった。ところが、日が傾いていざ帰ろうという段になって、足の疲労が一気に押し寄せてきて、ゲレンデのど真ん中で立ち往生になってしまったのだった。日頃の運動不足は、てき面にやってくる。疲れ果てて、駐車場まで帰るに帰れない。そんな風に、一刻でも早くスキーブーツを脱ぎたいと思ったのは初めてのことだった。若い頃は、合宿で何本滑ろうが足の疲労を感じることなんて一度もなかった。もちろん、年齢による体力の衰えというものもあると思われるが、無様に変わり果てた自分が情けなかった。ひどくショックだった。
ぼくは、その苦い経験を思い出して、それなりに自主トレを開始したのだった。暇を見つけてのジョギング、階段を下りる時はひざを入れてエッジングの練習。寝る前に立ち姿勢での股関節の開閉運動と、パラレルターンのイメージトレーニング。さらには、左右に片足を伸ばしたまま足を開いてのスクワット。これはクレマーターンのトレーニングだ。昔はこれで<腱鞘炎になってもいい!股関節を脱臼してもいい!>とばかり繰り返していたら、本当に股関節を痛めてしまったことがあった。比較的、体の硬いぼくにとって、股関節は鬼門だ。スキーをはいていなくても、かなりきつい。こうした運動を、ぼくは新年そうそうやっていた。今年は、どんな年になるのだろうか。今年のスキー場では、どんな世界が待っているのだろうか・・・。ぼくは2月のスキーを思って、はやくもワクテカしていた。
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テーマ:自作小説 - ジャンル:小説・文学


私をスキーに連れてって2007
12月25日(月) クリスマス
きっかけは、インターネットの某巨大掲示板にある板(掲示ボード)だった。そこにある昔の映画に関連したスレッドへの書き込みだった。
<“私をスキーにつれてって”みたいなスキー映画のシナリオを書きたいです。みなさん、アイデアをください>
この書き込みは、最初は皆スルーでレス(レスポンス)はゼロだった。ところが、ぼくが、暖めていたストーリーのプロットを書き始めたら、あれよあれよという間に反応が増え始めた。
この書き込みは次のようなものである。


447 名前: 名無しさん@ゲレンデいっぱい。 2006/12/21(木) 20:54:56

”私をスキーにつれてって”みたいなスキー映画のシナリオを書きたい。
エロイ人、アイデアをください。


454 名前: 447 2006/12/21(木) 21:23:40 

とりあえず、今考えている映画のストーリーは以下です。
大手商事会社をリストラされて、派遣会社に勤めている46歳の中年独身男、
所崎が主人公。
商社マン時代に、会社のためにと、彼の部署でお荷物だったスキー用品の
販売プロジェクトをつぶす策略を企てた結果、間接的に現在のスキーブーム
の廃退を招いてしまったことと、そのプロジェクトチームはおろか、
自分までもリストラの対象になってしまったことを深く悔いている。
その所崎が、ひょんなことから2chの仲間や、親戚のスキーフリークの娘の協力
を得て、20年前に大流行したスキー映画の続編のためのシナリオ作りに取り掛かる。
シナリオ完成の発表会を2月10日の万座スキー場に設定し、発表会のイベント
として志賀―万座ルートのバックカントリースキー(BC)を計画する。
また、発表会のサブイベントとして、20年前にゲレンデで
結ばれたカップルに対してネットで呼びかけ、“結婚20周年の記念
クリスタルの指輪を旦那が妻へ贈る”
イベントを企画したのだが・・・。

テーマ「再挑戦・出会い・仲間」。
キャッチコピーは、「20年後のカップルたちへ、2chがスキー天国へ誘う」


459 名前: 447 2006/12/21(木) 21:43:40 

映画の題名は「私をスキーに連れてって2007」。
ネットでみんなが知恵を出し合って、最初は絶対に実現が不可能と思われた
バレンタインにプレスを呼んでの発表会にこぎつける。
つまり、ここでの書き込みの内容が、映画のシナリオにフィードバックされる
パラレルワールド映画ってわけ。
また書き込みする ノシ


482 名前: 矢野 ◆Bg2dOyvA3s 2006/21/21(木) 22:13:57

トリップつけた。

とりあえず、スペック
所崎46歳独身 売れないスポーツライター(商社マンから転職)
その昔スキー場通いした典型的な東京ウェーデルン派。
商社マン時代に勤務していたスポーツ部で会社のために良かれ
と思い仕組んだ策略のため、今日のスキー人気の陰りを招いたこと
を人知れず深く悔やんでいる。 

理津子34歳独身 一部上場のメーカー総務勤務
シーズン中は毎週末スキーへ。エロかっこいいアクティブなモーグル派。

泉和彦、小杉正明、佐藤真理子、羽田ヒロコ、恭世(やすよ)、
ゆり江は今のところノーアイデア。彼らのキャラを考えてくれ。

あとなんかある?


486 名前:矢野 ◆Bg2dOyvA3s 2006/12/21(木) 22:28:42

>>483>>484
映画の題はいろいろ考えた。‘60~’70年代のハリウッド映画を参考に
「万座・ドリーミング」 「思い出の冬」 「スキーに愛をこめて 万座の夜」 
「万座は霧にぬれて」など・・・。ぜんぶイマイチ orz
とりあえず、良い題名が思いつけば後でそれと変更しる。
ラストは完成した映画の試写会。観客で満員の映画館で所崎
が感激の涙かな。
>>485
ラブストーリーはムズいっす。40歳台の恋愛って、不倫のイメージが・・・orz
だから、泉和彦、小杉正明が佐藤真理子、羽田ヒロコへが結婚20周年記念の
プレゼントを贈るシーンを、映画のシナリオ発表会で・・・
当然、泉和彦-ヒロコ夫妻、小杉正明-真理子夫妻ってことに。
あっ、この名前はとりあえずここだけの仮名ね。シナリオでは別よん。
 
490 名前:矢野 ◆Bg2dOyvA3s 2006/12/21(木) 22:37:37

>>487
12月10日 苗場 理津子とのスキー
       (理津子から映画のシナリオを作成するようそそのかされる)
12月24日 2chへ協力要請の書き込み レスの嵐
12月31日 映画原作小説の完成
2月10日  万座 モーグル競技大会、シナリオ発表会、志賀-万座BC
       (結婚20周年記念:プレゼント渡し)
11月3日  映画完成 試写会
       矢野夫妻と20年ぶりの涙の再会   
・・・・・・・・・・・・・って感じかな。


497 名前:矢野 ◆Bg2dOyvA3s 2006/12/21(木) 22:45:50

>>488
芸能人をほとんど知らないんだけど、理津子にはモデルがいて、
その子は菅野美穂に似てる。
菅野美穂って博多出身じゃなかったっけ?スキーはだめだろうね。
主人公の所崎は、年齢が合わないかもしれないけど、
やっぱり、竹中直人さんですかね。
その他は、ノーアイデア。・・・って芸能人を知らないんすよ・・・orz
>489
シナリオ発表会では、『私スキ』の当時を偲んで2chの仲間が集まって
みんなで滑る。もちろん、当時のスキーウェアーを着用。
40歳代のおじさん、おばさんたちが、フォーメーションの
ウェーデルン、ムカデ、などなどを・・・。
どうよ。


502 名前:矢野 ◆Bg2dOyvA3s 2006/12/21(木) 22:53:18

いっそのこと、リアルでシナリオ発表会をやったりして・・・。
>>491
今の時代は携帯ですよね。
スノーボードは無視できないけど、
40歳代の私をスキーに連れてって世代がやりますかね。
>>493
しょーもない冗談だなw
<今年はひっかかるか、ばぁ~か>
>>499
菅野美穂って、さいたまか。・・・orz
>>500
発表会は18時から。
『私スキ』では、レセプションかなんかで時間をつぶしているんすかね?
志賀―万座BC 遅くても19時までには絶対・・・・
<ウェイト・フォー、ウェイト・フォー>


506 名前:矢野 ◆Bg2dOyvA3s 2006/12/21(木) 23:02:09

>>503>>505
そうなんすよ。音楽が一番重要すね。
松任谷由実で同じ曲を選択するしかないですかね。
なんてったって、名曲でしたね。
>>504
そうか、ネットワーカーと私をスキーに連れてって世代って違うんだ。
だけど、今このスレにカキコしてる、おまいらは何モン?


513 名前:矢野 ◆Bg2dOyvA3s 2006/12/21(木) 23:13:24

バレンタインの時期は、プリンスホテルはもう予約で一杯なのか
・・・orz。
その時期だけ、20年前のスキー場って感じだね。
ところで、ヒロコさんってそっちの業界の人?
>>507
たしかに志賀-万座ルートってスキーを担いで歩くようだ・・・orz。
でも、映画となれば「万座の灯りだ」は、絶対、ぜーたい、
捨てられないよね。
>>508
OK。・・・っていうか、みんなで、『私スキ』2007制作委員会を
<はじめてもいいんですね、いいんですね?>
<あー、佐々木さんに一応連絡しといて>


515 名前:矢野 ◆Bg2dOyvA3s 2006/12/21(木) 23:27:25

>>514
年末までに原稿をつくってどっかのHPに載せます。


517 名前:矢野 ◆Bg2dOyvA3s 2006/12/21(木) 23:30:31
>>916
久しぶりに執筆意欲がわいてきた。
おっし、みんなの名前、映画のクレジットに入れるぞ。

質問なくなってきたので風呂入って寝るよ。
おまいら、よいシナリオを考えれ。


532 名前:矢野 ◆Bg2dOyvA3s 2006/12/22(金) 21:23:26

ただいま
昨日書いたストーリーの補足です。
今日はネタばれ中心で行くから、読みたくない人はスルーして。

知っている人は数少ないけど、実は、1987年に公開になった
「私をスキーに連れてって」には、実在のモデルがいたんだ。
ニツイ物産の矢野文男、池上優、田山雄一郎、所崎仁志の4人。
矢野が企画した世界初の統一カラーコーディネートのプランは、
バブルに浮かれて急増したスキー用品の需要逼迫にため、
メーカーの生産が追いつかず、結局、夢物語に終わった。
その責任を取って田山は退職。矢野はバンコック
の支所に左遷。そして退職。

その後のバブルの終焉。スキー用品の在庫の山を抱えた
メーカーの惨状を見れば、所崎のやった行動は会社にとって
最良の判断だったと言えるが、やり方が卑劣すぎた。
ということで、所崎も北海道に左遷され、そこでスキー三昧の生活
を送る。
所崎は、田山や矢野にいつかは謝罪したいと思いながらも、
連絡が取れない状態のまま、リストラされて退職。
売れないスポーツライターに。

親戚でスキーフリークの理津子に背中を押され、自分の体験を基に
「私をスキーに連れてって2007」の原作を完成する。
また、所崎は理津子に伝説のサロットのロゴの入ったスキー用具
を使っている46歳ぐらいの人をスキー場で見かけたら連絡を
くれるように頼む。
市販されなかった道具なので、使っているとすればきっと矢野達だ。
理津子はバレンタインの週末に志賀で、レストランの前に置かれていた
サロットのポールを見つけて、その持ち主に会って所崎のことを伝える。
<・・・会いたい>
一方、映画化の話は、2chの仲間達の協力を得て、とんとん拍子に。
そして完成。その試写会の日。
所崎は、映画館で矢野と優の夫妻に20年ぶりに出会う。
理津子が口沿いしてくれたのだ。
所崎は、嬉しさとなつかしさで顔をくしゃくしゃにする。
矢野はさわやかな笑顔で挨拶。
手にしてたサロットのポールを所崎に手渡す。
所崎は、後頭部を手で8回叩きながら、
「サロットかあ」感激で涙、なみだ。
「田山さん、俺を恨んでないかい」 <過去は忘れろ、過去は。>
「恨んでなんかないっすよ」と矢野。
優は涙を浮かべた所崎に向かって「バーン」
20年前の所崎の行為を許したのだった。
・・・ジエンド。


535 名前:矢野 ◆Bg2dOyvA3s 2006/12/22(金) 21:29:40

>>524
いま、カッコイイ車ってなんだろう。みんなワンボックスカーじゃないかな。
>>526
東京ウェーデルンって、その昔の東京方面の自称スキー上級者
の滑りのこと。
腰から下が妙にくねくねの滑り。決してほめ言葉ではありませんが
伝説の滑りです。
昔のスキー板との組み合わせで始めてできる技です。
>>531
結婚20周年って陶婚式。クリスタルを贈るんだよね。
>>533
忘年会お疲れ!
引きこもりなんか、なんのその。ネーラーが発表会を
やっちゃうんですね。
<いいなぁ。ぴったり。最高っ、最高だろ? 最高だよ。じゃあね。>


539 名前:矢野 ◆Bg2dOyvA3s 2006/12/22(金) 22:39:51

>>536
実は、田山さんは病床・・・と思われ。矢野は懸命に看病ってな訳で・・・。
田山さんは今、富良野。じゃなくて東京の病院。
>>538
サロットのポールの持ち主は矢野。
志賀にいる理津子から万座の所崎に連絡が行くが、
発表会で志賀には行かれない。
翌日、所崎は5時間かけて志賀に向かうも、矢野には会えずじまい。
(あるいは横手山の頂上で、万座に向かおうとしてた理津子たちが
<そのコース冬は滑れないんだよ>
と矢野と優に呼び止められる・・・でもok?)

542 名前:矢野 ◆Bg2dOyvA3s 2006/12/22(金) 22:46:06

>>541
じゃ俺も、絶対映画化は「ダメな方に1万円」
orz


545 名前:矢野 ◆Bg2dOyvA3s 2006/12/22(金) 22:48:36

>>544
そうだ、飯食ってなかった。
差し入れのケーキ食いに行ってくる。
<うそよ、うそ。オトコ46、いろいろあるわ>
またあとで ノシ


558 名前:矢野 ◆Bg2dOyvA3s 2006/12/22(金) 23:34:34

<ハーイ!>
ただいま、飯食ってきた。
帰りにコンビニでクリスマスケーキを買おうとしたのだが
予約して無いと買えなかった。 ・・・orz。
>>554
発表会、リアルでやるんすか?
2月の連休は今のところ、大丈夫です。
さっきまで、シナリオなんて無理だよねと思ってたけど。
おまいらの書き込みみていると、元気が出てくる。
おまいら、さいこーっ。

560 名前:矢野 ◆Bg2dOyvA3s 2006/12/22(金) 23:44:49

>>559
発表会の準備は <とりあえず・・・。>

1.会場の手配、設置、運営
2.ライティング、BGM機器の手配
3.MC(プロ)の手配
4.ポスター、DVDなど配布物の準備
5.打ち上げ花火、仕掛け花火の準備

あと、一番大事なのはスポンサー探しだね。

563 名前:矢野 ◆Bg2dOyvA3s 2006/12/22(金) 23:51:59

>>561
発表会のゲストとして上村愛子選手なんかどうよ。
<長谷川君。いいな~最高!最高だろ?>
>>562
小杉さん。夜間BCのライティングは全然考えてなかった。
どーしよー。やっぱ、バッテリー式のライトを背負うんですかね。


565 名前:矢野 ◆Bg2dOyvA3s 2006/12/22(金) 23:59:07

花火って高い。
しかも、花火を打ち上げんのに、免許が必要なのか・・・orz。
・・・諦めました。


569 名前:矢野 ◆Bg2dOyvA3s 2006/12/23(土) 00:07:39

アウトドア用のLEDのヘッドランプを一人3個ぐらいつけて
滑れないすかね?
それと、スポンサー募集用のDVD、だれか作ってくんない?


577 名前:矢野 ◆Bg2dOyvA3s 2006/12/23(土) 00:11:27

バックカントリーは、山小屋に届出が必要なのか・・・orz。
>>507のレスを思い出し、いっそのこと、3月に
志賀―草津のへリスキーでも・・・。

スマン混乱してレス遅くなってる


589 名前:矢野 ◆Bg2dOyvA3s 2006/12/23(土) 00:18:37

みんなの意見を参考に、ストーリーを以下に変更
12月10日 苗場で理津子とのスキー
       (理津子から映画のシナリオを作成するようそそのかされる)
12月24日 2chへ協力要請の書き込み レスの嵐
12月31日 映画の原作小説の完成
2月10日  万座で2chのOFF会。フォーメーションスキーのイメージビデオ撮影
       志賀の理津子よりサロットのポール目撃の連絡あり。
       翌日、5時間かけて志賀に車を飛ばすも、持ち主には会えず。
3月23日  シナリオ発表会、志賀-草津BC、フォーメーションスキーのデモ。
       (結婚20周年記念パーティ)
11月3日  映画完成 試写会
       矢野夫妻と20年ぶりの涙の再会  


595 名前:矢野 ◆Bg2dOyvA3s 2006/12/23(土) 00:23:03

>>589
理津子とは一回り年齢が違うから、恋愛は無理。
<聖心が俺に惚れるか?>


610 名前:矢野 ◆Bg2dOyvA3s 2006/12/23(土) 00:37:21

>>603
泉さん。2月10日のOFF会、今のところOKです。
何人ぐらい集まるんだろうね。和室2部屋で大丈夫?
>>606
ヒロコさん、宿の手配ありがとう。


620 名前:矢野 ◆Bg2dOyvA3s 2006/12/23(土) 00:43:27

モーグルのコースは、人海戦術で作るんだ。じゃあ、レースの
プロモートは絶対無理だね。
それと、上村愛子タソは、WCで海外遠征中のようだ・・・orz。

そういえば、矢野が言っていたんだ。発表会のあとは、泊まるとこ
なくてヒロコと真理子はセリカGT-Fourで仮眠。
矢野たちは、プリンスホテルのロビーで仮眠。
翌朝、矢野と優は、田山さんからお金を借りて、スキーウエアーのまま
スキーバスで帰京。他の4人はGT-Fourで5時間かけて志賀までもどり、
みんなの荷物を持って(矢野の車も)帰京。
とにかく泊まるとこなくて大変だったらしい。

あれっ!矢野からこんな話を聞いた俺ってだれ?
現実とストーリーが混乱してきた。
スマン、今日は落ちる。
だんだん力抜けてきた。
みんな、ありがとう


696 名前:矢野 ◆Bg2dOyvA3s 2006/12/23(土) 20:08:38

<ヨロレイホー!>

とりあえず 昨日の夜から原稿が結構進んだ。
オシャー、年末までに完成させるぞーっと。

>>池上さん。
そうか、「バーン」は矢野以外にしちゃダメなのか。
20年かかって、ようやく「バーン」の意味がわかりました・・・orz。

よって、以下に変更
「サロットかあ」胸いっぱいで涙、なみだ。
「田山さん、俺を恨んでないかい」 <過去は忘れろ、過去は。>
「恨んでなんかないっすよ」とやさしく矢野。
優は矢野に向かって「バーン」
矢野のやさしさに惚れ直したのだった。
・ ・・ジエンド。
<変な話ですよねぇ~>
↑ なんか変。変。とっても変。 俺って、才能ない。
モチツケ・・・自分  orz。

704 名前:矢野 ◆Bg2dOyvA3s 2006/12/23 (土) 20:25:04

ところで、今更こんな話で申し訳ないんだが
俺、もうすぐ50歳のじいさんなんだ。
みんなよりも、年齢がだいぶ上だと思う。
こんな、じじいの世迷いごとにつき合わせて、みんな ご め ん な。
決して簡単に映画になるとは思わないし、
だから、みんなの気持ちを考えるとやるせない。
昨日はこれを考えて寝られなかった


710 名前:矢野 ◆Bg2dOyvA3s 2006/12/23(土) 20:33:52

発表会のことはゆっくり考えるよ。
3ヶ月近く時間があるしね。

ここまで盛り上がったら、意地でも最後までやる。
もちろん映画になる・ならないは別にして。

>>709
泉さん。参考にしてたいんでURL教えてくれると助かる


712 名前:矢野 ◆Bg2dOyvA3s 2006/12/23 (土) 20:44:49

>>711
真理子さん、ありがとう
あとでゆっくり読ませてもらう。

俺、スレ違いだからどっかHP上でやった方がいいのかな?


715 名前:矢野 ◆Bg2dOyvA3s 2006/12/23(土) 20:49:19

ところで、おまいら、クリスマスはスキーに行かないの?
>>713
ネタなのか?


718 名前:矢野 ◆Bg2dOyvA3s 2006/12/23(土) 20:55:28

>>714>>716
わかった、このままここに駐在させてもらう

それじゃ、今日はこれで落ちる
また原稿が進んだら報告に来るよ


759 名前:矢野 ◆Bg2dOyvA3s 2006/12/24(日) 12:06:57

Merry Christmass!
誰もいないようなので報告だけ。

3月の発表会もリアルでやると決めたよ。
みんなの意見や>>719>>720読んで決意が固まった。
プレスを呼べるかどうか難しいかもしれないが
やれることは全てやる。ケテーイ。
スポンサー探しは、いちかばちかであたってみる。
サントリーとプリンスホテルあたり・・・かな?。

768 名前:矢野 ◆Bg2dOyvA3s 2006/12/24(日) 14:13:26

実は、他の原稿の締め切りが待っている・・・orz。
<ごめんなさい、私忙しいんです>
<この暮れのくそ忙しい時に・・・>

おそらく、年末までここへ来る余裕がなくなる。
原稿が完成するまで報告控えるよ。
それまで待っててくれ
みんな、ありがとう ノシ


792 名前:矢野 ◆Bg2dOyvA3s 2006/12/25(月) 21:04:18

ちょっとだけ報告

ブログに原稿の下書きを載せた。
アドレスは↓
ttp://tetujin282828.blog89.fc2.com/blog-entry-2.html
原稿は年末までになんとか完成させる。
でも、しゃれたセリフを書けるほど、才能ない。
申し訳ない。だれか原稿を基にシナリオの作成をたのむ。

色々意見書き込みしてくれるみんな、
全てにレス返せないが全て読んでる。
ありがたく参考にさせてもらうよ。

じゃ、また。


822 名前:矢野 ◆Bg2dOyvA3s 2006/12/25(月) 22:35:29

<ハーイ!>
俺も今、窓際族。いつリストラされるかわかんない。
お互い が ん ば ろ う !

>>793
スポンサーは、1万円から受付。 値段に応じて企業名を載せたり、
発表会に招待したり、いろいろ特典あり。
>>794
渋峠スキー場。。。
頂上に向かって、クワッド右側の林間コース
(シンプルコース、ブラインドコース)
国道最高地点『渋峠』(2172m)を通り長野県志賀高原と
群馬県の草津温泉を結ぶ日本有数の山岳スカイライン。
ちなみに万座へは湯釜と白根山の間あたりに分岐がある。
>>795
スノーモービルとか、バギー車とか考えたけど、
林間コースに勝手に乗り入れたらひんしゅくもんだよね。
>>797
ヨーロッパではスノーボードが消えたそうな。
日本でも、プロと違って自分たちのスキー場での惨めな姿は、
とても人前に見せられるものではないと自覚するんじゃまいか。
あやまることはないよ、色んな意見感謝してる
>>798
あの頃はウェーデルンが憧れの滑りだった。上級者の証だった。
わざわざリフト脇の人目に触れやすいところを、
クネクネタコ踊りしながら滑っていた。
>>802
はじめまして。
<おまいら、お百度踏みなさい!>


825 名前:矢野 ◆Bg2dOyvA3s 2006/12/25(月) 22:54:20

>>823
いままでは、メーカーやスキー場など業界から押し付けの
文化だったと思うんだ。
だが、2chのみんなが立ち上がって、自分達の文化を創ろうとしてる。
ナチュラリストとしてのスキーヤー。
これが、俺を突き動かすドライヴィングフォースとなっている。
ありがとう。みんなv.
>>824
重要なことは、メーカーに踊らされてド派手なリゾートウェアを
追い求めるのではなく10年、20年と使えるスキーギア、タウンユース
に使えるウエアを選択することだ。
毎年、買い換えなきゃならないウエアなんて、リサイクルの時代
に逆行しているし、そんな将来の地球環境にツケ回すような
メーカーはみんなで拒否しようよ。

じゃ、抱えてる別の原稿の締め切りが近いのでもう落ちる。
今夜は1時まで・・・orz

テーマ:自作小説 - ジャンル:小説・文学


私をスキーに連れてって2007
東京ウェーデルン

12月10日(日) 初すべり
先月のことだ。11月の土曜日の昼下がり、ぼくは浦和に住む従兄弟の長女の理津子に電話した。まだ独身で優雅な生活を送っている理津子を、土曜の午後に電話で捕まえるのはほとんど無理だろうと思っていた。しかし、電話口に出たのは何のことはない本人だった。
「ご無沙汰してます。元気?」
こうして、ぼくが彼女に直接電話するのははじめてだった。理津子とは、もう10数年も会っていない。ぼくが学生の頃、東京で3畳一間のアパートに一人暮らしをしていた時は、しょっちゅう、いとこのところへ食事をご馳走になりに行っており、当時幼かった理津子やその下の双子の姉妹といつも顔を会わせていた。しかし、大学卒業後に就職した企業の最初の配属先が栃木県の事業所だったため、その頃から、ぱったり訪れることもなくなってしまった。そして、東京へ戻ってきた今でも従兄弟の所へは、なんとなく遊びに行きそびれている。理津子に最後に会ったのは、おそらく彼女が中学生の頃だったろう。親戚かだれかの結婚式の時だったと思う。母からはその後、理津子が東京の大学を卒業して、一部上場会社の総務課へ就職したことは聞いていた。趣味でライターをしているぼくが十数年ぶりに彼女へ電話したのは、従兄弟から彼女が得意と聞いたスキーのモーグルのことを教えてもらおうとしてのことだった。というのも、モーグルについての簡単な記事の執筆を、知り合いのWEBデザイナーから頼まれたからだった。
こうしたスポーツ記事の執筆依頼は、多くはアウトドア情報サイトを運営している会社などがクライアントで、3000字程度の文章と数枚の写真を記事として依頼されることが多かった。ただ、実際に文章を書くともなれば、多少のことは調べなければならない。すずめの涙ほどの原稿料に比べれば、文章をまとめるための苦労はかなり多く、とっても割に合わない仕事だった。だからこそ、趣味でやっている部分もあると言える。僕自身も学生時代にスキーに没頭していたが、スキーに行かなくなってから久しく最近の話題にはついていけない。まして、フリースタイルのモーグルは一度もやった経験がなく、記事の執筆を引き受けたものの何を書いたらいいのか見当もつかなかった。
理津子は30歳をとうに過ぎているが、まだ独身貴族の生活を満喫している。そして、従兄弟、つまり両親とともに浦和のマンションに住んでいる。彼女はモーグルに熱中しており、夏でも月山などへ車を運転して滑りに行ったり、スキーシーズンが到来すれば毎週週末にスキー場通いしているらしい。いつだったか親戚の法事で顔を会わせた従兄弟から聞いていた。理津子に聞けば依頼された原稿のネタの一つか二つは何とかなるかなと思っての電話だった。
理津子は、会社のスキー同好会に所属しているらしい。つまり、彼女は、一人でスキー場通いするヒトリストではないということだ。会社の同じようなスキーフリークの連中と、12月上旬にいつも初すべりに行くとのこと。ぼくをスキーに連れてってと誘うと、二つ返事でOKだった。たまには、中年のおじさんと滑るのも面白いなんて言った。そして、ぼくらは、12月10日の今日、待ち合わせして日帰りスキーに出かけることになった。

彼女の住む浦和のマンションで朝5時に待ち合わせしたぼくは、白のステップワゴンで理津子を迎えにいった。マンションの前の道路に車を止めて、駐車違反を気にしながら4階の従兄弟の部屋まで階段をダッシュした。部屋のドアの呼び鈴を押すと、玄関ドアを開けて理津子が顔をのぞかせた。10数年ぶりに会ったのだが、えらく綺麗になっていて驚いた。とは言いものの、いくらか中学生の頃の面影が残っているようにも見える。早朝だというのに、しっかり化粧も終えていてそれなりにエロかっこいい。ひと目でスキーへ行く準備が終わっているのがわかった。ドアの隙間から、これまたまだ独身の次女、理恵が素顔でハジャマ姿のままにっこり笑いながら顔を見せに来た。
「綺麗になったね」ぼくは挨拶も忘れて、呆然と理津子の顔を見つめてしまった。
「今日はよろしくお願いします」
理津子はぼくを見つめて微笑んだ。ぼくははじかれたように理津子のスキー板を受け取ると、マンションの階段に向かって歩き出した。路上止めて置いたステップワゴンの後部座席のシートはすべてたたんで、ラゲッジスペースを広く取っている。ぼくは、理津子のスキーとバッグをそのラゲッジスペースに押し込むと、運転席に回り乗り込んだ。後ろからついて来た理津子が助手席に座った。天井のスイッチをスライドさせて室内灯をつけると、ぼくは駅前のコンビニで買った缶コーヒーを律子に手渡し、スキー場までのルートの確認をした。ステップワゴンのエンジンをスタートさせる。千葉の自宅から浦和に着くまで聞いていたAMラジオから、AFN(American Forces Network:米軍放送網)が流れ出した。AFNでは日曜の朝のこの時間に、Adult Contemporaryをやっている。圧倒的に多いのが、大人が好きそうな今のポップス、昔のトップ40中心のAC (Adult Contemporary) Soft Rockだ。オールディーズというのも、ちょっと前まで50年代、60年代を指していたような気がするが、今はオールディーズといえば60年代70年代になっているようだった。ぼくはドライブのときは必ず音楽を聴く。ただし、ぼくのステップワゴンにはカセットテープしか音源がないので、いつもは、ポータブルのMP3プレーヤーからFMラジオにトランスミットして聞いている。その日は、理津子が普段どんな曲を聞くのか全く知らなかったので、とりあえずはラジオを聴いていたのだった。

「なんと呼んでいいのか、ずーと理恵と相談していたんです」
「なんでもいいよ。じじいじゃなきゃ」
ぼくは理津子に答えた。ぼくがまだ高校生の頃、地方に住んでいたこともあって予備校の夏期講習の受講のため、従兄弟の家に2週間ぐらい泊めてもらったことがあった。当時、まだ幼少だった理津子やその下の双子の姉妹は、ぼくに良くなついて胡坐をかいて座っていると必ずいつもまとわり着いてきた。両手で彼女達を高く抱え上げるとすごく喜んだ。そして、当時、彼女達からぼくは”ポパイのお兄ちゃん”と呼ばれていた。きっと、半そでのシャツから覗いた二の腕がそんな印象を与えたのかもしれない。だが、まさか、50歳に近づいたこの年で”お兄ちゃん”と呼ばれても、他人から見ればキモイだけだろう。
「サンドイッチ作ってきたんですけど食べます?」
「ありがとう」
ぼくは、サンドイッチを一切れ受け取るとハンドルを握りながらほおばった。はさんである中身は、スパイスの効いたチキンのスライスとチーズとレタスだった。
「おいしい!チキンは自家製?」
「そうです」
ぼくは、理津子にタンドリーチキンのレシピを教わった。そんなに難しくなさそうだ。今度、クリスマスにでも作ってみようと思っていた。

一般道を走って、やがて外環浦和ICから東京外環自動車道に乗る。東京外環自動車道を西に向かってひた走り、大泉JCTに出た時は、空が白み始めていた。天気は晴れ。朝というのに、さほど寒さは感じず、スキー場に向かっている実感がない。ぼくは、車を路肩に寄せて、ポータブルDVDの電源をシガーソケットにつなぐと、本体をダッシュボードに乗っけてDVDをスタートさせた。何事がはじまったのかとDVDの画面を覗き込んでいた理津子は、スタートした20年前の映画に思わずつぶやいた。
「ああ、これ懐かしいですね」
<キューガシャキューガシャキューガシャキューガシャ>懐かしいドットインパクトプリンタの音が車内に流れる。
<出来ましたあ。 検算はしたんだろうな、 お、おい矢野ォ。>
<1番線から電車が発車します>
<キョロロロロロロロロ、プッシュウ>
画面では、主人公が金曜日の夕方、会社から飛び出してスキーへ行く準備を始める。
「いつもスキー行く時って、こんな感じ?」
「こんな時もあります」
理津子がDVDの画面を見ながら笑って答えた。
「この映画1987年のものだから、りっちゃんが中学生のころか・・・」
DVDから車のエンジンをスタートさせる音が聞こえ、そして荒井由美の『サーフ天国、スキー天国』が流れた。
<ゲレンデのカフェテラスで すべるあなたにくぎづけ~>
「いいなあ・・・。いつもシーズンはじめはこのビデオを観てたんですよ」
理津子が目を画面に釘付けにしてつぶやく。
「かぐらに着くまで、暇つぶしにその映画を観ててね」
ぼくは理津子に答えた。

関越自動車道に乗り換えて月夜野ICを目指した。前橋を過ぎて、途中、トイレ休憩のため駒寄PAに寄る。赤城ICを過ぎたあたりから、雪がうっすらと積もった景色へと変わっていく。8時ちょうどに月夜野ICで高速を降りて国道17号、新潟方面に北上し三国峠へ出た。ここから県境越えになる。三国トンネルを挟んで群馬側、新潟側とも駐車場がある。快晴だった群馬を抜けて新潟へ出ると天気はどんよりと小雨。外気温は1度。外は寒いが何せ暖房が効いているので車内は結構暖かい。路面は安定しており、チェーンの必要はなさそうだった。「トンネルを抜けると…」で有名な、川端康成の「雪国」で描かれた越後湯沢、豊かな自然に抱かれて身も心も開放されていく。猿ヶ京温泉を過ぎたあたりから坂と急カーブが多くなり、道幅の狭い箇所もあり運転がタイトになった。高速を降りてからの国道17号では、スキーをつんだ車が何台も走っており、流れが結構速かった。ぼくらは前を行く車のペースに合わせていたから、常時ややスピードオーバーだった。月夜野ICから、約1時間走って田代スキー場に到着する。このスキー場は国道17号線沿いに大駐車場があり分りやすい。ここは田代、かぐら、みつまた3つのスキー場がつながっている。

駐車場に車を着けたぼくらは、車の中でスキーウェアに着替えると、大駐車場のそばの山麓駅から100人乗りの田代ロープウェイでスキー場へ登った。さすがにスキーフリークの理津子は、ダークブルーのFABLICEのロゴの入ったジャケットと、ひざの白いアクセントが目立つパンツ。真新しそうなウェアだ。全日本の佐々木選手や湯川選手の愛用のウェアだそうだ。そして、ニット帽にオークレーのゴーグル、ひどく短めのポール。ヘストラのレザーグローブ。老舗のHartのスキー板とGENのブーツ。(メーカー名を言われてもほとんど知らない・・・20年前にはなかったメーカーだ。)
一方、ぼくのほうは20年前に買ったLLビーンズのウールの裏地付きのマウンテンパーカー。(地球温暖化の今時、ウールの裏地付きのマウンテンパーカーは、古着屋でしか探せないそうだ。)これまた20年前に着ていたエレッセの黒のパンツ。ロシニョールのSMコンペ、180cm。ラングXRIのブーツ。

田代エリアには3つの山頂があり、それぞれいくつかのコースに滑り降りられ、横につながっている。そこをたどっていくと、かぐらエリアに入ることができる。かぐらは標高が高いので比較的良い雪質と景観のスキー場だ。ただし、去年は大雪で、12月でも多すぎるくらいの積雪があったが、今年はさっぱりと理津子が言う。積雪量は60cmといったところだろう。かぐらゴンドラの山頂駅を降りると目の前に急斜面があり、しかもここは非圧雪ゾーン。ぼくは10年ぶりぐらいか、最後がいつだったか思い出すのも苦労しそうなほど、久しぶりにゲレンデに立った感触に喜びを感じていた。
「板、長いですね」 
理津子がめずらしいスキー板のようにぼくのスキー板を見た。スキー板の先が尖っているのが、時代の流れを感じてしまう。その昔は200cmの板を履いていたのだが、滑降競技から足を洗ってはじめて購入した板がこれだった。当時、一緒に滑っていた仲間は180cmの板を見ていろいろ言ってきた。確かに、短い板は高速で滑った時に不安定かなと思っていたが、実際に乗ってみるとまわし易い利点があっても不都合な点はなかったと思う。短い板が流行りだした頃でもあった。

[よし、じゃ行こう」
ぼくは、ゴーグルを付け直すと、ぽんとポールを交差させ、目の前のこぶに向かって滑り出した。
<ガリガリ>
滑り出して最初のこぶでトップを跳ね上げられ、思いっきり後傾したところで、スピードをコントロールできなくなり、そのまま新雪の上を直滑降で落ちる。ゲレンデの隅にどうにか逃げ込んでようやく体勢を整え、重心をはずして急ブレーキしたつもりが、こぶにひっかかって両足のビンディングがはずれて、前につんのめる。新雪に頭からダイブ。
後ろから、理津子がきれいなシュプールを描きながら降りてきた。
「いやあー、びっくりした!凍ってるね・・・」
ぼくは、立ち上がると頭の雪を払いながら言い訳をした。
「大丈夫ですか?」
「死んではいない・・・」ぼくはゴーグルについた雪を叩き落とす。
「こぶができてますね・・・」理津子がうれしそうに言う。
ゲレンデの真ん中辺には、座り込んでスキーヤーの邪魔になっているスノーボードをつけた子供たちが大勢いる。これは、このスノーボードというスポーツが日本では、まだルールもマナーも出来ていない事を表しているのだろう。スキーヤーよりスノーボーダーの数が多く、全体の7割程度いる。もはやスキー場ではなくて、スノーボード場といった感じだ。スキーヤーは、ぼくのような年恰好の年配者、スノーボーダーは若い人と年齢で分かれている。ゲレンデの中央は急斜面を除いて整地されている。これはスノーボーダーのスライド気味のすべりのお陰だろう。そして彼らを避けて、それらしい格好をしたモグラー(モーグルスキーヤー)がコースの端を何人か滑っていて、そこには、こぶのラインができつつあった。どうやら、モグラーはこうしたこぶを見ると無性に嬉しいらしい。また、周りをよく見回していると、ゲレンデスキーヤーでポールを突いて滑っているのはモグラーを含めてぼくらだけのようだった。ターンの時にポールを突くぼくらは、まるで変態のようだ。今のカービングスキーではポールは必要ないらしい・・・

ぼくらは午前中、主にかぐら第1高速リフトを使って、リフトの両側ジャイアントコースとテクニカルコースを滑っていた。両コースともに多少アイスバーンがあり、結構面白い。リフト待ち時間は10分程度。午後になるともっと空いて来て3分ぐらいで乗れてしまう。ぼくがスキーに夢中になっていた20年前と比べると、このリフト待ちの時間の短さはとても信じられない。当時は1時間以上の待ち時間が当たり前だった。ひどい時には3時間も待たされたことがあった。車の中で観た”私をスキーに連れてって”の映画が流行った時代。高度1980年代の過熱気味の高度経済成長に伴って、日経平均株価は上昇を続け3万円の大台に乗った頃のことだ。日本は「Japan as No.1」の言葉どおり、自信に満ちあふれていた。レジャー産業が盛んになり、各地の山の樹林が切り倒されてゲレンデとして乱開発され、スキー人口は増え続けていた。
1989年、日本のスキーマーケットで200万台のスキーが売れた。アメリカで110万台、ドイツで80万台。その数量を見れば日本の200万台は異常な販売数であったと言わざるを得ない。だれもが、スキー場をめざしていた時代だった。
 
お昼はかぐらの定番と理津子が言う「和田小屋」で食事をした。プリンス系スキー場では異例の美味さとのこと。けんちんうどんを2人で注文した。野菜たっぷりでたしかにウマい。結局、三俣エリア・かぐらエリアともに終日天候は雪。みつまたは湿雪で、かぐらは柔らかい雪。コースにはところどころ草やブッシュが出ている。ぼくらは、午後の始めくらいまでかぐらで、その後はみつまたで滑っていた。途中でかぐらゴンドラが機械故障で運転が中止に。理津子は頑張ってずっと練習していた。短いポールを持ち、腕を前に出し、あるいは肘を外に突き出して、不必要と思えるくらいのショートターンで滑っていた。
一般に、モーグルでは、フォールラインを外さずコブ斜を降りてくる。つまり、谷に向かって直線的に滑り降りてくる。したがって、広いゲレンデで気に入った連続コブを選択し、執拗に同じラインを何度も滑るようだ。このラインはモグラー同志の安全のため、1ラインに1人しか入ることができない。したがって、ラインが空くまで、順番待ちを強いられることになる。モグラー特有の、最も特長ある行動形態が、この「ライン待ち」のようだ。モグラーが数多くいるゲレンデでは、当然この「ライン待ち」の待ち時間が長いことになる。だから、モーグルラインで下手に転倒しようものなら、しかも、スキー板をはずしてしまおうものなら、上でライン待ちしている大勢のモグラーの冷たい視線を浴びてしまう。視線だけならまだいいが、最悪の場合は、こぶ斜面の上からモグラーやスノーボーダーが降ってくる場合もある。したがって、こぶ斜面でバランスを崩した場合は、ラインを思いっきりはずして(ゲレンデのすみまで耐えて行って)そこで存分に転ぶなり、スキー板をはずすなり、ナンパするなりした方が良さそうだ。
ということで、ぼくらはこぶ斜面を主体に、「ライン待ち」をしながらまったりと滑っていた。理津子いわく、ぼくのすべりは、どうもものすごく昔の古臭い滑りらしい。それは、スキーの形状がそうさせるのであって、今のカービングスキーでは絶対真似のできない滑りなのだそうだ。すなわち、昔のスキー技術は、曲がるには加重、加圧をきちんと意識して、板をずらしていかないとターンができなかった。ところが、今のカービングスキーではずらさなくても、角ヅケさえ与えてやればスムーズに曲がるとのこと。早い話が、昔のスキー技術では、両ひざを揃えて8の字に運動させることで、スキーへの加重、加圧をしてスキー板をずらしていたが、今はひざを左右に振るだけでターンができるらしい。もう一つ言えば、今のスキーは板のズレがない分、ターンのスピードが速いことになる。なんどか、こぶのない斜面で理津子と同じタイミングでターンをして滑ってみたが、どうしてもターンの度に置いていかれる。細かいターンを連続させた時の滑走スピードの差は明らかだった。
「その滑り方、うちの会社の人たちは東京ウェーデルンって呼んでるんですよ」
雪面でぼくの両方のスキー板のテール部分が、まるで箒で掃くように左右に振られるのをみて理津子はそう言った。その昔、東京方面の自称スキー上級者が好んで滑った形らしい。もちろん、昔のスキー板とセットでなければ再現できない技で、絶滅の危機に瀕している技とのことだった。

途中、休憩してお茶を飲み、さらにこぶ斜面を何本か攻めていたが、気がつけばもう15時だった。
ここで今回は時間切れ。みつまたには行かず田代に戻る。かぐらエリアは奥まっているので、かぐらのリフトは他より早めに終わってしまうようだ。公式サイトでは17時までとなっているが、リフトによっては15:30頃で終わり。苗場へのドラゴンドラも15:30に終わっていたような・・・。
さて、次はどこへ行こうか?

帰りの車で、理津子は気を使って頑張って起きていてくれたが、疲れたのかそのうち助手席で寝てしまった。彼女が睡魔に襲われる前に、ぼくらはスキーが昔みたいにメジャーなウンタースポーツになるには、なにが必要なのかを熱心に話し合った。彼女の意見によれば、80年代後半のスキーブームの隆盛と衰退の原因は、朝、車の中で観た「私をスキーに連れてって」にあると言う。あの映画にあおられて、日本の当時の若者たちは日本経済の好況に浮かれ、カッコイイ外国のスキーやスキーブーツを買っていた。映画に出ていたから、みんなが持っているからと自分も持ちたいと思って買い漁っていたのだ。だけど、その時が過ぎると誰でも持っているものをダサいと感じ始めるようになって、一気にブームが消えてしまったという意見だった。彼女に言わせれば、ぼくのように20年前のアウトドア古着を着て滑っているおじさんは「ちょいわるおやじ風」でカッコいいかもしれないとのこと。まあ、スキー場へのアッシー君として1日奉公したぼくへの最大限のお世辞なのだろうけど。実際には着るものがないからしょうがないだけのことなのだ。
彼女はさらに、「私をスキーに連れてって」をリアルタイムで観た世代は、そろそろ子育てが終わってゆとりがでてくればスキー場に帰ってくるかもしれないとも言った。きっかけがあればとのことだ。
「ライターをしているのなら、“私をスキーに連れてって2007”のシナリオを書くなんてどうですか?」
などと理津子は勝手なことを言う。
「Tokyo Driftっていう映画がありますよね。あれは車のドリフトターンするのを描いた作品だけど、昔のスキーはドリフトが主体だから、そんなすべりを撮った映画は流行るんじゃないですか?」
「それって、アメリカからヤンキーが留学してきて、日本のおっさんグループにスキーの挑戦をするってストーリー?」
「あっ、それいいじゃないですか?」
「絶対無理だね。第一、スキーでドリフトさせても横滑りするだけでかっこ悪いもん。ボーダーだって観にこないだろうし」
ぼくは言いたいことだけ言って寝てしまった理津子の寝顔を見て思わず苦笑してしまった。
<ライターと言っても、ぼくは趣味で書いているだけ。本屋で売れるようなストーリーは逆立ちしたって書けないよ・・・>
さて、明日は仕事だ。急いで帰ろう。ぼくらは、帰りの高速を思いっきり飛ばして家路についた。

テーマ:自作小説 - ジャンル:小説・文学



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