プロフィール

tetujin282828

Author:tetujin282828
このブログは、tetujin's blog(Broach)の倉庫です。
本体はココ→ http://pub.ne.jp/tetujin/
小説関係だけをまとめて置いてあります。
倉庫だけに、コメントへのレスなしをお許しください。
(本体に遊びに来ていただければ嬉しいです)



最近の記事



最近のコメント



最近のトラックバック



月別アーカイブ



カテゴリー



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



ブログ内検索



RSSフィード



リンク

このブログをリンクに追加する



スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


夢をくれし桜

スポンサーサイト

テーマ:日記 - ジャンル:日記


私をスキーに連れてって2007
忘れ雪

3月17日 草津国際スキー場

志賀高原のOFF会から戻ってからは、みんなで3月17日(土)に開催を決めたシナリオ発表会の準備で結構急がしい日々を送っていた。OFF会で取ったスキーのビデオは合計2時間以上の長さがあったが、これを編集して3分程度、数10メガバイトのファイルにまとめて映画のプロモーションビデオを作った。この編集作業を担当したのはコスギくんだ。先月のOFF会の夜にタナカさんのデジタルビデオカメラのSDカードをアダプターを介して持参したノート型パソコンに接続し、そのMPEG2データをハードディスクにコピーした。そのデータを自宅に持ち帰り、AdobeのPremiere Elementsを使って編集したとのこと。OFF会の夜の宴会中に簡単な編集作業の様子を見せてもらったが、いくつかの動画(クリップ)をドラッグ&ドロップで配置するだけで面白いように映像の編集ができていた。タイトルを入れたり、特殊なエフェクトをかけられたりでプロが作るような映像の作成も可能とのことだ。1週間も待たずに、いくつかのバージョンの映像を仕上げて彼のホームページにアップロードしてくれた。ぼくらは、それぞれの映像を自宅のPCでダウンロードすることで、自分の好きな時間にその映像を鑑賞することができた。ぼくらはインターネットの利便性を充分に利用した。そのようにして、最終的に決まったのが各シーンをつなぎ合わせた約3分間の映像だった。当初の予定では、「私をスキーに連れてって」を真似て松任谷由実の初期のナンバーを映像にかぶせるつもりであったが、音楽著作権の問題などで見合わせた。そのかわり、ナレーションを入れることにした。このナレーションを担当したのがルソーくんだ。完成したプロモーションビデオは、15秒から長くても30秒程度のシーンが次々と出てくる構成で、出演したぼくらが驚くほどの躍動感にあふれた映像になっていた。それに加えて、ややたどたどしくも、ルソーくんのDJ風の英語のナレーションがスピード感があふれる映像を盛り上げている。なかなかの力作である。最初は、動画のデータは大きいので、DVDに焼き付けてと考えていたが、CD-Rでも十分なサイズに収まっていた。
そのほか、スキー場の様子や滑っているところなどを撮ったデジカメの写真の中からベストショットを20枚選び、映画の原作のテキストファイルと合わせて先のプロモーションビデオとともにCD-Rに焼きこむこととした。もちろん、スポンサーの募集要項も一緒に焼きこむ。このCDを作る作業を分担して、各個人が自宅で行っていた。データを記録したCD-Rの印刷面に、インクジェットのカラープリンタでタイトルを印刷して作業は終わり。この印刷のデザインはヒロコさんが担当した。夜のスキー場を背景にしたなかなか斬新なデザインだ。できあがったCD-Rを、めいめいが決めたスポンサーになってくれそうな企業や団体へ郵送したのだった。ぼくが送った会社は、サントリーと上毛新聞社、NHK、スキーメーカーのサロモンなどだ。いずれの企業・団体も、ネットで所在地を調べてそこに郵送した。できるだけたくさんの会社に送れば、そのうちどっかの会社や団体が興味を持ってくれて、スポンサーとして支援してくれることになるかもしれない。他のメンバー達も同様、手当たり次第、いろいろな企業へCD-Rを送って、シナリオの宣伝とスポンサー募集をしてくれていた。ぼくらは、毎日のようにメールを交換し合って、その日の活動を報告しあっていた。
プロモーションビデオの発送を開始してから1週間が過ぎると、映画の原作をテキストでアップロードしていたぼくのホームページのアクセス数がいつもの倍になっていった。あっちこっちで宣伝した効果が表れているのだろう。ぼくはこのアクセス数の増加に、ひょっとしたらとんとん拍子に映画化がうまく行くかもしれないと、あらぬ期待を抱いた。いったい、シナリオ発表会には何人の人が集まるのだろう。大盛況のイベントとなるかもしれないと期待がいやがおうでも高まっていった。

シナリオ発表会の準備については、ぼくらはメールでやり取りして概略を決めていた。スポンサーからの資金については、集めてみなければわからないので、発表会の費用はできるだけ負担が少なくなるように手作りで行くことになった。発表会場はゲレンデのすみっことし、各自が自前のアウトドア用のテーブルとイスを持ち込んで会場を設営する。各テーブルにノート型パソコンを置き、それぞれのパソコンをシンクロさせてロングバージョンのビデオを表示させる。3月のことだから、おそらく雪はもう降るまい。もし、雨が降ったら、当日は傘などの雨具が必要になるかもしれない。発表会の司会はルソーくんが担当だ。英語でのDJ風の司会で場を盛り上げてくれるはずだ。彼のDJのかっこよさは、プロモーションビデオのナレーターで実証済みだ。司会のセリフを前もって決めておけば、あとは彼がアドリブで何とかしてくれるだろう。ルソーくん自身も結構その気になっており、まんざらではない様子だった。発表会用のオーディオ装置は、FMマイクとCDラジカセを使う。CDラジカセを3台ぐらい配置して、マイクの音を拾って拡声させる。スキー場はパブリックスペースだ。だから、他のスキーヤーにできるだけ迷惑をかけないように音量は抑える方針で行くことにした。
事前にスキー場に問い合わせたら、草津国際スキー場は3月10日でナイターリフトの営業は終了予定とのこと。だから、3月17日に開催する発表会はナイターの時間をあてる事はできない。開催時間を15:00~17:00として、夕刻迫る発表会の照明はアウトドア用のLEDランプを補助的に利用することにした。その時間にはスキー場のリフトに設置された照明も利用できるのだが、できるだけ華やかにするためには、多数のLEDランプで会場をライトアップすることが必要となる。このため、ネットで調べて安いアウトドア用のLEDのテーブルランタンをいくつか準備することにした。このランプの調達はイズミさんが担当してくれることになった。
また発表会の際に、ぼくらはショーとしてフォーメーションスキーのデモンストレーションをすることにした。パソコンの小さな画面でも先月撮ったフォーメーションスキーを見ることができるのだが、実際にスキーをして見せた方がより盛り上がるに決まっている。ぼくらメンバーは、ある程度自慢できるスキーの腕前を持っていて、これほどの技術を持ったスキーヤーがそろうのは滅多にあることではない。なによりも、発表会の当日はスキー場にいるのだから、スキーを滑らない手は無い。
心配なのはパソコンのバッテリーだった。特ににぼくが持っているIBMのA4ノートは数世代前のものでバッテリーもヘタリつつある。雪山など気温の低い所に持っていけば、30分も持たずにバッテリーが上がってしまうかもしれない。そこで、バッテリーがあがってパソコンでの表示ができなくなり次第、用意しておいた多数のデータCDを配布することにした。続きは、自宅に持ち帰って見てもらうことになる。こうして、ぼくらはお互いに発表会を盛り上げるためのアイデアを出し合って準備を進めていった。
ぼくらは、主にメールで連絡を取り合っていたが、メンバー達は以前のようにときどき2chのスレッドにも書き込んでいるようだった。定期的に2chをのぞきに行くと、スレッドが思いもかけずに伸びていることがあり、そんな時はメンバーのだれかの書き込みにいろんな人からの反応があった時だったりする。お互いにメールでの連絡がしっかりと取れているので2ch掲示板のスレッドをのぞく意味はあまりないのだが、ある意味でぼくらがやろうとしていることの良い宣伝になっているようだった。だから、一時のように毎日スレッドを巡回することはしなくなったが、たまに訪れた時にタイミングよく書き込みを見つければ、ぼくもそれにレスをできるだけ書くようにしていた。

3月16日の金曜日。いよいよ、発表会の前日がやってきた。インターネットで調べると、3日前に冬型の気圧配置ながら気圧傾度が緩んで、上空に寒気が入ったため日本海側では結構、雪が降った。3月に入ってようやく本格的な寒気の張り出しで大雪になった。長野の石打丸山は一晩で100cmも積もり、数日前まで土が見え50cmしかなかった積雪が一気に150cmになったらしい。天候に左右される商売に携わる方たちには何とも皮肉で恨めしい雪なのだろう。これが「3月の忘れ雪」ってヤツだ。 大抵、毎年3月の忘れた頃に雪が降る。名残の雪、雪の名残、雪涅槃、涅槃雪、雪の終わり、終雪、忘れ雪。春に降る雪、降り終いの雪の呼び方はいろいろある。都内でも明け方から所々でぱらついていた雨が朝7時にミゾレに変わり、その後は一瞬だけ風花のような雪に変わった。都内の朝7時の気温は5度と高かったが、湿度が低く融けずに地上まで到達したのだった。平年より73日、昨年より95日遅い初雪だ。明治9年の観測開始以来、最も遅い記録らしい。今年は初雪で終雪となるだろう。この時期の天気は気圧配置の周期的な変化から、4日周期で天気が移り変わっていく。移動性高気圧が通過すると気温が昇り、次の日には低気圧が通り雨となり、3日目は天気があがり、強い西風が吹き気温が下がり、4日目には移動性高気圧が近づき風が弱くなりしだいに気温が上がる。関東は春がそこまで来ている。今年は桜の開花も早いだろう。
会社で仕事を終えて大急ぎで電車に乗って自宅に戻ったぼくは、前の晩にパッキングしておいたダッフルバッグ、ストックを自宅の駐車場に止めたステップワゴンのカーゴルームに詰め込み、FALKENのマイティネットチェーンを取り出しやすい場所に移動した。最後にスキー板を車に積み込むと、運転席に乗り込みシートベルトを着用した。忘れずに、発表会用に準備したアウトドア用のテーブルとイス、CDラジカセが積まれていることを確認する。エンジンを始動、ヘッドランプを点灯。おもむろにMP3プレーヤーを取り出し、カーステレオにトランスミットする。さあ、出発だ。
流れ出すVo Vo Tauのイントロと同時に、アクセルを踏み込んだ。スキーに出かける時は、この瞬間のわくわくする感じがたまらない。MP3プレーヤーには2006年に解散してしまったVo Vo Tauのbestアルバム、むちゃくちゃ古いがふと聞きたくなってしまったレベッカのリミックスアルバム Complete Edition、そしてユーミンのひこうき雲などが入っている。最初に流れたVo Vo Tauは、1998年9月にRyo-thing(G)、Pei(B)、Sugar(Dr)がLAの音楽学校で出会い、黒人ラッパーと共に結成されたHIPHOP系のR&Bバンドだ。LAのクラブで活動していた彼らは帰国して2003年10月に「Vo Vo Tau 01hz」でアルバムデビューする。1stシングル「裸~Nude~」の大ヒットにより脚光を浴び、日本では稀なR&Bバンドとして音楽シーンに新たなジャンルを示した。生バンドでの温かみのある楽器の音色と打ち込みを融合させたループ系のトラックに、紅一点のRingがソウルフルに歌い上げるメロディーがスキー場に向かう静かな興奮をさらに盛り上げてくれる。
明日の草津に集まるメンバーは、ワタナベくんを除いて先月のOFF会に集まったメンバー6名に、親戚の理津子と2ch掲示板で何度かレスをくれたマリコさんの計8名だ。ワタナベくんは、義理があって同日に苗場で開催される全日本スキー技術選手権に行くとのことだった。また、今回初めて参加するマリコさんは、ヒロコさんの車にJR長野原草津口駅でピックアップしてもらって参加する。親戚の理津子は、ぼくのステップワゴンに便乗して前の晩からスキー場に入る。ぼくらは、草津国際スキー場そばの音楽の森ヘリポートで朝10時に待ち合わせをした。草津スキー場までは、都内から上信越道碓氷軽井沢インターを経由して関越道が渋滞していなければ3時間足らず道のりだ。だが、ぼくにとっても、理津子にとってもへりスキーは初めての体験であり、また、草津までの道路の込み具合や路面状況がわからなかったので、前の晩からでかけることにした。スキー場の駐車場で仮眠して、翌朝、みんなとヘリポートで合流することになる。

ぼくは、理津子をピックアップするため、首都高を経由して浦和に向かった。草津国際スキー場へは、事前にメールでヒロコさんからの助言を得て、今回は練馬を経由せずに浦和ICから東北道を北進して館林ICへ向かうことにした。館林から国道354を経由して国道50号を西に向かい、北関東自動車道伊勢崎ICから高崎JCT・藤岡JCTを経由して関越自動車道渋川伊香保IC へ。渋川伊香保ICからは国道145を経て国道292で草津国際スキー場へというルートだ。館林ICから国道を50kmほど走るのだが、時間帯を選べば意外と国道はスムーズで、関越の花園・所沢付近の渋滞に巻き込まれないといった利点があるとのことだった。とりあえず浦和ICを22時到着を目指して、ぼくは京葉道路を走っていった。浦和に着いた時は、ちょうど真南付近で空の中ほどからやや上方にかけて、春の大三角形が南中していた。一番西側(右側)に見えるのはしし座のデネボラ、一番低い位置(下側)に見えるのはおとめ座のスピカ、一番東側(左側)に見えるのはうしかい座のアークトゥルスである。この星空の向こうに雪山が待っている。
浦和で理津子の自宅に寄り、彼女ををピックアップしてぼくは予定通り東北道へ入った。道すがら、シガーソケットにつないだDC/ACインバーターから電源を取ったノート型パソコンで、ぼくらのプロモーションビデオや、渡辺一樹のスキー講座のDVDを再生して見せた。
「プロのスキーヤーみたい。カッコイイですね」
PC画面に流れる、ぼくらのプロモーションビデオの映像を食い入るように見ていた理津子が感想を漏らす。
「だろ!」
この約3分のビデオには、ビデオカメラの撮影を一部担当したこともあって、ぼくが滑っているシーンは1カットしかない。それも、縦に3列の6人でフォーメーションを組んでウエーデルンをしているシーンなので、ぼくは前列の真ん中を滑ってはいるものの小さくしか写っていない。しかし、そのシーンは、みんなの息がぴったり合っていて自慢のシーンの一つでもあった。そのシーンに差し掛かると、理津子はぼくの姿を画面に見つけたようだ。昨年の12月にいっしょに滑って、東京ウエーデルンがどんなすべりなのかを彼女はわかっているので画面に小さくしか写って無くてもぼくのすべりは識別できるようだ。彼女には、昨年の年末から2ch掲示板のみんなと映画のプロモーションビデオを撮ることになった経緯を説明してある。そして、理津子のルックスなどを2ch掲示板に書きこみを入れたことから、一時、掲示板で彼女のことが相当話題になったことや、発表会に出席するメンバー達のたっての希望で彼女の参加をお願いしたことなど、おおよその経緯を彼女は知っている。彼女自身、2chのスレッドを時々覗きに行っているようで、ビデオのメンバー達のことはだいたいわかっているようだった。できるだけゴーグルで顔を隠して個人が特定できないように撮っているものの、ビデオに写っている背の高い若者がヒロコさんで、恰幅の良いおじさんがイズミさんで、ガイジンの青年がルソーくんであることなどを彼らとまだ会ったことが無いにもかかわらずメンバーを識別できているようであった。

途中休憩を入れて、草津国際スキー場天狗山レストハウスそばの駐車場に到着したのは深夜の1時過ぎだった。駐車場のすみには、車の窓の内側にアルミを蒸着した断熱マットを貼り付けた車が数台止まっていた。ぼくらと同様にここで仮眠して、明朝から滑る連中なのだろう。レストハウスのトイレはずっと使えるらしいし、きれいだった。ぼくらも、できるだけトイレに近い場所で先の車から離れてステップワゴンを泊めると、寝支度にとりかかった。前列と2列目のシートを倒してフラットにする。シートの上にエアマットを敷くためポンプを使って膨らましていると、大きなボリュームでカーオーディオをガンガン鳴らす黒のマツダプレマシーがぼくらのすぐ横に止めて来た。恐らく乗っているのはスノーボーダーなのだろう。車内灯をつけた向こうの車の助手席のガラス越しに、運転していた20代の男と目が合った。向こうは男2人組だ。
<ガラガラの駐車場なのに、なぜすぐ隣に止めるんだろう?>
エアマットを膨らましていたぼくは、エアポンプを押す手を止めて隣の車をチラッと見た。エンジンをアイドリングにしたまま、車内灯をつけっぱなしの隣の男達もこちらをチラチラ見ている。発表会に来てくれた香具師たちなのだろうか。ほとんど無人の駐車場だし、夜中のことなので不気味だ。ぼくは、理津子に倒したシートにしっかり捕まるように言うと、イグニッションのキーを廻してエンジンを始動した。ATセレクトレバーをドライブに入れ、その場所から静かに離れて駐車場の真ん中辺に向かった。ここなら、となりにくっつけて停めるヤツはおらずアイドリングの音に悩まされることもないだろう。
シュレーディンガーによると、「生命は、ネゲントロピー(負のエントロピー)を取り入れエントロピーを排出することで定常状態を保持する開放定常系である」としている。エントロピーは、『無秩序な状態の度合い』を表す数値である。無秩序な状態ほどエントロピーは高く(数値が大きく)、整然として秩序の保たれている状態ほどエントロピーは低い(数値が小さい)。自然の法則に従えば、すべての事物は、時間とともにそのエントロピーは常に増大し続け、外から故意に仕事を加えてやらない限りそのエントロピーを減らことはできない。しかし、しばしば生命活動はエントロピー増大の法則に逆らう。これは生命が未知のエネルギーによって活動しているためで、このエネルギーがシュレーディンガーの言うネゲントロピーと名づけれるエネルギーとされる。しかしこれでは、生命活動の結果、時間の経過とともにエントロピーが減少してあたかも時間が逆転しているように見えることになる。そこで今は生命は解放系であるとされており、エネルギーを取り込みいらなくなったエントロピーを外部に排出し構造を維持していると説明されている。つまり、「我々の生命や生活、経済的な営みは、根源的に、”エントロピー増大の法則”という法則に支配されながらも、『開いた系』を構成し、エントロピーを減ずることによって成長を遂げている特異な存在である」と理解すべきであろう。さらにわかりやすく言えば、わざわざ広い駐車場でぴったりくっつけて車を停めたがるのは生命の不思議がなせる業で、それを嫌って別の場所に移動してエントロピーを増加させることは宇宙の真理に合致していることなのだ。
ぼくらはエアマットを2つ膨らませてから、次に車の窓にホームセンターで購入しておいた片面にアルミを蒸着した保温シートを貼り付けた。ポリエチレンの薄いシートなので断熱性はさほど期待できないが、少なくとも窓の結露を防いで窓の内側が凍りつくのを防いでくれるだろう。おまけに、シートを窓に貼り付けることで、車の外からの視線をさえぎることもできる。理津子も手伝ってくれてシートをマスキングテープですべての窓に貼り付け終わると、ぼくはバッグからダウンシュラフを取り出して広げた。ぼくの持っているダウンシュラフは数年前にキャンプ用に買ったモンベルのスーパーストレッチバロウバッグ#3である。この#3は快適睡眠温度域0℃~なので、3シーズン使える。ひと頃、キャンプに行くつもりでアウトドアグッズをいろいろ揃えたのだが、実は一度も出かけてはいない。キャンプ用のクッキング用品などは実生活で結構重宝しているものの、シュラフは一度も使用せずに押入れのすみに押し込んだままになっていた。一方、理津子が持参したダウンシュラフは彼女がいつもスキー場で前泊する車の中での仮眠用で、同じメーカーのモンベル製ながら型番は#0だった。国内の冬期登攀や海外の高所登山・遠征などに耐える高い保温性を備えたもので、快適睡眠温度域-16℃~らしい。彼女が言うには、真冬でもどんなに気温が氷点下に下がろうが、そのダウンシュラフにくるまればこれまでに寒さを感じたことはないとのことだ。ぼくの比較的薄いシュラフを見て夜中にぼくが凍えることを心配した理津子は、二つのシュラフをジッパーで連結させて一緒にくるまって寝ましょうかと言ってくれた。一つのシュラフに入って寝たら、年少の頃から知っている親戚の女の娘とはいえ相手はうら若き女性だ。平常心を保ったまま寝られるほど、紳士でいられる自信はない。もっとも、翌朝、二つのシュラフが本当に連結できるかどうか試して見て、シュラフのジッパーが同じ位置の組み合わせだったので、ぼくらのシュラフは連結できないことをあとで知ったのだが・・・。
ぼくは、セーターを着込むと、フリース製のライナーにもぐりこみ、さらにゴアテックス製のシュラフカバーで2重にしてその中にくるまった。数分もするとシュラフの内部は体温で温められ快適な温度になった。どうにか寒さを感じることはなさそうだった。それでも、理津子は心配して、寒かったらいつでも起こしてくださいと言いつつ、車の前列シートの隙間をエアマットごと乗り越えて体を寄せてくれていた。ぼくの左腕に理津子の柔らかな体と体温を感じる。そして、理津子の髪のシャンプーのやわらかな香りが鼻腔をくすぐった。ぼくは心臓がバクバクして、なかなか眠れそうもなくなってしまった。

翌朝、静かな夜明け時、窓の外は一面の雪景色だった。雪は音もなく相変わらず降り続いている。3月中旬とは思えない冷え込みだ。凍てつく大気が張り詰める中で、新雪をまとった大地が徐々に目覚めていく。5時に起きようと思っていたのだが、いつの間にか6時近くまでウトウトしてしまったようだ。ぼくは理津子を起こさないように寝袋から抜け出すと、ドアを開けて車の外に出た。駐車場に降り積もった雪の上に、ぼくの足跡が黒く残されていく。ファーストトラックだ。レストハウスの自動販売機で缶コーヒーを買うとぼくは車に戻った。ドアを開けると、理津子はもう起きだしていて身支度を整えていた。理津子が作ってきてくれたおにぎりで朝食をすませると、それからヒロコさんが今晩の宿泊を予約してくれたホテルに向かった。スキー場から3分のそのホテルは貸切露天風呂とバイキングの食事が自慢の宿だった。早朝の到着にもかかわらず、ドアマンが荷物の積み下ろしを手伝ってくれる。ぼくらは、目の前の駐車場に車を置くと荷物を預かってもらって更衣室でスキーウエアーに着替えた。待ち合わせの時間まで結構時間が余っていたので、ぼくらはホテルのロビーで適当に時間をつぶすことにした。とりあえず、フロントで仮チェックインをして、露天風呂を適当な時間に予約した。それから草津スキー場のリフト割引券をフロントでゲットした。ついでに、「私をスキーに連れてって2007製作委員会」あてにかかってきた電話をぼくの携帯に転送してくれるように依頼した。朝の忙しい時間にもかかわらず、フロントの男性は丁寧にご対応してくれた。驚いたのは、サントリーからジュースやビール、発泡酒、カクテルなど段ボールのケースで2つ、製作委員会あてに届いていたことだ。たしかに、サントリーにはスポンサー募集要項を入れたCDを送った。しかし、宿泊先の連絡はしていないし、もちろん、サントリーからはなんの連絡も来ていない。ひょっとしたら、メンバーの誰かが強力なコネを使ってサントリーに支援を依頼したのかもしれない。
それからホテルのロビーでまったりしていると、ぼくの携帯に最初はイズミさんから、つぎにルソーくんから、そしてヒロコさんから連絡が入った。こんな山奥でも、感度良好で携帯電話の電波がキャッチできるのが嬉しい。電話の内容は、いずれも、道路は順調で待ち合わせ時間までに到着予定とのことだ。
時計を見たら9時前だった。そろそろ、音楽の森のヘリポートまで行こうとしたその時だった。ぼくの携帯がなった。着信を見ると知らない番号だった。
「もしもし?」
「ヤノさんですか?」
「いえ。・・・いや、そうです」
電話の向こうから若い女性の声が聞こえた。そうだった。ぼくはネット上では、みんなから<ヤノ>と呼ばれてたのだった。だから、あわてて応答する。
「ヤノさんのホームページにのっていた連絡先のホテルに電話したら、そちらの携帯の番号を教えてくれたんですけど・・・。今日、草津スキー場でシナリオ発表会をやるんですよね?」
「ええ、やります」
「私も参加していいですか?」
「どうぞ。歓迎します」
「宿は泊まれます?」
話を聞くと、彼女はこの週末に志賀高原にスキーに行くつもりでいたらしいが、皇太子ご一家が静養のため奥志賀に滞在中とのことでそっち方面はいろいろな交通規制がされていることと、いっしょに行く予定の友達が急に行かれなくなったので滑る仲間を探していたらしい。ネットでいろいろ調べているうちに、ぼくらのシナリオ発表会を記載したホームページにたどり着いたとのこと。できれば、イベントを手伝ってみたいと彼女は言う。そして、彼女とは、発表会会場の天狗山ゲレンデで落ち合うことになった。彼女は、これから埼玉のアパートをでて、特急電車で高崎を経由してこっちに来るそうだ。皇太子ご一家の旅行の影響がどの程度のものか予測がつかないが、普通なら上野から3時間で草津まで来れるはずだ。だから、15時にスタートする発表会には十分に間に合うはずだ。
「途中、気をつけてね」
「はーい。ありがとうございます」
こうして、自称「聖心のユミ」ちゃんは電話を切った。ネットで調べて行き着いたと言う割には、ぼくらの事を良く知っていて、しかも、恐らく本名ではない「ユミちゃん」を名乗っているので、彼女は2チャンネラーに違いないと思う。いったい、2chの愛好家はこの日本に何人いるんだろう。ぼくは電話を切ると、一応、理津子に「聖心のユミ」ちゃんが飛び入り参加することを伝えた。女性の部屋が2人から3人に増員するが、とくに問題はなさそうだった。ヒロコさんにもメールして人数の増加を教える。すでにJR長野原草津口に到着していたヒロコさんからすぐ来た返事は
<聞くまでもないでしょ。盛り上がる方、優先だ>かくして、ユミちゃんは発表会に参加することになった。

もうすぐマリコさんを乗せたJR吾妻線が長野原草津口に到着とのことなので、彼女をピックアップしてヒロコさんはじきにやってくるだろう。雪はあいかわらずちらちらしているが、彼の車はスタッドレスを装着しているとの事なので安心だ。そろそろコスギくんとルソーくんが音楽の森に到着する時刻だったので、ぼくらも大急ぎでそこに向かうことにした。音楽の森の駐車場に到着した時は、白の三菱デリカスペースギアがすでに停まっていた。車を近づけると中からルソーくんがはちきれそうな笑顔で出てきた。そして、デジタルカメラを構えたコスギくんが顔を出す。1ヶ月ぶりの再会だ。<とりあえず>と言いながら、デジタルカメラのシャッターを押す。お約束のコスギくんのセリフに理津子が笑い出した。初対面の挨拶を済ませた理津子とコスギくんは、さっそくモーグルの話題で盛りあがっていた。どうやら、2日前の立山山麓スキー場で開催された全日本選手権モーグルで、世界選手権に出場する選手らを抑え益川雄選手(北野建設)が2年ぶりのタイトルをとったらしい。所属先の先輩、上村愛子選手の4連覇、6度目の優勝とあわせて、モーグルスキーヤーたちの話題の的となっているようだった。
9時30分になり、ヒロコさん、マリコさんが到着。まるで電車のように、時間通りの到着だ。小児科の医者をしているというマリコさんは、まぶしく輝く笑顔を満面にして車から降りてきた。草津の雪のちらつく早朝の曇天を吹き飛ばすようなビッグスマイルだった。たぶん、診察で不安な子供達は、彼女の笑顔を見ることで安心するに違いない。そんな笑顔だった。そして、いつもの涼しげな流し目で運転席から降りてきたヒロコさん。ぼくらは、駐車場で車座になって再会を喜び合った。ヒロコさんの乗るレガシーツーリングワゴン。彼もまたスタッドレスを装着しており、道中は楽勝だったらしい。初対面の理津子とそれからマリコさんとぼくらは挨拶をしあって、そして、コスギくんにはビデオの編集のお礼を言って・・・。
各自がヘリスキーのための準備をはじめた時に、イズミさんが運転するBMWと田中さんのジムニーがやってきた。イズミさんは、奥さんと娘さんを連れて来たのだが、家族はみんなスノーボード派なのでヘリスキーにはイズミさん一人だけで参加だ。彼は家族を今晩泊まるホテルに置いてきたとのことだった。今日は奥さんと娘さんは、草津の温泉めぐりを楽しむらしい。一方、田中さんは大きなマスクをして車から降りてきた。マスクの理由を聞くと花粉症でくしゃみが止まらないとのことだ。目が赤く、痛々しい。「花粉症」と聞いて、ぼくも無性に目が痒くなってきた。この季節、花粉の飛翔量はピークを迎えるのだ。こうして、今回のヘリスキーのメンバーが全員そろった。こうして待っている間にも、何組かのスキーヤーたちがヘリに乗り込み、渋峠の白い雪の中を目指して飛び立っていった。
予約していた時間にヘリスキーの受付し、諸注意や保険の申し込みをしてヘリに乗り込んだ。ヘリのそばに行くと氷の粒がローターの風でビュンビュン飛んで来る。ヘリは乗客5人乗りだった。そこで、ぼくらは4人づつの2グループに分かれ、ピストンで移送してもらうことにした。ローターが回転速度を上げると、結構スムーズに空中に浮かび上がった。後のグループのイズミさん、田中さん、コスギくん、ルソーくんが手を振っている。そしてどんどん小さくなっていく。 ぼくは、少しだけ湧きおこる恐怖と戦っていた。高い所から地面を覗き込んだときに足がむずむずする感覚。好きにはなれない。
草津から渋峠まではカーブの続く山道でドライブを楽しむことができるが、冬の間は深い雪に阻まれ道路は閉鎖されてしまう。だから、草津-志賀間は菅平を回っていくから車で数時間の旅程となる。これが映画「私をスキーに連れてって」で、原田知世が演じる池上優が冬場は滑走禁止の志賀・万座ルートを地図で見つけて、そのコースを一人で挑もうとした物語の背景だ。しかし、ヘリで飛べば、あっという間だ。

空中に浮かんだヘリが前傾したと思ったら、凄いスピードで飛行を始めた。あいにく雪の天候だったが、飛行中の機内から見える景色は最高だった。機体がバンクしたり座席に押し付けられるような加速感を感じたりで、わずかな時間にもかかわらずヘリでの飛行を嫌と言うほど堪能することができた。飛行途中、眼下に白根湯釜が見えた。白い雪の山々の中にエメラルドグリーンの美しい火口湖が浮かびあがっていた。ゆっくり景色を眺める暇もなく、渋峠ロッジの横にヘリコプターは着陸した。山小屋らしい情緒のある木作りの洒落たロッジだ。到着した渋峠は、あまり周囲に視界を遮るものがないため峠と言うより山の頂上の様な感じを受ける。近くの県境にある横手山2305m以外、峠より格段に高い山が存在しない。広々とした峠だった。ぼくらは、ヘリを降りたところで後続の4人を待った。すぐに引き返したヘリで、後続のイズミさん達はやってきた。どの顔にもプチ冒険を楽しんで満足した笑顔が浮かんでいる。聞いてみたら、全員がヘリコプターへの搭乗ははじめての体験だったのだ。
渋峠からリフト1本に乗れば、さらに志賀高原の横手山山頂に登る事ができる。しかし、小雪のちらつく今日のこの天気だ。北アルプスの山々は横手山の山頂からとても見えそうもない。そこで、ぼくらはこのまま草津へ降りることにした。すっかり山男気取りのイズミさんを先頭に、渋峠ロッジからバックカントリーのスタート地点まで約10分ほどハイクアップする。少しだが緩やかな登りになっている。標高が高いせいだろう。雪の質量共にトップシーズンに近く快適だ。バーンは締まった上に新雪が乗っている。ハイクしながらのウーミングアップ。雪が融ければ国道となる。標高2172m、日本の国道における最高地点である。ここがバックカントリースキーの出発点となる。前方下に中間地点の芳ヶ平(よしがだいら)ヒュッテがかろうじて見える。滑走ルートはいたる所に取れるが、迷いやすいコースなので、標識がきっちり整備されている。コース前半は林間の緩斜面のようだ。新雪に先に滑ったスキーヤー達のシュプールが見えている。そして、動物の足跡があちこちにあった。みんなが嬉しそうな顔をしている。お互いに目が合うだけで、自然と微笑がこぼれてしまう。幸せな時間、そんな時間が静かに過ぎて行った。細い緩斜面を抜けると、このツアーコースの目玉、通称「ダマシ平」の上部だ。 その昔、ツアースキーヤーが悪天候でルートを見失った所だ。
「いけねぇ。月の方向に出ちゃったよ!!!!!!!!!!!!」
みんなの写真を撮るため途中まで先に降りてデジカメを構えてると、コスギくんが「私をスキーに連れてって」に出てくるセリフでみんなを笑わせた。
コスギくんにくっついて、マリコさんがすべってくる。やや頼りないすべり。急斜面でも、なんとか降りてこれるといった初中級の滑りだ。コスギくんがさっきからマンツーマンでコーチしている。田中さんがコースのところどころで、ビデオカメラでみんなを撮ってくれた。コースは最高だった。ぼくら以外にも、続々とツアースキーヤーが滑って行く。芳ヶ平までは休みを多くとりながら滑って約1時間だった。
ツアーコース前半は、広い斜面で立ち木もなく滑っていて気持ちが良かった。天気が快晴なら、きっと雄大な自然を満喫できるのであろう。バックカントリー特有のクラストやパウダーにはまりながら滑るのが楽しかった。なんてったってゲレンデでじゃまなお子ちゃまボーダーがここにはいない。アイスバーンに降り積もったパウダースノーで、ターンのたびに舞い立つ雪煙に鳥肌が立った。久しぶりのスキー天国だった。
途中、ヘリで来た別グループの7人組があれだけロープやら旗など標識があるにもかかわらず、一つ向こうの沢へ降りていくのを見かけた。ぼくらはみんなで彼らを大声で呼び戻し、芳ヶ平へのルートを教えてあげた。コスギくんがコースアウトしかけた彼らに気が付いたから良かったけど、見落としていたら大事になっていたかもしれない。ヘリスキーの手軽さから、安易にバックカントリースキーに踏み入る恐さを思い知った。ヒイヒイ言いながら沢を登ってきた20代前半の男女。大学の卒業旅行のグループだろうか。見ると身軽でなんの携行食も持っていない。これも何かの縁なので、チョコを分けてあげると大いに感謝された。若者たちよ、少しは山の恐さがわかったのかな。
比較的急な斜面を滑りきると、芳ヶ平ヒュッテまで緩やかな斜面が続く。大雪原をトラバースして芳ヶ平に滑り込むとヒュッテのカメラ嫌い犬たち「バード」、「フロール」と「ラメイジュ」が迎えてくれた。人なつっこい3頭の犬たちと遊びながら、自分達が滑ってきたルートを一望に見る。此処に来た者にしか見ることができない景色があった。冬登山の魅力とは、この景色なのだろう。
まだ昼には1時間ほどあったが、昼食時に混むのを避けてヒュッテに入って昼食休憩。山小屋ながら室内もなかなかいい感じで、へたなペンション顔負けだ。薪ストーブが静かに燃え、ガラスのスピーカーからはジャズが流れている。昼食はヒュッテの人気メニュー「おまかせパスタ」。その時々の食材にて作るパスタだ。別の日に訪れても、決して同じ物は出て来ないと言う。しかも旨い。食後に出てきた紅茶はダージリンだったが、これもなかなかいけた。ぼくたちのメンバーは、夜は徹底的に深酒するもののスキーをしている間はビールなどの酒を飲まない。スキーと言うスポーツがどんなスポーツなのかを熟知している感心な連中だ。
昼食の時に、今晩泊まるホテルにサントリーからビールなどの支援品が届いていることを思い出してみんなに聞いてみた。そしたら、サントリーに接触してくれたのはマリコさんだった。数年前に彼女が通っているスポーツクラブの沖縄ダイビングツアーで、一緒になったメンバーの一人がサントリーに勤務するロマンスグレーの部長さんだったらしい。たまたま、スポーツクラブを訪れた際にダイビングプールでその部長さんを見かけたので、スポンサー募集のCDを渡すと同時に連絡先としてホテルの住所を教えたとのことだ。恐らく今回の飲み物の差し入れは、その部長とやらの個人的な好意からのものかもしれないが、こうして実際に支援してくれる企業が現れたのは嬉しい。ぼくらは、サントリーに感謝するとともに、今晩の打ち上げを盛大にやることにした。
休憩時間をゆったりと取って最後の林間コースを滑る。芳ヶ平からの下りは、トレースがしっかりあり迷いようがない。登山道に沿ったルートで極端に狭いが、結構飛ばせるコースだった。狭い上に途中にわずかな登りと歩きがあるので、スノーボードでは滑るのが難しいのだろう。ボードを脱いで降りてくる羽目になるかもしれないので、スノーボーダーがいないのだろう。ぼくらのメンバーは、どんなにゆるい斜面だろうが、狭い林間コースだろうがショートターン、あるいは、ウエーデルンで降りてくる。まるで数多くターンすればするほど、ヘリコプター代が回収できるがごとくにだ。登山道そのものを下りてくるような狭いコースで、ぼくらはしばしジェットコースターのスリルを味わい、最後は車道を滑って天狗山のゲレンデに帰着した。スキークロスコースのようで、面白いコースだった。そしてパトロールに立ち寄り、下山の報告。これを怠ると、知らないうちに遭難したとして下界では大騒ぎとなってしまう。忘れてはならない。休憩をかなり入れて所要時間約3時間。半日にも満たない時間だが、たっぷりと遊んだ充実感があった。無事に帰着したぼくらは、宿にいったん帰り、アウトドアテーブルなど発表会の道具をゲレンデに運び入れて会場準備に取り掛かることにした。

ホテルの駐車場で、スキーやらアウトドアテーブルやら必要なものをデリカスペースギアとレガシーツーリングワゴン、ステップワゴンの3台に積み込み、サントリーから差し入れのあったウーロン茶も忘れずにラゲージルームに積み込む。それぞれの車は、荷物をのせるため後部座席をたたんでいるが、結構、広いスペースに見えてすぐにいっぱいになってしまう。このため、あれこれ頭を使ってようやく収納。そして、それぞれ3台に分乗してスキー場に戻った。スキー場の駐車場から、手分けして道具をゲレンデの天狗山レストハウスの脇に運び込む。5台のアウトドアテーブルを並べ、15脚のアウトドアチェアを配置した。そのかたわらにタープを張る。雪面でのタープの設営ははじめてだった。イズミさんによれば、雪上ではタープを固定するプラスティック製のペグ(くい)はまったく効かないらしい。ペグを雪の中に打ち込むのではなく2本の長めのペグを十字に結んで、それをアンカーとして雪の中に埋め込むのがコツらしい。こうしてタープを張っているうちに、時計は3時をまわった。数人のギャラリーが何事かとぼくらの作業を覗きこんでいく。断続的に降っていた雪は、発表会の開催に合わせて降り止んでくれた。並べたアウトドアテーブルに、ぼくらは持ってきた4台のノートPCを置いてそれぞれを起動させると、ロングバージョンのプロモーションビデオを再生した。このロングバージョンは、やはりコスギくんの力作でトータル15分もの動画になっている。3台のラジカセの周波数をFMワイヤレスマイクの周波数に合わせ、ルソーくんのDJが始まる。
「Good afternoon ladies and gentlmen. My name is Joel Rousseau, comming from the Ecole des Mines de Nancy.
Now we would like to introduce our promotion video taken with the ski tour held in shiga-kogen in last month.
Enjoy our demonstration. Thank you. ・・・・・・・・・・・」のナレーションからはじまり、たぶん英語でのナレーションと同じ内容と思うが、フランス語で続く。フランス語での部分は何を言っているのかさっぱり分からないが、雰囲気はすごく良い。ゲレンデのボーダーやスキーヤーたちが遠巻きに興味深そうにこちらを見ていた。その後、ルソーくんのDJでメンバー紹介になった時、ぼくの携帯がなった。
「もしもし!」
「ヤノさんですか?」
「いえ。・・・いや、そうです」
朝とまったく一緒の会話のあとに、はずんだユミちゃんの声が聞こえてきた。
「遅くなりました。いまバス停に着いたところです」
ぼくは、ユミちゃんのことをすっかり忘れていた。そうだ、彼女も発表会に参加するんだった。
「今、発表会が始まったところ。すぐにこっちにおいでよ」
「バスターミナルからどうやっていけばいいんですか?」
「ちょっと待ってね」
傍にいたヒロコさんにバスターミナルからの道のりを聞くと、結構、スキー場までは遠そうだった。ヒロコさんが、彼女を車で迎えに行くという。ぼくはユミちゃんにその旨を伝え、バスターミナルに着いたらヒロコさんから彼女の携帯に電話することにした。彼女に手伝ってもらうといっても、このあとはフォーメーションスキーをやるだけだ。だから、彼女を一度、ホテルに案内して荷物を置いたのち、スキーウエアに着替えてもらってスキー場に来てもらうことにした。ギャラリーも少なそうだから、いっしょに滑ってもらうつもりだった。

ぼくらはイスに腰掛け、冷やかしで覗いていくギャラリーを捕まえては、いっしょにウーロン茶を飲みながらまったりと歓談していた。ギャラリーは、入れ替わり立ち代りぼくらのブースを覗いていき、プロモーションビデオの入ったケース入りのCDをプレゼントされると、一様に嬉しそうにもらっていく。若いボーダーたちから、結構年配のスキーヤーまで幅広い年齢層の人たちが覗きこんでいった。
開始してから30分すぎて、ボーダーやスキーヤー達のブースへの冷やかしが一段落した。しかし、肝心の映画会社やスポンサー応募の企業からの訪問はなかった。そんなに映画化の話が簡単に進行していくとは思っていないが、2chで結構話題になったんだし、どっかの企業が話を聞くだけでも来てくれるのではと強い期待を抱いていた。過剰な期待をしていたつもりはないが、映画化の実現を望むことは大いなる絶望への引き金であるのかもしれない。
ぼくは、数人のギャラリーと談笑していたイズミさんのところへ行くと
「スポンサーの応募はなさそうですね」と告げた。
「まだまだ。これから、これから」イズミさんが、笑顔で答える。彼は絶対にくじけない強い意思を持っているのだろう。その精神的な強さは尊敬に値する。
そこへ、理津子がやってきてぼくに耳打ちした。
「上毛新聞の人が取材に来てますよ」
見ると、スキーウエアのギャラリーに混じって、20代後半であろう黒のダウンジャケットに身を包んだ女性が立っていた。「責任者の方と話がしたい」とのことらしい。ぼくはイズミさんにこのことを告げた。だれが責任者と決めていたわけではないが、広報担当としては最年長の彼が適任と思えたからだ。
「代表はヤノ君だろう?」イズミさんが真顔で答える。
「あの年代の女性は苦手なんスよ」ぼくは必死に頼み込む。それは本当のことだった。20代後半の女性から話しかけられると、ぼくの思考回路はフリーズしてしまうことが多かった。固まらずに話せる数少ない話題の一つはスキーなのだが、今の若い女性達はスキーをやらない。だから会話の接点をなかなか見つけられず、彼女達から逃げ回っているうちに、ついには話しかけられないようになってしまっていた。
「いままでは、メーカーやスキー場など業界から押し付けの文化だった。これに対して、2chのみんなが立ち上がって、自分達の文化を創ろうとしてる。ナチュラリストとしてのスキー文化の創出・・・だったけ」
「そうっす」
「わかった」
話し合った結果、イズミさんが広報担当ということで、上毛新聞の記者の取材の受け答えをしてくれることになった。
そのうち、見たことのあるスキーウエアーの7人組がやってきた。今日のバックカントリースキーで出合った連中だ。渋峠から無事に帰還できたらしい。ウーロン茶を手渡すと、またまたビッグスマイル。彼らは結局、芳ヶ平ヒュッテには寄らずにまっすぐ天狗山まで下りてきたとのこと。どうりで芳ヶ平ヒュッテで会わなかったわけだ。パトロールに下山の届出をしたかどうか聞くと、それは忘れずにやったとのこと。芳ヶ平から下の林間コースでは、狭い登山道のコースゆえにかなり手こずったらしい。「横滑りで降りてきました」と涙目で訴えてくる。もう、バッククロスカントリースキーはコリゴリとのことだった。ぼくらが今日滑っているのを撮った映像を見せてあげると、いくぶんコースに対する印象が変わったらしい。<でも雪質は最高でしたね>と、まるで遠い昔のことのように付け加えた。コースアウトして沢をヒーヒー言いながら登って来たこと、彼らの旅行のいい思い出になってくれればと思う。ぜひ、楽しい思い出をたくさん作って、何度もスキーに来て欲しいと思うのだが、今の若者のスキー、ボード人口の激減を考えると過剰な期待なのかもしれない。

開始から1時間。結局、プレスの取材は上毛新聞社の1社だけ。その取材は、デジカメでテーブルにたむろしているぼくらの写真を何枚か撮って終わりだった。その若い記者は、スノーブーツでゲレンデの雪を慎重に踏みしめながら帰っていった。上毛新聞社にはスポンサー募集のCDを送ったのだが、たしかその所在地は前橋だったと思う。土曜日のこの時間、車を飛ばしても草津から帰れば帰社は夕刻になるに違いない。それから記事をまとめるとなると、帰宅は遅いのだろう。結構大変な商売だ。
もう取材に来るところはないだろうと、ぼくは今日の目玉のフォーメーションスキーのための準備をはじめた。ビンディングにブーツをセットして、さっきみんなの分をまとめて買っておいた1回券のリフト券を使ってリフトを登った。リフト降り場の下の斜面にたむろしているボーダー達に、ゲレンデ右側のロマンスリフト傍のコースを使わせてくれるようお願いする。そこにいたお子ちゃまボーダー達は、素直に言うことを聞いてくれた。かれらは、さきほどブースに来て一緒におしゃべりをしてくれていたやつらだった。
ぼくは、一人みんなから離れて、今日の発表会のことを考えているうちになんだか切なくなってきた。大勢の2chの仲間がスキー文化の創出に対して賛同してくれた。そして製作委員会と言う名の実行部隊が立ち上がって、映画製作のためのプロモーションビデオを創ってくれた。その映画のシナリオ発表会の当日。たくさん集まると思っていたプレスは、地元の新聞社1社だけだった。それでも救いは、ゲレンデのボーダーやスキーヤー達が冷やかしに覗いて行ってくれることだ。ぼくらは、なんのために昨年末から情熱を燃やしていたのだろう。やっぱり、素人集団ではできることに限界があるのだろうか。無駄な努力に終わるかもと思っていたが、ことさら世間の壁を思い知らされた。どう考えても素人じゃあ無理だよなあ・・・。
どうしようもない絶望感に囚われながら一人想いにふけっていると、ポケットの携帯がなった。ヒロコさんからだった。ユミちゃんをピックアップして、ホテルで着替えて駐車場に到着したとのことだ。ぼくはブースに置いてある、まとめて購入したリフト券を使って上まで登って来てくれるように伝えた。・・・どうしよう。3時間もかけてまたひとり、無駄な努力の犠牲者がやってくる・・・。
しばらくすると、リフトを登ってくるヒロコさんの姿が見えた。隣りに腰掛けているのがユミちゃんだろう。ゲレンデから手を振ると、ぼくを見つけたヒロコさんが手を振ってきた。リフトから二人が降りてきた。オフホワイトのスキーウエアーと淡いピンクのニットキャップに身を包んだユミちゃんは、半端じゃなくスキーがうまそうだ。長身のヒロコさんと並んで立っても小さくは見えないから、きっと身長は170cmに近いのだろう。ぼくよりも背が高そうだ。そして、ゴーグルとスキーウェアで顔の大部分が隠れているものの、見えている部分から彼女がかわいらしい顔立ちであることが見て取れる。女性には、第一印象で冷たい感じを受ける女性と、側にいるだけで暖かみを感じる女性と2種類いる。彼女は後者のほうだ。ゲレンデの雪が、ひょっとしたら遠慮して溶けてしまうんじゃないかと思えるぐらい彼女のまわりだけ明るく輝いているように見えた。彼女なら、フォーメーションを組んだぼくらの前を滑らせても絵になるに違いない。ぼくは、先ほどまで暗く沈み込んでいた気持ちが急速に晴れていくのを感じていた。取材が1社だけでもいい。胸を張って、やることはやろう。いまここで引くわけには行かないし、やらずに後悔するのはまっぴらだ・・・。ぼくは、暗い気持ちを振り払うように勤めて明るい声を出した。
「おせーよ(遅いよ)!」
目の前で止まった彼女に挨拶しようとして、ぼくは瞬時に固まってしまった。一瞬、彼女を会社の同僚と勘違いしたのだ。しかし、会社のどの娘とも違うことは一目瞭然だ。彼女の顔をどこかで見たことがあるような気がするが、それがいつだったか思い出せなかった。どこかで出合ったどころじゃなく、毎日にように顔を合わせていたような気もする。ぼくは、一生懸命、彼女が誰なのか思い出そうとするが名前がでてこない。しばらく彼女の顔をまじまじと見つめていたのだろう。ユミちゃんはちょっとあっけにとられたように笑顔で挨拶してくれた。
「はじめまして。ユミです・・・」
ゴーグル越しに引き込まれそうな彼女の黒い瞳に目を奪われつつも、彼女の声に我に返ったぼくは大急ぎで返事をする。
「はじめまして。***です。じゃなかった。ヤノです」
ニコニコ笑う彼女。思わず笑顔に引き込まれ見とれてしまう。ずーっと見ていたいような笑顔だ。ぼくは脳内で知人・友人のデータベースをすべて検索しつくして、次は芸能人のデータベースに進んでいた。ぼくは芸能人をあまりにも知らなすぎるため、ぴったり合致するデータを選び出すことができなかった。しかし、かろうじて彼女は少し前のNHK朝のドラマのヒロインに印象が似ていることを感じていた。毎朝、そのヒロインの顔を見ていたため、よく顔を合わせていた女性として勘違いしたのかもしれない。しかし、依然としてそのヒロインが誰なのか名前が出てこない。
ぼーっとしているとヒロコさんがお土産といって、ポケットから温泉饅頭をひとつ取り出してぼくにくれた。バスターミナルに迎えに行く途中にあった店で購入したらしい。あんこのタップリ入った饅頭はとてもなつかしい味がした。

次々に、山のもっと上にある振り子坂ゲレンデから降りてくる他のボーダーやスキーヤーたちに、リフト際のコースを開けてもらうように頼んでいると、ぼくの携帯が鳴った。イズミさんからだ。
「オーストラリアのテレビクルーが取材に来た!!どうしよう?」
ゲレンデのふもとのブースを見ると、一般のギャラリーが十数人に増えていて、その中に混ざってテレビカメラを背負った男がルソーくんを撮影しているのが見えた。
「オーストラリアのテレビ局ですか!?」 ぼくは携帯のイズミさんに問い返した。
どうやら、偶然にオーストラリアのテレビ局が観光地の取材のため草津に来ていて、ぼくらがやっているイベントが目に止まったらしい。興味を持ったスタッフが、ルソーくんに取材の申し込みをしたとのことだった。
「応対してくれよ」イズミさんが泣きそうになって頼んでくる。
「とりあえず待たしておいて、フォーメーションを先にやりましょうよ」
「わかった。すぐ行く」 イズミさんは、とりあえずガイジンの取材をかわせたことから渡りに船と言った感じで携帯を切った。

「じゃあ、そろそろやりましょう」 ぼくはヒロコさんとユミちゃんに言った。
「どこを滑るんですか?」 ユミちゃんの問いに、
「あの辺からだけど、ついて来てね」
ぼくは、緩めていたスキーブーツのバックルを一つ一つ締めると、小さくジャンプしてスキーのトップを谷に向け滑り出した。と、その時だった。やや、重たい天狗山ゲレンデの新雪の上をスキーを滑らせるため、谷足を意識的に前に送り込んでいたスキーの抵抗が急に軽くなった。・・・なにが起こったんだあ!?。急にスキーの抵抗が小さくなったため、谷足のスキーのトップが思いのほか回り過ぎた。その結果、気がつくとスキーのトップが山頂を向いていて、ぼくはクの字に雪面に手をついて後ろ向きに斜面をずるずるずりすべり落ちていた。体勢をそこから立て直そうにも、どうにもならない。リカバリーができない状態で、そのままずり落ちていく。そして、スキーのビンディングが外れて、ぼくは顔から雪面に突っ込んだ。
「いやー、まいった。まいった」
転んだ拍子に脱げてしまったニット帽子を拾い上げ、雪を払っていると
「大丈夫ですか?」
ヒロコさんが、聞いてきた。ぼくは考えられないようなこっけいな体勢で転んだらしい。
「死んではいない」 ぼくはそう答えるほか無かった。ユミちゃんがおかしくてたまらないといった顔でぼくを見ていた。

「どうした?ビンディングが甘いのか?」 リフトを降りてかっとんで来たイズミさんがぼくに聞く。
「へへへッ。とりいあえずぅ・・・カシャ」 コスギくんがゴーグルを付け直しているぼくをデジカメで写真を撮りながら言う。それを言うなら<きゃー、すてきー>を忘れていると思うんですけど・・・。
ふと見ると、イズミさんがユミちゃんの顔を見て固まっている。彼もまた、ぼくがしたようにユミちゃんに対してデ・ジャ・ビューを感じながらも、どこであったのか思い出せずに無限ループに陥っているのであろう。口をポカンとあけたまま、ユミちゃんの顔を凝視して思い出そうとしている。あんまり若い女性の顔を見つめると失礼だよ・・・。
「誰かが手を振ってますよ」 ヒロコさんが教えてくれた。見ると、はるかゲレンデのふもとのレストハウス入り口のところで、スキーウエアを着た2人連れの女性の一人が、大きく手を振っていた。手を振っている方の女性は、おそらく高校生ぐらいの年齢の子であろう。彼女の手のウェーブがあきらかにぼくらのグループに向けられたものだったので、ぼくも<おーい!!>声をだしながら大きく手を振り返えした。ぼくの反応を見て、相手の子が遠くで笑い転げている。ぼくが一生懸命に手を振っていると、ユミちゃんがあきれたようにぼくを見ていた。
ぼくらが滑ろうとしているコースを、ゲレンデのボーダーやスキーヤーたちが並んで立って立ち入り禁止にしてくれている。その列の真ん中辺には、例の渋峠で出合った7人組がいた。いま、天狗山ゲレンデのほとんどの人が、僕らのすべりを見守ろうとしていた。
「イズミさん。フォーメーションのセンターお願いできないスか?」 ぼくは傍らに立っているイズミさんに聞いた。実は、さっきの転倒で、ぼくはすっかり弱気になっていたのだった。ゲレンデを滑っていて、滑る雪質から急に滑らない雪質に変化することは良くある。急に制動がかかってスピードががくんと落ちてしまうのだ。しかし、この滑走抵抗が大きくなる雪質の変化は、高速から低速への変化のため対応は簡単だ。体が前に投げ出されそうになるが、ブーツがそれを防いでくれる。しかし、その逆で、滑走抵抗が急に小さくなる場合の対応は難しい。ちょうど、急にアイスバーンに乗ってしまったような具合になる。体が置いてかれることで、ポジションが後ろになり、スピードコントロールが難しくなるのだった。
「花粉症で目が痒くて、斜面が良く見えないんスよ。雪の状況が分からないから、うまく滑れないス」 
と言うぼくに
「ダメ!!!ヤノくんがセンターでフォーメーションを失敗しても、だれも文句は言わねーよ。だけど、他のヤツがセンターをやって失敗したら、だれも絶対納得しない!!」 
イズミさんは、いつになく真顔で強く主張した。コスギくんが<そうだ。そうだ。>とうなづいている。
「分かった」 
イズミさんの剣幕に驚いたぼくは、しぶしぶ彼らにしたがうことにした。
「ユミちゃんは、先を自由に滑ってください。我々は4人ならんでその後を追っかけます」
「え゛ー。どう滑ればいいの?」 
急に話をふられたユミちゃんがコースに目をやりながらびっくりして問いただしてきた。こんなにも、ゲレンデにギャラリーが集まるとは思っても見なかったのだろう。コース脇に並んだギャラリーに一番驚いているのは、実はぼくだった。
「コースは任せるよ。とりあえずリフト際を」 
ぼくは、できるだけぶっきらぼうに(見えるように)答えた。たぶん、彼女は基礎スキーの公式戦かあるいはバッチテストでギャラリーに見られながら滑った経験があるように思う。リフトの降り場からたった10m程度しか滑っているところを見ていないが、彼女は体のあらゆるところに気を使って丁寧に滑っている様子が充分に見て取れたし、それが彼女のいつもの滑りになっているようだった。
ユミちゃんを先頭にして、ぼくの右側にイズミさん、左にコスギくんが並んだ。そしてぼくの後ろをヒロコさんが滑る。十字型のフォーメーションだ。
「よし行こう」 
ぼくは、ストックをぽんと交差させるとユミちゃんに合図を送った。
こんな時、女性の方が度胸があるのかもしれない。ぼくが言うや否や、ユミちゃんは雪面を小さく蹴って滑り出した。小気味の良いショートターンの連続。しかも、個々のシュプールは上下に落差が大きい。ぼくらは、あわてて彼女に引き離されないように飛ばしてすぐ後ろをついていった。彼女のシュプールをそのままトレースしてぼくが滑る。そして、ぼくのターンのタイミングに合わせて、両翼のイズミさん、コスギくん、後ろのヒロコさんがターンをする。こうすることで、ぼくとユミちゃんはシンメトリックな動きで、ぼくと他3人はシンクロナイズした動きになった。センターを滑るぼくは、ひたすらユミちゃんの後にくっ付いてシュプールをトレースだけでいい。彼女のターンのタイミングに合わせて、ぼくらもターンする。いくつかのターンを繰り返したあとで、無理に合わせなくても自然に彼女のリズムに合い、ぼくら5人は完全にシンクロすることができた。センターを滑るぼくは、ターンする度にイズミさん、あるいは、コスギくんとぶつかりそうなスリルを味わいながら、それでも、ぼくは彼らが絶対ぼくとぶつかることはないと信じて滑っていた。
ぶっつけ本番にもかかわらず、ぼくらは完全に息が合っていた。本来ならば、フォーメーションスキーを決めるためには、それなりの準備とかなりの練習時間が必要である。いくら、スキーがうまくても、ぴったりくっついてスキーヤー同士が交錯しそうになりながら滑るには、それぞれのスキーヤーのターンのタイミングをぴたりと合わせる工夫と、お互いの強い信頼関係が必要である。ユミちゃんを除くぼくらは、前回の志賀高原のOFF会で何度も号令を掛けながら滑って息を合わせる練習をした。うまく滑るコツは、その一つとしてスキーヤーの配置にもあった。列の中心を滑るセンタースキーヤーは、ひたすら正確に一定のリズムで滑ることだ。その隣りを滑る左右のスキーヤーは、センタースキーヤーの動作を見て、ターンのタイミングを計る。難しいのは、左右のスキーヤーのターンのタイミングと、かれらが滑る斜面のコブの位置が合っていないことにある。したがって、左右のスキーヤーは、コブのトップだろうがボトムだろうが、コブのどんな場所でもターンをする高い技術が必要とされる。2列目以降を滑るスキーヤーもまた難しい。前のスキーヤーとシンメトリックにターンを見せる場合、あるいは、シンクロさせて見せる場合、いずれの場合においても、前のスキーヤーの転倒などのアクシデントに対応できるように細心の注意を払いながら滑ることが必要だ。さもなければ、転倒した前のスキーヤーと激突してケガをしてしまうだろう。
ぼくらは、まるでジェット機の編隊飛行のようにぴったりと息を合わせていた。このまま、互いに交錯せずにレストハウスそばのブースまで滑ればゴールだ。

ブースまで、あと30m。そろそろ止まれ。前を滑るユミちゃんに声を掛けようとしたが、ぼくらが完璧に息がぴったり合っていたので止めるに止められず、声を掛けそびれてしまった。ゲレンデの端っこでビデオを構えている田中さんのすぐ脇を通り抜け、ぼくらを狙っているオーストラリアのTVカメラが目前に迫る。ゲレンデのど真ん中に立ちカメラを構えているプロのTVカメラマン。これが遠慮してゲレンデの端に立つアマチュアカメラマンの田中さんとの違いだろう。事前に下から斜面を見た時の記憶に寄れば、TVカメラとぼくらの間に、ゲレンデを横切るあまり高くはないウェーブ状のギャップがあったはずだ。
<・・・ウェーブの手前で止まって、フォーメーションを完了>
斜面の変則的なコブへの対応は、スキーヤーの個性が出る。スキーヤーの個性は、フォーメーションの乱れにつながる。だから、ウェーブを避けられるものであれば避けるに越したことはない。しかし、ユミちゃんはそのままウェーブにまっすぐ突っ込んでいった。一般のゲレンデスキーヤーなら、ウェーブに対して斜めに入り、ウェーブの頂上でターンをすることにより、コブの衝撃をかわすのが普通である。ユミちゃんは、直角にウェーブに突っ込んでいった。ぼくはユミちゃんのシュプールをトレースするので懸命で、斜面の前を見る余裕がなかったためウェーブまでの残りの距離をとり間違えていた。気がついた時は、ユミちゃんはウェーブをキッカーにしてスプレッドイーグルを飛んでいた。それも、そんなに大きくないコブにもかかわらず、万有引力の法則を無視したようにクレージーな大ジャンプを決めていた。
<ウソー!! よりによってエアかよ!!>
ユミちゃんに続くぼくらは、瞬間にスキーのソールがウェーブに乗り上げるのを感じて、ぼくも気がついたらジャンプしていた。エアは、空中技を前もって決めて飛ぶ。普通なら・・・。なにをやるか決めずにジャンプしても、もう時は既に遅くどうにもならない。昔の癖で、体を前に、ひざを無意識に抱え込んでのぼくのジャンプ。できるだけ空中姿勢を小さくする滑降用のジャンプだ。あとで、VTRを見ると、ぼくの両となりでイズミさん、コスギくんがエアの大技であるツイスター、バックススラッチャーをそれぞれ決めていた。そして、うしろのヒロコさんは、なんと難易度がさらに高いストレートローテーション、俗に言うヘリコプターを決めていた。それぞれに着地は成功。TVカメラのすぐ前で急ブレーキ。ぼくは、目の前で急に止まったユミちゃんを避けるため、あわてて止まろうとしたがすでに遅し。彼女との間隔は1mもない。このままスキーのテールをずらしてフルブレーキをかけると、ぼくのスキーのエッジが彼女にぶつかり彼女に怪我をさせてしまうかもしれない。ぼくは、その瞬間に両方のスキーの板を開き、彼女に強い衝撃がかからないように彼女を手でやさしく抱きとめてストップした。抱きとめたぼくの背中を、やはりあわてて止まろうとして止まれずに転んだヒロコさんが襲う。しかし、ぶつかる最後の瞬間まで最大限の衝突を回避する努力をしたであろうヒロコさんは、そんなに激しくはぶちあたってこなかった。ぼくのスキーがユミチャンのスキー板の上を滑ってしまったが、たぶん、これが一番安全な止まり方であっただろうと思う。
(ぶつかって)ゴメンね。ひたすら謝るぼくを、彼女は笑って許すどころか、<ごめんなさい。急に止まってしまって>彼女は逆にぼくらに謝って来た。どうやら彼女にケガはないようだ。いつまでも、彼女を抱きしめているぼくを、イズミさんが咳払いで注意して、ぼくは彼女からあわてて離れた。
あとで、オーストラリアのTVクルーの撮ったVTRを再生して見せてもらうと、フォーメーションは思い通りにきれいにシンクロしたぼくらのすべりが撮れていた。そして、最後のエア。次々に大技を決めていく4人に混ざって、ほとんど飛び上がっていないぼくの控えめのジャンプが写っていた。でも、いいか。オーストラリアで放映されることになっても、顔が映っていないから・・・。

さきほどレストハウスの入り口のところで、ゲレンデにいたぼくらに手を振っていた2人の女性が駆け寄ってくる。若い方の女性は、ぼくに抱きつかんばかりの勢いで近づいてきた。
「パパ!!すごく素敵だった!!」
彼女を抱きとめようと身構えていたぼくの脇をすり抜け、その若い女性はぼくの後ろに突っ立っていたイズミさんに抱きついた。イズミさんはこれ以上ないような幸せな笑みを浮かべている。そして、ぼくの脇を通り過ぎるもう一人の女性。きっと、年齢からするとイズミさんの奥さんだろう。足早に歩きながら、しかも上品な微笑を浮かべて。幸せそうな一家だ。ふと、イズミさんを見ると、目に涙を浮かべている。よっぽど、娘さんの言葉が嬉しかったのだろう。だれに褒められるよりも、やはり家族に褒めてもらうのが一番感動するのかもしれない。将来、娘さんがだれか知らない男のもとへ嫁入りする時も、イズミさんはこうして涙ぐむんだろうな・・・。ぼくはちょっぴり、もらい泣きをしそうになった。
イズミさんたちの家族の傍らで、ユミちゃんも目をウルウルさせている。・・・彼女も感動したのだろうか?

ぼくの視線に気づいて、視線を避けるように背中を向けたユミちゃんが気になった。どうしたんだろう。
「どうした!?」
ぼくはユミちゃんにそっと近づいて声を掛けた。
「なんでもない」
関西弁のイントネーションがちょっぴりかかった彼女の返事に、冗談のつもりで彼女のゴーグルの奥を覗き込んで
「あれ!ひょっとして、泣いてンの?」
ぼくの間抜けな言葉に、彼女はゴーグルを額にずり上げて落ちる涙をグローブで押さえながら鼻水をすすった。
彼女は・・・泣いていた。なにか彼女に声をかけようとして、ぼくは何も言い出せずにいた。多感な年齢の彼女だ。彼女が話したくなった時に聞いてあげればいい。涙のわけを今聞くことはないだろう。

そして、その後のTVスタッフによるインタビュー。ぼくの英語のボキャブラリー不足はマリコさんが適切に英訳してくれて、ルソーくんのフォーローもあってなんとか相手戸と会話が成立する。説明に一番苦労したのが、なんのためのイベントなのかだった。ぼくらは、それぞれの思いがあって、このイベントに参画していた。正直に言えば、ぼくが望んでいたのは、シナリオが映画化されてその映画がヒットすれば、一流作家の仲間入りができるかもしれないこと。自分の才能の有無は、自分ではなかなか分からないものだ。だから、分不相応な望みを抱いてしまう。だけども、最初はそんな不純な動機が発端だったが、こうして仲間ができるうちに仲間との時間を共有することがぼくにとって一番大切なこととなった。この先、このメンバーで滑ることができるかどうかわからないけど、少なくても、こうして顔を揃えた今日のこの日を大切にしようと思っていた。なんて考えていたら、変だな涙が止まらない。
マリコさんが、そっとティッシュをぼくに手渡してくれる。・・・恥ずかしいから、涙を拭けってことだろう。
<I am happy...I have so many good friends. They brought me to the next stage where I could not reach by myself. I'd appriciate them...>
「I am sorry... The sweat is trickling down my eyes ...」
と言い訳をしつつ涙をごまかしていると、ルソーくんとマリコさんがぼくに代わってインタビューの応対をしてくれた。向こうのTVスタッフも、取材相手として興味があるのはぼくじゃなくて、ユミちゃんとヒロコさんだった。
ぼくは、イズミさんとユミちゃんの涙が伝染したみたいだった。ここにきた理由についていろいろ考えている内に、急に鼻の奥がツーンとなって涙がこみ上げて来てしまったけど、一体なんなんだ?思いもかけずにフォーメーションがうまく行ったせい?たぶんいろんな想いが重なって不覚にも涙してしまったのだが、涙するような場面じゃない。ぼくよりも、もっと泣きたいやつがいるだろう。

<せっかくだから、みんなで写真を撮ろうよ>
イズミさんの呼びかけで、みんなで写真を撮ることにした。ぼくがデジカメで構えていると、ゲレンデをバックに並んだ居合わせたみんなに
イズミさんが声をかけた。 <銃撃しよう。いいか、みんな。人差し指を出して構えて!>
「せーの。バアーン!!」
<なんなんだ?こいつら。>
デジカメでシャッターを切ろうとしているぼくに向かって、みんなが指鉄砲でぼくを撃ってきた。いっしょに並んだオーストラリアのTVクルーの2人も真似てバーンしている。思わずリアクションに困ってしまって、苦笑するしかない・・・。イズミさんに交代してシャッターを押す時も、みんなで<バアーン>。オーストラリアのTVクルー達はわけも分からずに真似しているけど、平和ボケしている日本人が銃社会のアメリカを真似て-変な宗教団体と思われなければいいのだが・・・。

結局、この後に温泉饅頭を求めながら、オーストラリアのTVクルー達を草津の町を案内することになって、ぼくらはテーブルなどの撤収を始めた。草津には、温泉饅頭を売っている店が何軒もあり、店によりそれぞれ味が異なる。この味の違いをレポートすれば、それも一つの立派な番組になるだろう。ぼくらは、別のホテルに家族と泊まるイズミさんと別れて、一旦宿に帰って荷物を置いて着替えてから、そぞろ歩きで温泉街に繰り出すことにした。まあ、浴衣の上にどてらを着て下駄を履いての散策としゃれ込みたいところだが、なんせ、3月とは言え寒気団に支配されていて真冬の寒さだ。しっかり防寒しなければテキメンに凍えてしまうだろう。ぼくらはTVクルーを従えて、道すがら無料で出してもらえる温泉饅頭をほおばりながら、日がとっぷりと落ちた草津の町をぞろぞろぶらついた。

TVクルーと別れて散策から帰って、ホテルの露天風呂につかり一日の疲れを癒す。そして和洋中バイキングの夕食。部屋での飲み会。部屋の真ん中のテーブルの上に、田中さんが持ってきた幻の焼酎やら、サントリーからの差し入れの缶ビールやカクテル、バーボンウィスキー、日本酒、ワインや、来る途中のコンビニで買ってきたのだろう大量のつまみが並んだ。最初は缶ビールで乾杯。至福の瞬間。
「生きててよかった」 と隣りに座った理津子がはちきれんばかりの笑顔で言う。暖房の効いた部屋の中で、3月の降雪のニュースをTVで見ながらスキー仲間と酌み交わすお酒は最高だった。今日の渋峠はめちゃくちゃ寒かった。ロックグラスにタップリの氷を入れて、持ってきた灘の1級酒を注ぐ。そして、そこにレモンをたっぷり絞ってよく混ぜる。これがぼくのマイブームだ。たっぷりの氷とレモンで飲みにくい日本酒が大変身する。日本酒版のアルティメート・アークティック・マティーニみたいな、しゃれた味になる。ルソーくんが、ぼくの飲む日本酒に興味しんしんだった。同じものを作ってあげると、結構ハイピッチで飲んでいた。また、この前みたいに二日酔いで苦しまなければいいのだが・・・。
この至福のときを迎え、ぼくはマリコさんを相手にチャン・イーモー監督の「至福のとき」を話題にしていた。真っ直ぐで純粋で人の温かさ、優しさが感じられる作品。たしか、映画のヒロインは5万人ものオーディションから選ばれたんじゃなかったかな。理津子、マリコさん、ルミちゃん、並んで座っている3人が、3人とも映画のヒロインよりも飛び切りの美人に見える。酔ったせいなのかな。

田中さんがマリコさんに、宮崎の麦焼酎「百年の孤独」のウンチクを垂れようとする。
「これ、なかなか手に入らない幻の焼酎なんですよ」
「私、焼酎はダメなんです。ゴメンなさい」
「あ、ぼくも嫌いなんだ。・・・だれだよ、ショウチュウなんか持って来たヤツは・・・」
田中さんは、どうやらマリコさんに夢中のようだ。だれだっけ、前回の志賀高原で焼酎のお湯割をガブガブ飲んでいたのは・・・。
・・・っていうか、「百年の孤独」って1万円以上する酒じゃなかったっけ。全国の愛飲家垂涎の的の、宮崎でしか飲めない幻の麦焼酎のはずだ。ぼくは、最初は遠慮がちにコップに少しだけついで味見をさせてもらう。オークの樽で3年~5年熟成されたその酒は、尖がったトップノートがすっかり抜け、非常にマイルドなさらさらした味だった。遠慮しているのだろう、だれも、この銘酒に手を出さないので、すっかり出来上がっていたルソーくんと二人でしだいに大胆にガバガバ飲んでしまっていた。
飲んでいる間、例によってコスギくん、ヒロコさんがノートパソコンを立ち上げて、なにやら書き込みをしていた。どうやら携帯電話を介して2ch掲示板の読み書きをしているらしい。彼らによって発表会の第一報は、すでに記事として書き込まれているに違いない。だけど、土曜日のこの時間だ。掲示板を覗きに来る人は少なく、あまり、反応はないのかもしれない。
ヒロコさんのパソコンで、さっきダウンロードした掲示板のログを見せてもらうことにした。他人のパソコンを使うのは、まさに個人の秘密に触れるようでドキドキしてしまう。はじめて使う2chブラウザなので勝手が分からずに、適当にクリックしていると、ヒロコさんの書き込みの履歴が出てきた。

投稿者:333・334
メール:sage
投稿日:2007/03/17 21:00:12
本 文:

>>333
>>334
今日、一緒にヘリに乗った。気持ちを打ち明けたいけど、できなかった。どうすればいいい?

----------

これって、いったい!?ヒロコさんと一緒にヘリに乗ったのはぼくだった。後のグループにイズミさん、田中さん、コスギくん、ルソーくんが乗っている。ぼくは、これはまずいことになっちまったと思った。<なんで俺なんだYo!!>
かれに気持ちを打ち明けられたらどうしよう・・・。悪いけど、ぼくにはそんな趣味はない。これがマリコさんのパソコンだったら、最高に幸せなんだろうけど・・・。ぼくは、すぐに書き込みログのウィンドウを閉じると、それを見なかったことにした。ブラウザをスクロールして、興味を引く書き込みを読む。今回の理津子の参加は、かなり話題になっていた。そして、理津子がこの掲示板を読んでいるとの書き込みを誰かがしたようだ。掲示板ではその住人達が上へ下への大騒ぎがあって、言葉遣いがあらたまって、理津子に関する書き込みが異常に増えていた。きっと、理津子は自宅に帰ってから2chを覗いて、そこに自分のことが書かれているのでびっくりするに違いない。ぼくも、今回の発表会について、簡単に記事にまとめて投稿させてもらうことにした。酔っ払っているため、いつもの乱文がさらにひどくなっているが速報だ。きっと、パソコン画面の向こう側で大勢の読者達が草津温泉に思いを馳せ、映画化の後押しをしてくれることだろう。そのためにも、もっともっと、盛り上がって電車男を超えるスレッドに育って欲しい。
いつの間にか、コスギくんとマリコさんが2人並んで仲良く2人だけでお話をしている。ルソーくんが、酔っ払って真っ赤な顔をしてユミちゃんに話しかけている。田中さんが、親父ギャグを連発して理津子を笑わせている。ヒロコさんが、ぼくの書き込みが終わるのを待っていたのか、嬉しげに焼酎のボトルを傾けてぼくのグラスについでくる。<なんで俺なんだYo!!>
そして夜も更けて。女性陣が部屋へ引き上げた後、布団を敷いて全員で就寝。洗面所へ歯を磨きに行くと、うしろからヒロコさんに呼び止められた。ヤバイ。キター!!。
おずおずと近づくヒロコさん。
「理津子さんて、カレシがいるんですか?」
なんだ、そうかYo。・・・そう言えば、今朝のヘリでは理津子も同じ便だった。やや男勝りところがある理津子だけど、優しいヒロコさんとはうまく行くかもしれない。
「実はよく知らないんだ。でも、頑張ってアタックしてみなYO」
ぼくは、ほっとした気持ちで、今度はヒロコさんをけしかけた。考えてみれば理津子のプライベートをほとんど知らない。
「アプローチされて嬉しくない女の子なんていないよ」
実はこのセリフ、映画「私をスキーに連れてって」で、主人公の同級生の女友達が彼女の電話番号を聞くように主人公をたきつけてるときのものだ。これは女性のホンネなんだろうか。だったら、もう少し違う青春を送るべきだった。
・・・と思い込んでいたのは、若いころだった。
必死の思いでアプローチすることが、それまでの友達関係を壊すことを知ったのは、かなりたってからだった。
結局、星の数ほど振られたなあ・・・。

そして、翌日。朝から風が強く、ゴンドラは運休。ヒロコさんをたきつけて、理津子とヒロコさんは2人きりで振り子坂ゲレンデでモーグルの練習へ。コスギくんとマリコさんは、天狗山ゲレンデでショートターンの練習。コスギくんがぴったりくっ付いて、手を取り足を取りマリコさんにコーチしていた。田中さんは、朝起きたら花粉症によるアレルギーがひどく、くしゃみが止まらないためスキーはお休み。かれは午前中、温泉めぐりして帰ると言う。ぼくとルソーくんは、またしても二日酔いの頭を抱えながら、天狗山でてきとーに滑ってお茶をにごすことにした。天狗山のゲレンデには、イズミさん親子がボードで滑っていた。娘さんも、奥さんもそこそこ滑れるようだ。時折、斜面で彼らを追い越すたびに、「おさきにー!」と声をかける。その度にイズミさんが、「転ぶなよ」とか「頭洗ったか?」とか「はぁ~どっこいしょぉ~っ」てな感じで返事をくれる。
天狗山を滑るぼくとルソーくんにくっついて来てくれたのは、ユミちゃんだった。彼女は、昨年の11月にひざを痛めて数日入院したらしい。それまでは、モーグルのワールドカップを目指して、冬はスキー三昧の生活だったとのこと。ひざを痛めたのはゲレンデ内の事故。「膝の靭帯損傷」。志賀高原でスキースクールのコーチをやっていてスノーボーダーに後ろから追突されたらしい。ぶつかった瞬間に膝に衝撃が走り、その時は骨折したと思うほどの痛みを感じたとのこと。その後はスノーモービルの後部座席に乗せられ医務室に連れていかれ、医務室ではとにかくアイシング。なんとか歩くことができるぐらいに痛みは治まり、階段で地獄の痛みを堪え新幹線で帰宅・・・・。翌日、地元の日赤救急病院でレントゲンを撮り、いろいろな間接の動きをチェックしてもらった結果、「内側側副靭帯損傷」の診断。一時は、もうスキーはできないかもと諦めたらしい。病院では、包帯でテーピングをしてもらい、安静しているようにとの指示。一人暮らしの生活で、かなり不便を味わいながらも、派遣先の会社へ毎日足を引きずりながら出勤する毎日だったとのこと。
ようやく治って、膝を曲げても痛くないほどに回復したのが、ついこの前。暖冬で、今シーズンのスキー場の営業終了の知らせが続く中、先日降り出した忘れ雪のニュースに誘われて一緒にスキーに行くメンバーを探していたのだった。昨日はケガからの復帰、第一日目。初すべりが、ぼくらとのフォーメーションスキーだったらしい。とにかく、諦めかけていたスキーがまたできた喜びに、昨日は思わず涙してしまったとのことだった。
・・・そうだったのか。モーグルの選手だったのか。それで、あんなにかっこいいエアを決められたのか・・・。でも、慣らし運転にしては大きなエアを飛んだものだ。それで、昨日の出だしは慎重に体のいろんなところに気を配りながらすべっていたのか・・・。最後のフィニッシュで、ぼくらが止まり切れずにぶつかってしまった時に痛そうにしていたのは、怪我した時のことを思い出したからなのか・・・。
ぼくはメンバーと別れて草津を出発するまでに聞きだした彼女の話は、こんな感じだった。四国生まれという彼女。関西出身のスキーヤーは、どうしても東北、北海道出身のスキーヤーと比べて見劣りがする。小さい頃のスキーの経験の有無が、そのまま埋められない経験の差になってしまうのかもしれない。でも、やっぱり、同じスポーツのプレーヤーとして是が非でも彼女を応援したくなる。だって、ぼくが学生時代に初めて愛した女性は、四国生まれだったからなあ・・・。
別れの時が近付くにつれ、ぼくは無口になっていった。ルソーくんともユミちゃんとも目を合わせないようにしていた。別れが事務的にすんなりとできるように・・・。みんなとの別れの時が、つらくなりそうだったからだ。きっと、ぼくは嫌な奴だったに違いない。すっかり引きこもりのおタクのようだった。ただ、最後に宿からみんなと出る時に、握手して別れの挨拶をしたルソーくんの視線をどうしても避けることができなかった。手を握りながらたまらない気持ちでルソーくんの目を見つめたら、彼の目には大粒の涙が浮かんでいた。合理主義者とばかり思っていたフランス人も、こんな時に涙もろくなるんだ。しかも、ぼくよりもコイツは泣き虫だった。彼は来週、成田を発ってフランスに戻る。フランスではリクルート活動が待っているはずだ。きっと、彼なら、良い企業に入社して出世するだろう。ぼくにできることは、彼の幸運を祈るしかない。もっと素敵な新しい仲間が君を迎えてくれるよ・・・。

そこまで来ていた春に抵抗するかのように降り積もった神の雪。ぼくらの3月17日の草津はまだ冬のさなかだった。厳しい冬がようやく終わりを告げ、春の息吹が感じられるころ忘れたように降る雪。それを忘れ雪と言う。天候に左右される商売に携わる人たちには何とも皮肉で恨めしい雪なのだろう。
ヘリスキー。はじめての体験だった。コース前半は林間の緩斜面。映画「私をスキーに連れてって」を当然のように思い出す。あの映画で撮影に使われたコースは、なだれの心配があり実際にはすべることはできないらしい。いたるところにパウダースノー。アイスバーンに積もった粉雪はさらさら軽く、まるでスキーをしていると言うよりは空中を滑空しているような感覚すら覚えた。休憩地点の芳ヶ平ロッジで昼食をとり、自分達が滑ってきたルートを一望に見る。此処に来た者にしか分からない物があった。・・・最高だった。
そして、発表会。多くの出逢いがあった。イズミさんのうれし泣き。ユミちゃんのゲレンデに落とした涙。ルソーくんの別れの涙。また明日から、それぞれの人生がスタートする。ぼくは理津子を乗せて,携帯にユミちゃんとの通話履歴を残したまま帰途についた。帰りの車の中、理津子がつぶやいた<もう今シーズンは終わりですね>と言う言葉が胸にしみた。この後に続く5月の連休の春スキー、夏の月山スキーは気持ちの上では来シーズンということになる。

あれから4ヶ月が過ぎた。去年の12月にみつまたに理津子とスキーに出かけてスキー映画の話をした後、インターネットの掲示板で激しい勢いで書き込みしていた嵐のような日々が何年も前の出来事のように思えてくる。やはり、あれもまた、ひとつの祭りだった。そして、撮影会、発表会に集まったぼくも、みんなもその祭りの小さな神輿の担ぎ手だったのだろう。いま、祭りが幕を閉じた。
木々の影を濃くする、春の日の朝、ぼくは会社に向かう。気の早いマルハナバチと、花びらの開ききった菜の花と、駅に向かう人々もまた、あふれる春の陽を浴びている。事務的に手足を動かして改札を抜け、定刻に到着した電車にのり込む。昨日までの雪国は、長旅であったけれど幕切れはあっけない。電車の発車のベルひとつで現実の世界に収監される。今シーズンの思い出すら遠ざかるように、日常の中へ背中を押される。さあ、春はすぐそこだ。季節はどんどん、移り変わっていく
終わり

テーマ:自作小説 - ジャンル:小説・文学


私をスキーに連れてって2007
2月10日(土) 志賀丸池

いよいよ、2chメンバーたちとスキー映画のプロモーションビデオを撮る日がやってきた。ぼくは、この日に備えて、年末から体力の復活と関節の柔軟さを上げるためジョギングやら、ダッシュやら、バランスディスクを用いた股関節運動を毎日行っていた。やり始めた当初は、すべて秒単位で体中の筋肉や関節が悲鳴を上げるていたらくであったが、徐々にそれらの運動を分単位で継続できるところまで改善できた。といっても、全盛期の頃はこれらの運動を何時間も続けても平気だったから、相当運動能力が失われていることになる。それでも、休日の早朝、トレーニングウエアに身を包み、自宅の前の緩やかな坂道を一気に駆け上がって近所の公園まで行くと、心の中で映画ロッキーのテーマミュジックが鳴り響いていた。復活は無理でも、やれるだけのことはやろうと心に決めていた。また、夜は夜で、基礎スキーの第一人者である渡辺一樹氏のDVD6巻セットを繰り返し見て、スキー操作のイメージトレーニングに努めていた。もちろん、昨年の年末以来、ベースワックスを塗布したまま放置しておいたスキー板のワックスをすべて除去し、アイロンを使って新たにベースワックス、さらにその上に滑走ワックスを塗ったのは言うまでのこともない。スキーとかさばる荷物は、先週の日曜日に宅急便で予約を取った宿に直接送ってあった。
そして2月9日金曜日。週末から始まるの3連休の前日であるこの日に、ぼくは秋葉原の駅前を出発して志賀高原へ行くスキーバスを予約していた。今回の志賀高原へは、一人でスキーバスに乗って行くことになる。考えてみれば、5月の連休の春スキーを除けば一人でスキー場に出かけるのは今回がはじめてだった。というのも、昔はゴールデンウィーク以外ならスキーを誘えば誰かしらが2つ返事でついてきた。今回は、会社の若い連中に声をかけて見たが、「寒いのはやだ」と言う理由で一緒に来るヤツはいなかった。同じバカンス費用を投資するなら、あったかい場所で温泉というのが今のトレンドらしい。温泉なら準備も簡単で、手軽に行かれるのが魅力とのことだ。また、昨年末のスキーに付き合ってもらった親戚の理津子は、この連休は会社の仲間たちと野沢温泉スキー場に行く予定らしい。
2月9日の金曜日の夕方、会社を定時に終えてロッカーで私服に着替えると、ぼくはいつもの帰宅方向とは逆の都心に向かう電車に乗りこんだ。スーツは会社のロッカーに連休明けまで置きっぱなしだ。背中に背負ったディバッグには、ポータブルのMP3プレーヤーとCASIOの電子辞書EX-word、沢木耕太郎著書の文庫本が一冊、携帯電話とカメラ、お菓子やカロリーメイトなどの軽食を詰め込んでいる。CASIOの電子辞書は、SDカードを経由してテキストファイルが読めるようになっており、ネットで落とした英語の記事などを読むのに使っている。知らない単語があれば、ボタン一つで意味を調べたり、ネイティブの発音が聞けたりと、いろいろ遊ぶことができるのでいつも持ち歩いているものだ。
秋葉原駅前22:30発の志賀高原丸池スキー場へ行くスキーバス。発車時間まではだいぶ時間があった。ぼくは東京駅の地下街で夕食を取ったあと、秋葉原へ電車で移動し中央通にあるインターネットカフェ「アイカフェ」で時間をつぶした。ここは会員制の24時間営業のネットカフェだが、身分証明書さえあればその場で会員になることができた。出先で手軽にネットに接続できるのはなにかと便利だ。金曜の夕刻のせいか、店内は得体の知れないオタクたちでこんでいた。そこは、ネットオタクたちの吹き溜まりみたいな場所だった。PCブースは3時間パックで1200円なり。Pentium4-2.8GBに17インチの液晶ディスプレイが使い放題である。ソフトドリンクは飲み放題だが、なにしろ、これから夜通し走るバスに乗ってスキーに行くので、トイレが心配で水分はあまりとらないことにした。念のため、パスワードや暗証番号の入力を必要とするサイトは利用しないことを原則に、あちこちのサイトを覗いているうちにようやく出発時間が近づいてきた。秋葉原の駅前に戻ると受付を済ませバスの到着を待った。
秋葉原はぼくらの世代では、中古あるいはパソコンのパーツを買うスポットというイメージがあったが、現在は新しいオフィスビルが建つIT産業の拠点となりつつある。つまり、雑多なゴミゴミした街から“新ビル”に見ることができるような近未来的な街に変貌を遂げつつある。もう数年もすれば、フィギュアやプラモデル等のオタクアイテムをチェックするために秋葉原に通っているオタクたちが、「あー昔アキバってあんなだったよね。懐かしいよね」なんて言うようになるにちがいない。最近の都会の変化は急速で、目を見張るものがある。うかうかしていると時代の変化に取り残されそうだった。そうしているうちにバスが到着。バスに乗り込み、いよいよ出発だ。スキーのハイシーズンでしかも3連休の前夜ということもあり、バスの座席は満席だった。若者のグループに混ざって、子供を連れた家族連れが何組か乗ってきた。大きなラゲージを抱え派手なスキーウエアに身を包んだ乗客たちの中に混ざって、セーターとスラックスにモスグリーンのアウタージャケットを着込んで、手にはディパック一つだけの身軽な格好のぼくは、まわりの雰囲気から完全に浮いていた。自分でも場違いな所に来てしまったような感じを覚える。他の乗客も、ぼくのことをスキー客ではなく帰省客とでも思っているのかもしれない。
定刻の午後10時30分、バスはターミナルを出発した。練馬インターから関越道(藤岡)を経由して国道18号で途中休憩を挟みながら長野まで。バスはそこから明早朝、長野県志賀高原のスキー場に到着する予定である。ぼくは久しぶりに学生時代に戻ったように心が弾んだ。ここまでくれば、仕事を完全に忘れて、日常生活から切り離される。明日から雪原の銀世界を滑りまくると思うだけで心が躍った。日頃のストレスも、いやな人間関係も、日常性の枠の中で行動していることから発している。銀世界は、こうした日常性から完全に切り離してくれる。たとえそれが一時の錯覚であったとしても、心が限りなく自由になれる。乗り合わせたの乗客たちは、賑やかに談笑してすでに心ここにあらずといった感じだ。その中に混ざって、ぼくを含めたヒトリスト(単独のスキーヤーたち)は明日に備えて早くも眠り始めている。バスは光があふれる電飾の街アキバを後にした。
スキーバスの中の蒸し暑さと窓の隙間から入ってくる冷気。眠れないリクライニングシートで、ぼくは曇った窓を拭いて暗い外の景色を眺めながら、MP3プレーヤーの音楽を聴いていた。「松居慶子 DEEP BLUE」。2001年5月に発表、8月にはビルボード誌のコンテンポラリー・ジャズ・チャートで1位にランクされたこのアルバムは、バブル経済崩壊後の空白の十年により生じた虚無感に苦しんでいた頃の孤独を癒してくれた一枚だった。特に、1曲目のアルバムタイトルにもなっているDeep Blueには泣かされた。この曲は地中海の青をイメージしたものという。心に残る美しいメロディが印象的な曲だ。いつもなら、スキーに出かける時は、ユーミンの「サーフ天国・スキー天国」がぼくの定番だった。1987年に公開された映画「私をスキーに連れてって」のオープニングで使われた曲。エンジンを掛け、スモールランプを点灯。おもむろにカセットを取り出し、カーステレオにセットする。さあ、出発だ。流れ出すイントロと同時に、カローラIIのリトラクタブル・ヘッドライトが開く。その当時は、この映画のオープニングに魅了されていた。何度見ても、あのスキーへ行く前の静かな興奮があますところなく伝わってくる。しかし、今回はいつもと違い、一人でスキーへ行くことを選択した。しかも、過去に1度しか経験のないスキーバスでの志賀高原へのアクセスだった。見知らぬ若者達に混ざってバスの中で一人という孤独な状況をいやすため、選んだアルバムの一つがこれだった。
途中、3時間ぐらいおきにトイレ休憩をはさみ、バスは志賀高原への道をひた走った。バスは、碓氷峠の途中でチェーン脱着するが、バスを停めてチェーンを巻いてスタートするのに2-3分しかかからない。ベテランらしいドライバーのその機敏さに感激した。碓氷峠といえば、定番の峠の釜めし「おぎのや」。長野新幹線ができて横川駅に停車することがなくなったため、駅で弁当を買い求めたのは過ぎ去った昔のこととなってしまった。益子焼のやや重い容器の思い出とともに、当時のことがフラッシュバックしてなつかしさがこみ上げてきた。おぎのやの前では、駐車場に入るバスが順番待ちのために渋滞していた。スキーバスの夜行便は、長野まで都内から高速がつながってアクセスが簡単になった今でも、こうして一部区間を一般道を通ることにより経費を節約しているようだ。横川のドライブインを出るとやがて軽井沢だ。窓の外に暗闇の中、車のライトを反射する白銀の世界が見える。空から大粒の雪が、風に舞いながら降っていて止みそうも無い。峠を抜けてバスが長野に入った時、ぼくはようやく疲れて眠りに入った。
気がつくと、夜が白々明けていた。一晩中風雪は続いたようで、朝の段階でもまだ雪止まず。 しかし、ちらほら青空も覗きはじめてどうやら天候は回復に向かいそうだった。早朝にバスの車窓からみた真っ白な雪景色。志賀の玄関口サンバレーの正面ゲレンデが目にはいると、今日は頑張るぞ~と気合いが入ってきた。
志賀高原は十数年前に、当時通っていたテニスクラブの仲間たちと新幹線で行ったのが最後だったように記憶している。その時も、2月のことだった。着いたその日は大雪で、ゲレンデはホワイトアウトの状態だった。湿った深雪にスキーをとられて、滑走中に転倒するスキーヤーが続出していた。転んだスキーヤーを避けてゲレンデに止まっていると、上から何人ものスキーヤーが転がりながら降ちてくる。油断していたら、不意に後ろから転倒したスキーヤーがまともにぶつかって来た。頭に強い衝撃を感じるとともに、ぼくはゲレンデに跳ね飛ばされてしまった。幸い、帽子をかぶっていたためスキーのエッジで頭を切るのは避けられたが、運が悪ければ頚椎捻挫なり切創なり重傷を負うところだった。視界が悪いにもかかわらず、スピードを控えるなどのケアをしないスキーヤーのマナーの悪さに強い怒りを覚えるとともに、あこがれの志賀高原の名門コースであるジャイアントコースに迷い込む初心者スキーヤーがとてつもなく多いことに悲しみを感じていた。そう、十数年前の当時は、悪天候であれスキー場には人が多すぎて溢れかえっていた。ゲレンデのほとんどのコブの頂上にスキーヤーが立っており、それを避けるためコース取りに苦労をした時代だった。そして、当時のスキー・バブルは各地のスキー場のインフラを充実させた。その後、バブルが破裂しスキー人口は減少したが、インフラはまだ残っているのでそういう意味ではスキーをする環境は以前よりも向上したと言えるのかもしれない。
志賀はいま、長い長い冬の真っ只中である。12月の初冠雪、そして5月末の雪解。例年、12月中旬から4月の中旬まで、白銀の世界となる志賀高原一帯であるが、今年は暖冬で比較的積雪が少ないらしい。ハイシーズンの2月に入っても、昨日まではずっーと天気が良く暖かい日が続いていたようだ。ぼくは、ゲレンデのそばの宿に行くと、先週送ってあったスキーと荷物を受け取り、さっそくスキーウエアに着替えた。今回のウエアは、これまた10数年前の薄めのモスグリーンのelesseのワンピース。ぼくは、当時このウエアを着ていて、会社の仲間と行った会津高原たかつえスキー場で、搭乗中のシングルリフトから3m下のゲレンデに落っこちたことがあった。最近、そのスキー場には行っていないので今はどうか知らないが、その当時は、シングルリフトの搬器に転落防止用のバーが付いていなかった。また、ゴアテックスのウエアは雪をはじいてよく滑った。そんなことが重なって、ぼくはリフトから転落して3m下のゲレンデに落っこちた。
思い出したくも無い嫌な思い出の一つである。突風のような地吹雪でリフトが止まったのだった。下から吹き上げてくる地吹雪に凍えて思わず身をよじったところ、ウエアが簡単にすべり、むき出しのプラスチック製のリフトの座席から落ちて両手でぶら下がる格好となった。下は整地されたゲレンデである。しばらく、座席にしがみついていたが、どうなるものではない。リフトの高さが3mぐらいだから、うまく着地すればケガをしないだろう。
幼い頃に見た若大将という映画のシリーズには、シングルリフトからスキーヤーが次々に飛び降りてスキーをするシーンがあった。その当時の映像は、今で言うエクストリーム・スキーのノリだったのだろうか。もちろん、リフトから飛び降りれば、搬機が揺れて他のスキーヤーが転落しかねないので、今は厳重に禁止されている。考えてみれば、もともと、スキーは山男のスポーツであり、女性と一緒に楽しむようなスポーツではなかったのかもしれない。スキーへの単独行も、今よりは市民権を得ていたはずだ。♪娘さん良く聞けよ 山男にゃほれるなよ・・・。♪遭難まではしなくても、今のような安全なビンディングシステムのなかったその昔は、スキーヤーには骨折や捻挫と常に隣りあわせだった。さらに、整地されていないゲレンデで起こる雪崩れなど、ある意味、命をかけてスキーをしていたと言っても過言ではない。その意味で、スキーをするような山男は、いつまでも夢を追いかけている大人になりきれない男たちだったと言える。
・・・リフトからぶら下がっていたぼくは、リフトが動き出す前に意を決して、しがみついていた座席から手を離した。リフトで飛び降りれる場所はそこしかなく、さらに上に行けばネットを張ったもっと深い谷底に落ちてしまうことになる。ゲレンデへの着地はジャンプの選手のようにぴたりと決まり、何事も無かったようにぼくは滑り出した。まるで、昔見た映画のようにだ。・・・ただ、座席に片方の手袋が引っかかって、ポールといっしょに座席に取り残されてしまった・・・。前の席に座っていた会社の同僚は、地吹雪で止まったリフトの後ろで起こったぼくの転落事故が分からなかったらしい。ただ、リフトが大きく揺れたこと、リフトから降りるときに、後ろの席に乗ったはずのぼくの姿が見えずに、そのかわり片方の手袋とポールが引っかかっていたので、いったいどうしたんだろうと思ったらしい。この時、ゲレンデの正面にあるレストハウスの一角のミニFM局のスタジオの女性は、ぼくがリフトからぶら下がってそして転落するまでの間、無言になっていた。リフトの支柱に取り付けられたスピーカーから聞こえる彼女の声がしばらく途切れたのだった。きっと、スタジオの窓越しに吹雪の中で止まったリフトを見て、そしてリフトから落ちたぼくを見て、彼女はスタジオの中でオロオロしていたのかもしれない。平成元年2月24日大喪の礼の日のことだった。国民がこぞって弔意を表するなか、ぼく達はスキーをしていたのだった。

天気はまだ回復せずに雪が降り続いている。まだ朝早くゴンドラが動いていないので、ゴンドラが動き出すまでホテルのロビーで休憩することにした。ディパックからカロリーメイトとウイダーインを取り出し朝食がわりとする。ヒトリストって結構寂しいのだが、食事などはこうしてマイペースでやれる良さもある。しばらくしてリフトが動き出してから、ぼくはリフトを乗り継いで焼額山スキー場をめざした。丸池から蓮池リフト乗り場トンネルをくぐり、道路を渡り少しスケーティングするとジャイアントスキー場へ。東館山山頂までリフト・ゴンドラに乗り、高天ヶ原へ滑り降りる。朝方に降っていた雪は9時ごろに止み、いまは太陽が顔をのぞかせている。今日から3連休なので、ゲレンデには人があふれていてコースにはコブができやすい状況だ。タンネの森を横切って一ノ瀬ファミリーからまた橋を渡ってダイヤモンド、山ノ神のりフトへ。その反対側が焼額だ。焼額の第2ゴンドラが15分待ちだったので第1ゴンドラまで行く。ここのオリンピックコースの脇には、コブが続く最大傾斜39度のカベがある。
ゴンドラ乗って、ようやく焼額山頂。そこから一気に丸池に帰着を目指して滑り出す・・・志賀はこうしてあっちこっちに行ったり来たりするのが楽しくもある。帰る途中、一ノ瀬の橋にエスカレータみたいなのが出来ていて驚いた。乗ってみると確かに楽でいい。寺子屋から東館の林道みたいなコースを下りて、午後1時ちょっと前に丸池に帰って来た。ほとんどノンストップだった。今回、焼額を滑ったことで、ほぼ毎日書いている自分のブログに<いや♪もう♪最高ですた♪>と書き込みができる。ちなみに、“どうだった やけびたい”は前述の映画「私をスキーに連れてって」で、田中邦衛が扮する会社の先輩(元国体スキー選手)が三上博史演じるスキーフリークの矢野に問う言葉だ。矢野は”いや♪もう♪最高でした♪”と答えるのだ。焼額山は、標高2000mを越えるので雪質はかなり良く、さらさらの粉雪で量も豊富である。長野県のスキー場の中でも雪質は最高クラスだ。コースもおもしろく、「長野オリンピック」でも使用された。
ぼくは、丸池に帰ると、ゲレンデで昼食をとった。といっても、朝食に残したカロリーメイトとウイダーインをディパックから取り出し食べたわけだが・・・。ゲレンデにかぎらず、たとえば、家の近所をハイキングしている時など、わざわざ人がこない公園のベンチなどに座って食事をしようとすると、必ずベンチのとなりに人がやって来て座る。ベンチの周りには誰もいなかったにもかかわらず、お弁当の包みを開けたとたん、ベンチの隣を目指して人がやってくるのだ。食事を終えてぼくがベンチを離れると、また元の無人ベンチに戻る。こうして外で食べていると人が寄ってくるのは、人間の原始的な本能から来ている行動とぼくは解釈している。今から1千数百万年~600万年前、アフリカ大陸東側では大地溝帯の形成によって乾燥化が進み、森林が減少してサバンナに変わっていった。その大激動のなかで、森林に残った猿がチンパンジーになり、サバンナに出て行って適応した猿が人類の祖先となったと考えられている(イーストサイド・ストーリー)。もともとの遠いヒト祖先のホモ・エルガスターは樹木生活者で主食は果実であったが、サバンナで主食の変更を余儀なくされたとき、肉食を本格化させたのだ。食物が豊富で外敵から身を守りやすく安全な樹木生活から、食料も乏しく身を守る樹木も無いサバンナに移り住んだ時、猿人達は本能的に集まって採食することで他の動物から襲われる危険を分散させる知恵を身につけたのだろう。つまり、戸外で何かを食べている人がいれば,人がその近くに寄っていくのは人類の遠い記憶の名残から来ているものなのだろうと考えている。

さて、ゲレンデで簡単な食事を終えて、待ち合わせの約束の時間までまだ少し時間があるので、丸池の日本で一番最初にスキーリフトが架けられたというAコースを試してみることにした。ここは焼額よりも人が多く、人ごみをかき分けてコブを攻める必要がある。多少、足が疲労ぎみであるがコブの中を滑るのも問題なさそうだ。まだコブが浅いせいもあるのだろう。一組のカップルが、コブを飛ばしてすべるぼくに対抗してくる。<おまえ そのレベルで何考えてんの?>無視してコースの下から自分の滑ったライン確認する。その後、もう一本滑るためぼくがリフト乗るのを見計らって、リフト沿いでそいつは変なスプレッドを見せ付けてきた。明らかにこっちを意識してる。こんな古いスキーをはいているおじさんに張り合ってどうするんだよと思いつつ、大き目のコブで一休みしているそいつの後を あおりまくった。でも懲りているようには見えない。<時間があったら、容赦しねぞ!>焼額があまりにも気持ち良過ぎたので、すっかり、気持ちだけは若者モードに戻っていた。
約束の時間、午後2時よりも少し前にスキー場内の丸池ホテルモンテ・モア前に行く。そこには、すでに2人の若い男が待っていた。2人とも年齢は30代前半であろう。一人は、白のフェニックスのスキーウエアーに身を包んだ見るからに体育会系風の男。もう一人はスターウォーズに出てくるチューバッカ(森林惑星キャッシーク出身のウーキー族で、年齢は約200歳の架空の人物)を連想させる背の高い若者だ。オレンジのジャケット、ニットキャップ、黒のパンツを身につけている。オレンジのジャケットを着た彼に近づいて目が合った時、なぜか背中がゾクッとするような感覚を覚えた。しかし、どう考えても30代前半の現役の彼らは、メールでやり取りしていたネットの香具師たちと結びつかない。むこうも、こっちを強く意識している様子だから、待ち合わせの相手には違いない。当日の飛び入り参加も呼びかけていたので、そのメンバーなのだろうか?と思っていたら、白いフェニックスの男が声をかけてきた。
「あの方ですか?」
<来たーーーー!!>
あらかじめ、打ち合わせておいた合言葉だった。返事の言葉は
「ですが何か?」
白のフェニックスの男は、「ワタナベカズキ」と名乗った。たしかにスキーはうまそうに見える。でも、絶対、「ワタナベカズキ」は本名ではないだろう。ハンドルネーム(ニックネーム)を名乗ったとしても、その名前はあまりにも香ばしすぎる。本物の「渡辺一樹」は、スキーフリークからすれば神様だからだ。ぼくは、苦笑を浮かべると「ワタナベカズキ」と挨拶を交わした。彼は名古屋から昨晩一人で来たらしい。昨夜、駐車場に止めた車の中で仮眠しての参加だった。日帰りの予定で今日は17時にはスキー場を出る予定とのこと。そして、もう一人のチューバッカ・・・
「彼」はヒロコさんだった。本名「町山」の後に、ニヤっと笑って「ヒロコです」と告げられた時には、ぼくは思わずめまいを覚えた。今回のOFF会で、唯一の女性参加者は実は男だったのだ。一人で頭を悩ませていた宿泊の部屋割りの問題が、思いもかけない方向で一気に解決したので、たしかに嬉しいには嬉しい。しかし、切れ長の目で時々流し目をくれながら底抜けに明るく話す「彼」を見ていると複雑な気持ちになってしまう。「彼」に言わせれば、さきの映画にでてくる男の名前はすでにハンドル名として他の人に使われていたので、勢いで女性名を名のってしまったとのこと。それにしては、メールの文章は完全に若い女性の文章だったのですっかりだまされてしまった。おそらく彼は、ネットではいつも女性として振舞っているのかもしれない。
世間に許容されるかどうかは別にして、日常生活でのオカマは変態とされるのが一般的だと思う。しかし、ネットでの自己表現のために女性を演じているネカマの場合は、これを変態と呼ぶのかどうかはどうにも自信が無い。というのも、日本の文学には、土佐日記のように男が女性の言葉で書いたものがある。男性が自己表現のために女性の表現様式を使うのを『変態』とするなら、『紀貫之』も変態ということになってしまう。文学を志す者にあって、日本文学の古典を冒涜するわけにはいかないのだ。ネカマの「彼」は、3月で33歳になるアパレル会社の社員とのことだった。彼の業界は、バレンタインのこの時期は超忙しいにもかかわらず、仕事を休んでの参加らしい。昨日から宿に先行して宿泊しての参加だった。そして、彼が今日泊まる宿の手配をしてくれていたのだった。

最初に会った2人があまりにも香ばしすぎる香具師たちだったので、ぼくは、しばし平常心を保つのに苦労をしていた。やがて気を取り直して、彼らと今年の雪の少なさや今日滑ったコースなどの話をしていると、2時ちょっと前にその2人組みはやってきた。
「コスギさん!!・・・ですよね?」
ぼくは、思わず合言葉も忘れて、声をかけてしまった。
40歳の半ばぐらいの白、黒、グレーの迷彩模様のジャケットを着たオガワと名乗る彼は、IDoneのカービングスキーをはいていた。その格好やしぐさから、ひと目で、スキー暦の長いモーグルスキーヤーであることがわかる。そして、今日会う前に、なんどかやり取りしたメールから想像していた人物像とぴったり一致していた。つけ加えて言うと、「私をスキーに連れてって」に登場する「小杉正明」にかなり近いキャラだ。彼自身は、化学メーカーの研究者とのこと。ゴーグルのなかに今風のおしゃれな細いめがねがのぞいている。きっとやると思ったが、待っていたぼくらのそばに来るや、デジカメを取り出して「とりあえず」と言ってシャッターを押す。<やっぱりね>ぼくは妙に納得していた。彼らは、もう一人の連れと横浜からの参加だった。昨夜は、横浜から高速でノアを駆って湯田中ヘルスケアセンターで仮眠した後、湯田中駅のそばのローソンで朝食。スキー場について駐車場で着替えた後、午前中は丸池Bコースを滑っていたらしい。そういえば、ゲレンデの向こうに彼らのようなスキーヤーを見かけたような気がした。そして、彼の連れは、フランスの青年だった。ジョエル・ルソー(J. Rousseau)クン。日本語は、ほとんど話せない。その夜の飲み会でわかったことなのだが、彼はフランスのナンシー大学から来た留学生で、大学院2年の22歳らしい。新しいデバイス材料の開発の国際共同研究を行っていて、その交換留学生とのこと。留学先の東京理科大学からコズギくんの会社の研究チームに合流して材料の研究をしているらしい。去年の夏に来日していて、この3月末にフランスに帰国の予定とのこと。修士論文を毎晩書きながらの参加だ。ラテン系の民族らしくやや小柄で、体型的にはやせっぽちの体つきだ。ただし、性格は非常にまじめだ。彼の話し方でそうわかる。ラテン系民族というと女たらしのイメージがあるが、彼はそのようなふやけた雰囲気はなかった。もっとも、初対面なので恥ずかしがっていて本性は別なのかもしれない。ナンシー大学は、ドイツとの国境近くにあるとのことで冬は雪が積もり、その地方はウィンタースポーツが盛んらしい。しかも、彼はフランスのスキーの強化選手だったとのことで、子供の頃からいろいろなスキーの回転大会に参加していたらしい。今日は、ここのスキー場で借りたレンタルスキーとレンタルのウェアで参加だが、結構さまになっている。
ぼく達は、メールで盛んにやり取りしていた頃から互いにネックネームで呼び合っていた。その延長で、このOFF会でもニックネームで呼び合っていた。というのも、お互いにメールでの印象が強すぎたからだ。だから、ぼくは彼らから「ヤノ」クンと呼ばれてた。これで、メンバーは5人がそろった。あと、「イズミ」さんがビデオ機材を抱えて、カメラマン担当の人とともに来ることになっていた。
いくらも待たないうちに、ぼくの携帯が鳴った。
「もしもし?」
「ヒロセです。いまモンテモアの中です。すぐ行きます」
携帯にかけて来たのは「イズミ」さんだった。レストランが込んでいて、頼んだチーズケーキがなななかやってこなかったらしい。すぐに、目の前のレストランのドアが開き、彼らはやってきた。
「丸池ホテルと言えばコーヒーとチーズケーキは外せないよな」
ON-YO-NE(オンヨネ)の白と黒のウェアに身を包んだ恰幅の良いおじさんは、ぼくらに会うなりそう言った。彼がイズミさんだ。岩手県出身で、今は東京でアクセサリー輸入販売会社を営んでいるらしい。ぼくよりも年上で、年齢50歳。スキー暦23年、スノーボード暦14年の自称「雪山と雪遊びを知り尽くした山男」だそうだ。趣味はスキー、登山、ゴルフ、野球というから、年齢の割りに体力はありそうだ。彼も、メールでやりとりしていて、なんとなく彼に対して抱いていたイメージにぴったり合致していた。彼もまた「私をスキーに連れてって」に登場する「泉和彦」に性格が極似している。彼の話し方は、やや東北弁の名残がある懐かしさを感じるものだった。
そして、カメラを担当してくれるのが、イズミさんの会社に勤務しているというタナカさんだ。2人はしょっちゅう、バイヤーとしてアジアの各国へアクセサリーの買い付けにいくらしい。パナソニックのデジタルビデオカメラを抱えて、ゴールドウィンのスウェーデンモデルという派手な赤のプルオーバーを着ており、スキー場でもすごく目立つ。彼の持つカメラは、昨年の11月ぐらいに発売になったばかりのSDカードを記録媒体とするやつだ。2人とも東京の中野から参加。志賀に来る時は夜通し高速を走って、眠くてふらふらになりながら何とか信州中野までたどりついて、そのまま最初のローソンの駐車場で爆睡するというのが彼らのお決まりのコースだったらしい。しかし、昨夜はそのローソンがつぶれていたので、寝場所を探すためしばらくウロウロしたとのこと。おまけに3連休のため車が多く、思ったよりも上林から上の志賀草津道路が渋滞していたとひとしきりこぼしていた。
こうして、今回のOFF会のメンバー7人が、いま丸池のゲレンデに顔を揃えた。ぼくらはさっそくビデオの撮影のためリフトを登って丸池Bコースに移動した。いよいよぼく等のスキーのビデオ撮影がはじまる。

リフトを降りてすぐの斜面で車座になったぼくらは、まずはタナカ氏に斜面の中ほどまで先に降りてもらってそこからビデオを撮影してもらうことにした。Bコースは中級コースということもあって修学旅行生たちで結構込み合っているので、コースの端の比較的すいている林のすぐそばを滑ることにした。最初は個人個人それぞれの自由滑降だ。トップに滑るのはぼく。ぼくは、ポンとポールを交差させると、大きくスキーを踏み出して、ステップしながら加速して斜面をすべり始めた。ターンの際に意識的にステップして加速する。コントロール限界近い速度で、ひざを揃えて半月型の大きなシュプールを2つ描いて速度を落とすと、細かくスキーをスウィングし始めた。これが、伝説の東京ウエーデルンだ。スキー板のサイドカーブに頼ったカービングターンを除いて、能動的なターンの操作には、大きく分けて骨盤の動きを主体とするものと足から下のひねりを利用するもの2種がある。このうち、足から下のひねりを多く用いるものが東京ウエーデルン。どちらかというと、高速のすべりには不向きで女性のデモンストレーターが得意とするターンかもしれない。レーシング系の競技スキーヤーが、ひねり主体のターンを東京ウェーデルンと呼んで馬鹿にしていた時期があったが、コブ斜面を滑る場合には非常に有用な滑り方の一つである。
スキーのエッジで派手に雪煙を立て、瞬時にターンの途中からエッジングを弱めてスキーを前に滑らせていく。・・・ここのゲレンデが、コブのあまりない整地だから思い切ってスキーを前に送り出せる。そしてフィニッシュ。滑りながらフィニッシュをどうしようといろいろ考えたが、ジャンプ系の技をみんなはやるだろうから、ここは目立つため寝技系で行くにした。片足で山足1本のエッジに乗ったまま大回りターンへ、そして踏みかえる。ターン前半、山足にも荷重がかかり始める。山足と谷足の行程差(ディファレンシャル)に備え、雪面すれすれまで腰を落としていくと同時に、足を大きく開いてゆく。目線は雪面より30cmを維持しつつ、板の先端に加重していく。ものすごいスピード感と横Gを感じながら手を斜面にすれすれに伸ばし、加重は今度は徐々にテールに移行。そう、これが幻の技クラマーターンスペシャル。腰の位置をそのままに、さらに踏み変えてもう一つのターンを形成させつつ、トップを斜面の上に向かうまで回しこんでストップ。完璧なクラマーターンスペシャルが決まった。「やった!」と心の中で、叫ぶ。上で見ていた他のメンバーから賞賛の声がかかる。しばし、余韻にひたりながらビデオカメラを構えているはずのタナカ氏の方を見ると、・・・ビデオカメラを構えていなかった。
「すいません・・・転んだのかと思いました・・・・」
「えー撮ってないの!?」
そうなのだ。クレマーターンは腰を雪面すれすれまで落として、やや内傾ぎみにターンをする。バイクで例えるなら、ハングオン。一生懸命膝を入れてバイクを倒してカントを付ける。だから、見る角度によっては、雪面につけたお尻、あるいは雪面にすれすれに伸ばした手を支点に高速回転しているようにも見える。タナカさんに言わせれば、こけてお尻をつけたまま滑り落ちてきたように見えたらしい。残念!!。
次の滑走は、イズミさんだ。
下からスタンバイOKの合図を送ると大きな声で返事してイズミさんが滑り出した。カービングターン主体の滑りだ。両方のスキーを肩幅ぐらいにブライトさせ、しっかりエッジに乗ってなめらかに滑ってくる。外足に乗るオーソドックスなすべりで、見ていて気持ちがいい。そして、カービングショートターン。ビデオを撮るタナカさんの横で、ターンのタイミングに合わせてぼくは何枚かデジカメのシャッターを切っていた。だんだん、ターンのピッチが小さくなると同時にスキーのテールのドリフトを多めにして・・・東京ウェーデルンでフィニッシュ。さすがにバッジテスト1級を持っているだけあって、安定したすべりを見せる。
次が飛び入り参加のワタナベカズキくん。タナカさんのビデオカメラのスタンバイを待って、ぼくは大声で合図をする。
「47番!!」
急に<47番>と呼ばれたワタナベくんは、ドキッとしたような様子で周りを確かめ、オロオロしながらも自分が滑ることを要求されていることを知ると返事をしてきた。
「お願いします!!」
どうやら、彼はスキー検定の常連なのか、<おねがいしますっ!!>の掛け声で滑り降りてくる。
ニックネームを「ワタナベカズキ」とするだけあって、コブの扱いがむちゃくちゃうまい。イズミさんとは異なり、内足始動のターンだ。ぼくは、デジカメのシャッターを夢中になって切っていた。スキー技術としては、指導員クラスでも通用しそうな滑りだ。我々とは異なる次元の滑走速度でフィニッシュ。はでな雪煙が舞い立ち、見とれて思わず拍手してしまった。
そして、次がコスギくん。
その夜の飲み会でわかったことなのだが、信じられないことに彼は毎年のようにスキーの板を折ってしまうらしい。今はいているスキーは、通算で7~8代目。折れるたびに買った彼のスキー板の変遷を教えてもらったが、「すごい」の一言でしか言い表せない。それも、彼のすべりを見れば納得で、コブであろうが関係なく最短距離を滑ってくる。そして、スピードコントロールは、ヒールキックが主体だ。コブにスキー板のテールを意識してぶっつけるすべり方だが、ちょうど、てこの原理が働いてブーツの後ろ付近に応力が集中してスキー板が折れてしまうようだ。スピードを求める典型的なモーグルスキーヤーのすべりだった。コブに着地するたびに大きくたわむスキー板を見て、板がかわいそうな気もする。そして、カメラを意識して、コブを選んでスプレッド。最後は、瞬間的にエッジを左右に切り替えるモーグル仕様のウエーデルンだ。
スキー板の破損と言えば、幼い頃、ぼくもレンタルのスキーの板を折ってしまったことがあった。この時ぼくが折ったのは、スキー板の前の部分だった。深雪にスキーの板が突っ込んで、前のめりになって転んでしまった。当時のスキー板は、ガラス繊維で補強されたFRPだったと思う。立ち上がったら、折れた部分がささくれ立ってスキーの板が曲がっていた。幼かったぼくは、借り物のスキー板を折ってしまったことで青くなってしまった。いろいろ、板が元のようにまっすぐに見えるように工夫してみたが、どうにもならない。弁償するのにいくらかかるのだろうか。泣きそうな思いでゲレンデの下のレンタル屋にスキー板を返しに行くと、<折れちまったね>とそこのおじさんは平然とした様子で受け取った。当時の国産のスキー板では、転んだひょうしに折れてしまうことが結構あったのかもしれない。しかし、その後は30年以上に渡ってスキーの板をぼくは折ったことがない。スキーの板の材料強度は、当時に比べれば格段に向上したはずなのだ。それにもかかわらず、スキーの板を未だに折り続けるコスギくんはすごいとしか言いようがない。よくぞ、体が平気なんだと思ってしまう。その彼の典型的なヒールキックを、何枚かデジカメに収めた。しかし、カメラの液晶画面が光を反射して、撮った写真を確認しようとしたがゲレンデでは良く見えなかった。その夜、部屋に帰ってから確認すると、ヒールキックの瞬間がうまく撮れていたのは1枚だけだった・・・。
続いて、ルソーくん。
ルソーと言えば、アンリ・ルソーを思い浮かべる人、あるいは、ジャン=ジャック・ルソーを思い浮かべる人と人それぞれと思われるが、それは絵画、あるいは、文学に興味があるかどうかの違いであろう。ぼくは読んだことのないが、『社会契約論』の著者としての哲学者ジャン=ジャック・ルソーと彼がどんな関係なのかを、もちろん冗談のつもりで聞き出そうと彼に英語で話しかけた。しかし、ぼくの英語ではどうにも質問がうまく伝わらない。日本語でさえ微妙な質問を英語でするとなると、これはもうボキャブラリーの少ないぼくにはほとんど不可能だった。こうしてぼくの冗談はみごとに滑って終わり。この時に限らず、ガイジンに対しては生活習慣や価値観の違いから、ぼくの冗談はいつも滑りまくっていた。しかし、彼のスキーは本物だった。十数年前に、志賀高原のジャイアントでデモンストレーター選手権に来日していて、練習のため一人で滑っていたガイジンの滑りを偶然に見たことがあった。彼のすべりを見て、それをぼくは思い出していた。
その時、ぼくとそのガイジンは、コブの続くジャイアントコースの上にいた。なんとなく、二人でコースを譲り合っていたのだ。そのうちにかれは、こちらをチラッと目をくれるとおもむろにすべりだした。そのすべりは、普段、階段を降りるようなイメージのスムースなものだった。その頃ぼくは、コブ斜面を流れ落ちる水流をイメージして、コブとコブの間の溝をぬってコブにスキーをぶつけるようなすべりをしていた。だが、このすべり方では凍りついたコブでのスピードコントロールが難しかった。ぼくはその時に、そのガイジンのすべりを見てコブを攻略するすべり方を開眼したのだった。そのすべりとは、2本のスキーの同時操作を要求する渡辺一樹氏の教えによればダメとされるすべり方ではあるが、谷足1本でコブの腹を削りながらすべるイメージのものだった。普段、階段を降りる時に交互に片足を踏み降ろすが、そのようなイメージのスキー操作をすることにより、コブでのターンのタイミングを早くすることができるようになったのだ。その結果、これまではコブに衝突して途切れがちになっていたすべりが、片足で操作することで非常に滑らかにすべれるようになった。それまでは、両足で階段を一段ずつ飛び降りるようにすべっていたのだった。
あまり距離を置かずそのガイジンの後にくっついてコースを滑り降り、そして目の前でストップしたガイジンを避けて横の離れた場所にぼくは停止した。誰でもやることだが、そのガイジンも自分の滑ったラインを確認すべく後ろを振り向いた。そして、ぼくがすぐ後ろを滑っていたことに気がつき視線を投げかけてきた。ぼくはその視線を受け流して同じように斜面をふり返りつつ、心の中では彼のお陰でうまく滑れたこことに感謝していた。うまい人のすべりは、とても参考になる。そして,いつもこうしてスキーシーズンの終わりごろにはスキーがだいぶうまくなるが、しかし、シーズンが終わればすべて忘れてまた一からやり直しだ。毎年、その繰り返し。そんな訳で、ルソーくんのすべりは、今シーズンのぼくのすべりの手本となった。デジカメに保存した彼のすべりは、オフシーズンのコブ斜面攻略のイメージトレーニングにも使えそうだった。
最後は、ヒロコさんの番だった。彼に対しゲレンデで大声で「ヒロコさん」と呼ぶわけにもいかず、手を大きく振ってスタンバイOKの合図を送る。彼は、なよなよっとした性格に似合わず、足腰のばねを生かしたキビキビとしたすべりだった。すべりはやはりカービングが主体だ。途中で、やや大きめのコブをキッカーにして、ストレートローテーション(ヘリコプタ)を見せつけた。・・・うまい。着地もぴたりと決まり、度胸の良さが見て取れる。見ていてとっても楽しい滑りだ。彼のジャンプのタイミングが予期できなかったので、デジカメのシャッターを押すことはできなかった。しかし、彼ならアップライト(立ち技)系のエアをある程度ならこなせるかもしれない。シューッという音とともにはでに雪をけちらしてフィニッシュ。そして、こちらを見る。ゴーグル越しでもわかる彼のキリリとした流し目を見るにつけ、背中がゾクッとする。基本的にはチューバッカのような着ぐるみの動物に見えるが、何かの拍子に見せる彼のまなざしは最近観た韓国映画「王の男」に出てくる女形コンギル(イ・ジュンギ)を思わせるものがあり、それを見るたびに背中がゾクッとなってしまう。・・・いかんいかん。
結局、今回集まった香具師達は、全員がスキー技術検定で1級以上の腕前だった。下手をすると、ジャンプ系の技を苦手とする分、ぼくが一番へたなのかもしれない。そして、こいつらとウエーデルンのフォーメーションをやれば、きっとすごい絵が撮れることをぼくは確信したのだった。

「片足ウェーデルンはできる?」
ぼくは、ゲレンデの中央に集まったみんなに聞いた。3人づつの2チームでトレイン(スキーヤーがスペースを空けずに前後につながって滑ること)をしようと思ったのだ。自信が無いのか、ヒロコさんは気弱げに目をそらした。こればかりは、普段、積極的に片足ですべる練習をしてなければ難しい技だ。そこで、自身満々のワタナベくんを先頭に、イズミさん、コスギくんのチームでトレインをトライしてもらうことにした。かれらのすべるラインに、ボーダーや修学旅行生が入ってくるとあぶないので、それ以外の人は、3人を挟んで林の反対側をガードしながらすべることにした。はじめは下から静止して撮るが、カメラの横を通り過ぎた時点ですべって追っかけてビデオを撮る。ただし、滑りながらの撮影は危険なのでカメラはぼくが担当することにした。前方をほとんど見ずに、ビデオカメラの液晶画面を見ながらすべることになる。そのためには、ぼくの前にもガードが必要だった。ヒロコさんがその役割をはたしてくれた。前方に障害物があると声を出して追っ払いながら、ぼくにも注意を促してくれる。途中、何回か3人の姿がビデオカメラのフレームからはみ出してしまったが、さほど手ブレを起こすこともなく3人の片足ウェーデルンをビデオのフレームに収めることができた。そして、3人は期待通り息の合ったきれいなすべりを見せた。ハリウッド映画のラインダンスのように、次々にターンを決めていくシーンや、3人が同時にそろってターンをするシーンなど、ねらっていた絵が撮れた手ごたえを感じていた。ぼくはスキーヤーよりも、カメラマンの方に火がついてしまったようだ。
その後、2人のチームでの自由滑降のトレインや、コブでの様ざまなジャンプ、6人そろってのブーツを中心にしたプロペラターンなどをビデオを撮っていると、ゲレンデで目立つのか、ぼくらのすべるラインにはだれも入ってこなくなった。修学旅行の男子高校生達を教えていた女性のインストラクターは、コースが交差した場合に生徒が危ないので、はじめの頃はこちらをにらみつけていた。しかし、ぼくが<ゴメンね>のサインを送ると、ビデオを撮っている時はこちらを邪魔をしないように気を使ってくれるようになったのだ。そして、ぼくらが滑っていたラインの脇にスノーボーダーなどのギャラリーが集まりだした。すべっていると、ギャラリーから賞賛の声がかかる。悪い気はしない。
そうしたなか、ぼくがコースの下でメンバーたちのジャンプを撮るためにビデオを構えていると、修学旅行生のひとりに声をかけられた。
「あの~。すみません。2chの方たちですか?」
ぼくはその質問に驚いた。九州の一都市からはるばる志賀までやってきたという修学旅行の高校生から、そのように声をかけられるとは夢にも思わなかった。インターネット。この血脈にも似た広範なネットワークは、ぼくらの世界を大きく変えた。そして巨大なサイバースペースを持つ2ch掲示板。リード・オンリー・メンバー(ROM)を含めると、いったい何人の住人がそこにいるのだろうか。今回のOFF会も、そもそもの発端はぼくのささいな書き込みからだった。それにいろいろな人が反応し、サイバースペースならではのぶつかり合いがあり、たくさんの書き込みがあり、そして何事も無かったように収束した。ネットならではの、さらに狭義では、2ch掲示板ならではの出会いといったところなのだろうか。こうして、インターネットの影響力を見せ付けられると、またしばらくは2chから目が離せなくなりそうだ。ちまたでは、2chの閉鎖が噂されていることも関係するのだが・・・。
「揃って、キックターンしてくれたら、ビデオに撮ってあげるよ」
ぼくは、その修学旅行生に声をかけた。彼らに教えていた、女性インストラクターが笑いながら<よし、やろう!>と提案に乗ってくれる。そして、彼女はキックターンのやり方を彼らに教えた。なかなか話のわかる、素敵な女性だ。
「イチ、ニのサーン」
ビデオを構えていると、「はっ!」とアニメの主人公みたいな気合を入れながら、彼らは一発で6人揃ってキックターンを決めてくれた。予想外に上手に出来たので褒めると、「だろっ!」って感じでこっちを振り向く。彼らのしぐさに思わず笑ってしまう。休憩がてら、その様子を見ていたOFF会のメンバーたちからも賞賛の拍手が沸いた。なにしろ、高校生達は6人ともお揃いのレンタルのスキーウエアなので、良い絵になった。「ありがとう」と声をかけると、その高校生達は軽く手を挙げて合図をしてまた教習に戻っていった。
そうこうしているうちに、気がつくと17時。ワタナベくんの帰る時間だ。ぼくらは、映画のプロモーションのDVDができたら送ることを約束して彼と別れた。かれは、これから名古屋を目指して車を飛ばして帰る事になる。これからも、スケジュールが合えばいっしょにすべりたいと思うような香具師だった。
ぼくらは、ワタナベくんを見送ると今日はスキーを終えることにした。ルソーくんがやや物足りなさそうな顔つきなので、若手を中心にナイターで頑張ってもらうことにする。というのも、ぼくはビデオを撮って遊んでいたとは言え、午前中の焼額山からの超ロング滑降がひびいて足がパンパンに張っていた。明日もあることだし、ぼくは自重することにしたのだ。
ヒロコさんの案内で、宿に戻って部屋へ行く。部屋割りは、イズミさん、タナカさん、ヒロコさんが同じ部屋。コスギくん、ルソーくん、そしてぼくが同じ部屋だ。出会ってから、ぼくらのパーティのリーダー役としていろいろ面倒を見てくれるイズミさんの指示に従い、ぼくらは夕食、若手のナイター、風呂、各自持って来た焼酎などのアルコールで宴会を開いた。宴会はイズミさんたちの部屋で、敷いてある布団をそのまま2つ折にして部屋の隅に寄せ、部屋の真ん中に空いたスペースに座卓を置きそのまわりに車座になって行った。彼らは飲みながら、パソコンを取り出すとなにやら書き込みをしたり、USBを経由して今日撮ったビデオの編集をしたりしている。ぼくらが出会うきっかけとなった2chのスレッドにも、書き込みをしているようである。ここが、携帯のメールをチェックする普通のスキーヤーとちょっと異なる所かも知れない。わざわざ、パソコンを持ち込んでくるのだ。おたくの趣味としか言いようがない。しかし、ぼくも人のことは言えない。昨年末に日帰りでみつまたスキー場へ初すべりに行った時は、車に積んで持っていったパソコンで書いた文章を携帯電話でWEBにつなぎ、自分のブログへアップロードしていた。世間一般からすれば、立派なオタクということになろう。
宴会では、イズミさんを中心に話の輪が盛り上がった。話題は3月下旬に予定しているシナリオ発表会のことだ。今年は雪不足の上、もう春めいた風が吹き始めているから、3月下旬には満足にすべれるスキー場はないかもしれない。もっとも、映画を撮るということが現実になれば、ニュージーランドあたりで撮影することによりスキーの来シーズンのオープニングに間に合うだろう。うまくいけば、映画会社がぼくらに敬意を表してこのメンバーの何人かをニュージーランドに連れて行ってくれるかもしれない。
「ヒロインは藤澤恵麻 ちゃんがいい」
などと、タナカさんが勝手なことを言う。ぼくの書いた映画のストーリーには、彼女のような可愛い子が出るシーンは無いんだけど・・・。結局、3月下旬は入試などで大変な時期が過ぎている頃でもあり人が集まりやすいことを理由に、雪があっても無くてもシナリオ発表会はみんなで実施することになった。それまでにしなければならないのは、なにしろスポンサー集めだ。資金の集まり状況によって、発表会の規模が変わってくる。最悪の場合は、今日撮ったビデオを編集して5分程度のプロモーションビデオにして、持ち込んだ何台かのノートパソコンの画面でデモンストレーションを行うだけとなる。もちろん、潤沢な資金が集まれば音響や派手な照明に凝った上で巨大なスクリーン上にプロモーションビデオを映し出す。できるかぎりお金を集めなきゃ・・・。
あと、映画の原作のストーリーについても、ぼくらは熱心に話をした。たしかに20年前の映画「私をスキーに連れてって」は、古臭い印象があるけれど、それでも、いまだに何度でも繰り返して見たくなる不思議な魅力がある。一方、ぼくの書いたストーリーは、20年後の現在の「私をスキーに連れてって」の世界を描いてはいる。一応、ハッピーエンドで終わっているが、繰り返して見るような魅力に欠けているような気がしてならない。なにかが足らないのだ。そのなにが足らないのか、ぼくには分からなかった。恋愛の要素なのだろうか?でも、50歳に近い主人公の恋愛の話なんて誰も見たくないだろう。あるいは、ひねりにひねって、誰も行かない林間コースでヒーローとヒロインが20年後に会う約束を果たして再会する・・・?そんなストーリーでは、映画の主題が変わってしまう。ぼくらは、いろいろ話し合ったが、結局、いい知恵が浮かばずにとりあえずは今のままでいくことにした。きっと、プロのシナリオライターがもっと魅力的なストーリーに変えてくれることを期待して・・・。そしてこの原作は、プロモーションビデオとともに発表会で配布するCDにテキストファイルで入れることになった。この配布のCDは、最初はDVDにするつもりだった。今日撮ったビデオの映像は30分以上あるが、これを5分程度に切り詰めて適当な音楽を映像にかぶせる。そうすると、動画ファイルとしても100Mバイト以下のファイルサイズとのこと。CDでも余裕がありすぎるほどだ。CDメディアは現在、非常に安いのでメンバーが個々にCDを焼いてくスポンサー集めに活用することが可能となる。ビデオの編集とCDの印刷面のデザインは、コスギくんが担当してくれることになった。彼のHPからそれぞれがダウンロードして、出来上がりをチェックできるようにするとのことだ。
あらかた、今後の計画がまとまると、ぼくらはめいめいにスキーの話をしだした。こいつらは、スキーがうまいだけあって、やっぱりスキーの話が好きなんだ。あちこちで、夢中になってスキーの技術的な話をしている。ぼくは、その輪から外れて、ルソーくんとの会話を楽しんでいた。フランス国立大学の年間授業料は最大で500ユーロだそうだ。日本円にしたら7万円ぐらいだろう。ドイツはタダらしい。日本やアメリカの大学では授業料が200-300万円くらいだから、アメリカ一年分の授業料で、フランス大学の30年分の授業料を支払えることになる。フランスも学歴社会で、競争が大変らしい。彼は、この3月の末にフランスに帰国してリクルート活動をするとのこと。少しだけ飲んだアルコールに頬を上気させ、彼は熱心にいろいろ語った。今回の留学は、彼にとって非常にいい経験であったらしい。そして、日本に対して非常に良い印象を持ったとのことだ。日本語はまだ勉強を始めたばかりのようだが、まるでListening&Speakingができるようになるようには見えない。というのも、日本にいるものの日本語を使わなければならない機会は限られているらしい。たしかに、今の日本ではコンビニで買い物する時も、無言で必要なものを無事に買い揃えて帰ってくることが可能だ。でも、今の状態じゃ一人で食事に行くことすらできないので、やっぱり勉強しなきゃだめだろう。
気がつくと、時計は午前2時をまわっていた。昨夜の強行軍のせいか、起きているのがしんどくなってきた。ぼくは、ルソーくんと翌朝7時に起きてゲレンデに行き、だれもシュプールを描いていない斜面にファーストトラックをつけようと約束して部屋にもどり布団に入った。そして翌朝、目が覚めて時計を見たら午前8時を過ぎていた。あわてて、隣の布団で寝ているはずのルソーくんを見たら、彼は連夜の論文を書いていた疲れがでたのか爆睡していた。起こそうかと思ったが、今から着替えてゲレンデに行っても、リフトの方が先に動きだして当たり一面はシュプールだらけになるであろう。ぼくは二日酔いぎみの頭を抱えながら、みんなが起き出すまでもう一眠りすることにした。
その日の午前中は晴れ。ぼくらは、丸池のAコースのコブを中心にみんなですべった。昨日の筋肉痛が体をきしませる。コブにあたるたびに「ぎしぎし」と来る。そのせいで、昨日は上から下までノンストップで滑れたが、今日は途中で逃げて斜面の中ほどで止まってしまう。悔しかった。抑えて滑ればなんとかできる感じだった。しかし、この硬い斜面をコスギくんは気持ち良さそうにスピードをだしている。もちろんルソーくんも・・・。そこにイズミさん、ヒロコさんが追っかけてさらに爆走している。彼らのスピードについていけず、リフトで待たせてしまう。あまりにスピードを抑えていた自分に腹がたち、スピードを出し始める。 そして、結局ノンストップ完走ができなくなる。自分の体力のなさが身にしみて感じられた。帰ったら走りこむしかない。
そうしているうちに昼になり、志賀ラーメンで昼食。この大人気のラーメンは、しょう油をベースとして野沢菜しいたけ、きくらげなどを油で炒めてトッピングしてある。ヒロコさんのお勧めだったが、今までにない味わいでおいしかった。そして、 そこでぼくらは解散した。
<3月にまた会おう>ぼくらは互いに約束し会った。ぼくらは事前にメールでやり取りして、互いに理解を深め合っていたが、実際に会う前はどんな香具師たちが集まるのか不安で一杯だった。しかし、集まったのは予想以上にいいやつ等ばかりだった。このOFF会は、さらに親睦を深め合うことができ非常に有意義なものになった。なによりも、ビデオを撮影できたことでぼくらの映画のプロモーション活動を大きく前進させることができた。たしかに、最終の目的である映画の制作までは遠い道のりで幾多の困難が待ち構えているのだろうが、こいつ等とだったらなんとかやれそうな気がしてきた。なにしろ、イズミ社長がついている。彼は、どんな困難に直面しても絶対にめげない。すぐに弱気になって、現実をそれ以上に悪くとってしまうぼくとは大違いだ。やはり,社長をやっているだけあって、リーダーとしての資質を持っている。彼らのように、人からまた会いたいと思われる人間でありたい。そういう自己演出は非常に大切なことだ。帰りのバスの中、ぼくは快い疲労を感じながらいろいろ考えている内にぐっすり眠ってしまった。

テーマ:自作連載小説 - ジャンル:小説・文学


私をスキーに連れてって2007 音楽オーディション
私をスキーに連れてって2007」で使う予定の音楽のオーディションを行います。歌詞は以下。一応、ラップです。リズムに合いづらいところは直しますので、リクエストしてください。

3Mbite程度のMP3ファイルにして、下記のメールアドレスまでどしどし応募してください。なお、アカペラでもなんでもOKです。ファイルが大きくなるようでしたら、出だしのフレーズのみでもかまいません。

送り先:mailto:tetujin282828.hotmail.com

Blizzard 2007

顔に張り付いた 凍りついた雪 息もできないくらいの風 
荒れ狂う地吹雪 風に向かって 重い足取りの氷の世界
荒れ狂う地吹雪 風に向かって 進めやしない氷の世界
閉ざされた街 おたがい孤独を心にたくさん抱えていたから
閉ざされた街 おたがい孤独に耐えられなくて耐えられなくて
せつな的な愛を いまは感じる 感じる

ブリザード ブリザード 包め世界を
Turn and there the solitary track strech out upon the world.
(尾根も谷間も白く煙らせ)

だれもが幸せな 暖炉の前で もみの木を飾る
誰もいない部屋へ ひとりで帰って 暗い部屋に灯りをつける
誰もいない部屋へ ひとりで帰って 石油ストーブに火をつける
閉ざされた街 おたがい孤独を心にたくさん抱えていたから
閉ざされた街 おたがい孤独に耐えられなくて耐えられなくて
身にしみて感じる 肩を寄せたい 寄せたい

ブリザード ブリザード 閉ざせ二人を
Turn and there the solitary track strech out upon the world.
(流れる距離と時間を消して)


風が肌を突き刺し 俺の心を突き刺し
冷い風がいてつく雪が  おまえの心なのか 俺の心をゆさぶってゆく
冷い風がいてつく雪が  おまえの心なのか 俺の心をとおざけてゆく 
閉ざされた街 おたがい孤独を心にたくさん抱えていたから
閉ざされた街 おたがい孤独に耐えられなくて耐えられなくて
なんだか深い溜息が 聞えたようだけど ようだけど

ブリザード ブリザード いそげ心よ
Turn and there the solitary track strech out upon the world.
(もっとあなたの近くへゆくわ)

ワイパー利かない 夜のホワイトアウト
ヘッドライトに舞う雪が 白い壁となって 行く手をさえぎる 
ヘッドライトに舞う雪が 白い壁となって ウィンドウに凍りつく 
閉ざされた街 おたがい孤独を心にたくさん抱えていたから
閉ざされた街 おたがい孤独に耐えられなくて耐えられなくて
なんだかはるかな想いが 伝わってきたようだけど ようだけど

ブリザード ブリザード いそげ心よ
Turn and there the solitary track strech out upon the world.
(もっとあなたの近くへゆくわ)

流れるテール スピンアウトの車道
あてるカウンターに ハンドルは重いけど アクセルを踏み続ける   
あてるカウンターに ハンドルは重いけど ハンドルを切り続ける   
閉ざされた街 おたがい孤独を心にたくさん抱えていたから
閉ざされた街 おたがい孤独に耐えられなくて耐えられなくて
なんだか深い悲しみが いつもこみあげてくるけど 



テーマ:DTM、宅録、ミックス、レコーディング、機材 - ジャンル:音楽


私をスキーに連れてって2007(仮称)制作委員会」
スポンサー募集 協賛企業の概要  本委員会は、経験豊富な会員相互の協力により、スキー場の振興及び、スキー映画の製作に関する幅広い分野で、普及活動を行うとともに、不特定多数のスポーツ市民、団体を対象に助言、または支援、協力を行っております。 これらの活動は、本委員会の方針にご理解いただきました、「私をスキーに連れてって2007(仮称)製作委員会」オフィシャルスポンサーおよび特別協賛企業・団体の皆様のご支援により運営されております。本委員会の趣旨をご理解いただき、映画「私をスキーに連れてって2007(仮称)」制作推進事業にスポンサーとして、ご後援を頂きますようお願い申し上げます。 協賛企業の形態 本委員会では、協賛条件の違いにより、2つの協賛の形態をご用意させて頂いております。 1.「私をスキーに連れてって2007(仮称)製作委員会」オフィシャルスポンサー2.別協賛企業・団体 協賛の諸権利 協賛による諸権利は、協賛の形態によって異なります。詳細については、お問合せください。 ▼協賛の諸条件 呼称権 (「○○は、「私をスキーに連れてって2007(仮称)製作委員会」オフィシャルスポンサーです。」 「○○は、「私をスキーに連れてって2007(仮称)製作委員会」を応援します。」) 社名(商品名)の露出 協会・会場内看板表示、チラシ配置いただけます。 webサイト掲載の権利 私をスキーに連れてって2007(仮称)表示ガイドにそって商品広告をご利用いただけます。 マークを広告・販促に利用する権利キャッチコピー「20年後のカップルたちへ、2chがスキー天国へ誘う」を広告・販促にご利用いただけます。 「私をスキーに連れてって2007」プロモーションDVDに広告を掲載する権利 「後援企業・団体一覧」にてご紹介致します。 招待 (オフィシャルスポンサーのみ)私をスキーに連れてって2007(仮称)」シナリオ発表会(3/24)へのご招待。 期間 1年間(ご加盟月の翌月から1年間)となっております。 協賛に関するお問合せ(協賛の受付)私をスキーに連れてって2007(仮称)製作委員会」 E-mail:tetujin282828@hotmail.com Copyright(C) 「私をスキーに連れてって2007(仮称)製作委員会」 All Right Reserved.

テーマ:★映画ニュース★ - ジャンル:映画



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。