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tetujin282828

Author:tetujin282828
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雲見 クマノミ
クマノミ類は非常に縄張り意識が強く、他の魚が自分のテリトリーに近づくと、これ以上近寄るなと自分の歯を『カチカチ』鳴らして相手を威嚇する。
このクマノミの性転換を世界ではじめて発見したのは故ジャック・モイヤー先生。(Jack T. Moyer、1929年3月7日 - 2004年1月10日) アメリカの海洋生物学者。カンザス州出身。三宅島に永住し、アカコッコや海洋生物などの生態研究を続けた人だ。いまでも、三宅島在住の教え子たちが先生をなつかしむ。
ジャック・モイヤーは、1948年、コルゲート大学在学中に朝鮮戦争に徴兵され、日本に駐在。
三宅島の近くの大野原島(通称三本岳)にのみ生息する日本固有種のカンムリウミスズメを救うため、ハリー・S・トルーマン大統領の側近に手紙で訴えて米軍の爆撃演習を中止させた。
戦後、1957年、三宅島に中学校の英語教師として赴任。1984年、東京大学において「魚の繁殖生態」により博士号を取得する。
ジャズボーカル/ピアノにも才能があり、2000年8月にビクターエンタテインメントより「地球の子供たちへ」という、三宅島の自然音をふんだんに使用したアルバムを発表している。

さて、映画「ファインディング・ニモ」で人気のクマノミであるが、漢字では「隈之魚」「熊之実」「隈魚」と書き、そのネーミングは歌舞伎役者の「隈取り」から来ているようだ。
沖縄などでは6種類のクマノミが生息すると言われているが、雲見で見られる個体は体に2本の線が入った「クマノミ」一種類。伊豆ではチョウチョウオなどとともに死滅回遊魚。黒潮に乗って運ばれてくるが、ほとんどは冬は越せない。
クマノミは、サンゴイソギンチャク、イボハタゴイソギンチャクなど11種類ほどのイソギンチャクと共生する。イソギンチャクの触手には刺胞毒があり、それで魚を捕獲するのだが、クマノミは体の表面から出す粘液がイソギンチャクと同質なので、イソギンチャクに安全に住むことができる。
共生すると書いたが、冬にクマノミが死滅した後もイソギンチャクには特に変化はない。したがって、イソギンチャクにとって、クマノミはいなくてもあまり関係ないようだ。

訂正:チョウチョウウオの仲間のトゲチョウチョウウオは、小型のイソギンチャクや海綿、小動物を食べているらしい。それをイソギンチャクから追い払っているのが、クマノミのようだ。

死滅回遊魚にもかかわらず伊豆で沢山クマノミを見ることができるのは、南の海で生まれた子供が黒潮に乗ってたくさん運ばれてくるから。動物の巣立ちのように、ある程度成長したら、生まれ育ったイソギンチャクの巣を追われるのかもしれない。それが近親交配による悪影響(近交弱勢)を防ぐメカニズムなのだろう。
沢山生まれた子供の中で、他のイソギンチャクを見つけたどり着けるのはごくわずか。それでも広い海へと泳ぎだす子供たちに向かって、思わずがんばれと応援せずにはいられない。

追記
先にに「雲見 クマノミ」として書いた記事に間違いがあった。
”冬にクマノミが死滅した後もイソギンチャクには特に変化はない。したがって、イソギンチャクにとって、クマノミはいなくてもあまり関係ないようだ。”という記述の部分だ。
チョウチョウウオの食性を調べていたら、どうやら、チョウチョウウオの仲間のトゲチョウチョウウオは、小型のイソギンチャクや海綿、小動物を食べているらしい。それをイソギンチャクから追い払っているのが、クマノミのようだ。したがって、クマノミとイソギンチャクは、互いにそれぞれを守りあっている美しい共生関係にあると言える。互いに、防御に苦手な部分を補い合って生活しているのだ。

そもそも、<クマノミがいなくてもイソギンチャクには関係がない>とする根拠は、千葉県館山市にある財団法人 海洋生物研究所(http://www.kaiseiken.or.jp/)を見学する機会があり、そこで飼育されていた数種のクマノミについて議論した結果による。
つまり、日本では季節回遊魚、または、死滅回遊魚と言われるクマノミやトゲチョウチョウウオなどの魚は、温帯海域の水深 15 ~ 20 メートルの浅場に住んでいる。チョウチョウウオの場合は、春から夏にかけて一度に数千個のも卵を産卵し、その卵は海水表層を浮遊し、やがてふ化して稚魚となる。長い浮遊期間を経て、なんとか流れ着いた浅場で越冬にチャレンジするのだ。しかし、本州では越冬できずに死滅してしまうので、イソギンチャクは冬にそうした魚たちに食べられることはない。だから、クマノミが死滅しても、トゲチョウチョウウオも同時に死滅するから、本州のイソギンチャクは冬の間は安泰なのだ。
あやふやな情報で、不確かなことを書いてしまったことと、クマノミの戦士としての名誉を傷つけてしまったことを深くお詫びして訂正します。

また、伊豆で見ることができるクマノミは一種類のみと記載したのだが、先日、田子の海で一緒に潜ったバディの女性が、カクレクマノミを目撃したらしい。カズさんも、また、地元のダイブサービスのお兄ちゃんも、カクレクマノミの存在を否定していない。
伊豆では見ることができないと定説になっていたカクレクマノミだが、ひょっとしたら温暖化の影響などで、晩夏の本州で生息が可能になっているのかもしれない。
いずれ、水中でクマノミを見つけると、思わず頬が緩む。クマノミの体は決まって赤っぽい地に、白いバンドが入っている。これはイソギンチャクの中に入ったときに、よいカモフラージュになると言われている。しかし、かえって目立っているような気がするのだがどうだろう。目立つことで魚をおびき寄せて、イソギンチャクの毒で麻痺させおこぼれをもらうとすれば、やっぱり、クマノミはただものではない。それでも、ダイバーにかわいいと言わせるそのすごさ・・・・・・。


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雲見 ダイビングフィン
現在、世界中のダイビングインストラクターが使用しているフィンは、かなりの確率でジェットフィンだと思われる。材質が硬くスピードが出るので、深みに落ちていくダイバーや、BCの操作を間違えて急浮上を始めたダイバーを追いかけることができるからだ。また、イントラのみならず、一般ダイバーにも、このフィンの愛好者は多い。
一方、tetujinが20年以上愛用しているのはGullのマンティスというやわらかいフィン。へたをすると、フィンをあおったときに先端が捲くれあがるぐらい柔らかい。
このフィンの利点は、スピードはでなくても、とにかく疲れないこと。実際に泳いだことはないが、ゆっくりなら少々長時間、長距離を泳いでもふくらはぎへの負担はさほどではないだろう。イントラのまねをしてジェットフィンをはこうものなら、ワンダイブの終わりごろには足が疲れてつってしまうに違いない。

ところで、神子元は西伊豆の海に浮かぶちっぽけな無人島なのだが、ハンマーヘッドなどの大物が見られることで有名なポイントだ。大物が見られるそのぶん、ダイバーにはスキルが要求され、適確な中性浮力の保持ができないと強い潮の流れに逆らって泳ぐのに体力を消耗したり、なによりも、はるか向こうに見えるハンマーヘッドの群れを追いかけて全員がダッシュするらしいのだが、スピードがないと一人だけ置いていかれることになる。

ハンマーヘッドってそんなに見たいか?これは、負け犬のtetujinのセリフ。たとえば、都内のバーで女性とお酒を飲んでいてダイビングの話になったとき、チョウチョウウオの話題しかできないよりも、いつも神子元でハンマーヘッドを追いかけていると話す方がよっぽどもてるにちがいない。
でも、tetujinは女性と都内のバーで酒を飲むことはめったにないし、たとえあったにしても、ダイビングの話題にならないかも知れないしで、ハンマーヘッドはどうでもいいと思っている。
っていうか、たとえば、向こうの野原に熊が出たからといって、ダッシュして見に行くほど物好きじゃない。まあ、地球外生物が暴れてるってのなら、話は別。

ハンマーヘッドが好きなヤツらに言わせれば、海水浴場にコイツがあわられたとして、なんのためらいもなく、スキンで入水し観察するとのことだ。野生生物をなめきったクレージーなヤツら。きっと、ヤツらはハンマーヘッドに食われて死ぬのなら本望なのかもしれない。ところで、よいこのダイバーのみなさん。危ないから、こいつらにやたら餌付けするのはやめましょう。ダイバーが襲われた報告はないのだが、なんといっても、相手は毎日狩りをして暮らしている野生生物ですから。

ということで、慶子さん。チョウチョウウオに飽きるまで、あとしばらくは、マンティスを使い続けます。
ついでに、縦穴の上部に逆光で浮かぶダイバーの写真を撮りたいんすけど、ダメすかね?それも、ジェットフィンをはいている女性ダイバー。なんてたって、絵になるじゃないすか。今度、縦穴を出るときにわざと遅れるかもしれないすけど、わかってくださいね。



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雲見 ダイビングウェート
tetujinは、夏の間は5mmのワンピース型のウェットスーツだが、少し寒くなれば、もじもじ君を連想させるフードベストに5mmのツーピース。さらに寒くなると、首が締め付けられて、地上では5分以上は着たくないドライスーツと、気温によって使い分けている。
ウェットスーツは、ゴムの一種である発泡性のネオプレン・フォームでできている。フォームの名前からわかるように、独立した細かい気泡がゴムの中にたくさんあり、海水の寒さからダイバーを守ってくれる。そのかわり、このウェットスーツの浮力ははんぱじゃない。5mmのツーピースで、ウェートをつけずに潜ると、勢いをつけて5mぐらいまではジャックナイフで到達するも、力尽きてキックを休むと、頭を下にしたまま浮力で海面へ引き釣りあげられてしまう。
たまにウェートを付け忘れて海中にエントリーしてしまうのだが、5mmのワンピースであれば、海底まで10mぐらいならなんとか浮力にさからって届き、適当な重さの石ころを拾ってウェート代わりにできる。しかし、5mmのツーピースの場合はさらに浮力が強く、10mもの海底まで届きそうもないのでエントリーを諦めるしかないかもしれない。
普通、ダイバーは、こうした浮力に打ち勝つため、腰にウェートベルトを巻いてエントリーする。
一方、水深が深くなると、水圧でウェットスーツの気泡がつぶれ、こんどは浮力が小さくなってしまう。このため、15mを超えて深くまで潜ると、体は浮力を失って沈降し始める。
こうした浮力の変化を調整するのが、ボイヤンシー・コントロール・デバイス、俗称BCと呼ばれているジャケットだ。ジャケットにタンクからの空気を入れたり出したりして、その深度に合った浮力(中性浮力)に調整する。BCがなかったその昔は、キックのみでエントリーして、沈降する深度ではキックのみで体を浮かせていた。だから、エアーの消費量が多かったに違いない。

さて、この便利なBCなのだが、雲見で潜る前は、迅速潜行のために4kgのウェートをつけて、深場では大量のエアーをBCに入れて中性浮力をキープしていた。というのも、水中で写真を撮る場合、重いウエートで海底にへばりついた方が体が安定し、シャッターのブレを低減できるからだ。
言わば、力で浮力をねじふせるようなダイビングをしていたのだが、インストラクターの慶子さんから、「ウェート重過ぎると、ダイビングうまくならないわよ」とあっさり言われ、現在ウェートは2キロ~1キロで潜行中。いっそのこと、ウェートなしでもとも思うのだが、そこまでは踏み切れていない。
たしかに、ウェートを減らせば、肺の空気だけで浮力をコントロールしようとする意志がわく。その反面、少々の深場でも、BCによる浮力調整は面倒なのでしなくなってしまった。つまり、BCが発明される前のキックだけで水深を維持する大昔のダイビングテクになってしまった。

縦穴をまっすぐ下に潜行する場合、多くのダイバーはBCの空気を抜いてフィンから落ちていく。ところがtetujinの場合は、重たいのが頭、あるいはタンクなので、面倒くさいときは、思いっきり息をはいてタンクを下に背中から落ちて行き、適当なところでひっくり返って体勢を入れ替える。これは落ちていく先を見ていないことになるので、本当はやってはいけないことなのだが・・・・・・。インストラクターが見ていない時だけの技だ。
というわけで、エントリーのときも、頭を下にするヘッドファーストスタイル。いまのところ、耳抜きも余裕でできるため、エントリーに支障を感じたことはない。なにしろ、インストラクターが自分のやりやすい方法でと許してくれている。でも、背中から落ちていったら、こっぴどくしかられるに決まっている。



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雲見 ダイビングインストラクター
”踊子は十七くらいに見えた。私にはわからない古風の不思議な形に大きく髪を結っていた。それが卵型のりりしい顔を非常に小さく見せながらも、美しく調和していた。髪を豊かに誇張して描いた、稗史的な娘の絵姿のような感じだった。踊子の連れは四十代の女が一人、若い女が二人、ほかに長岡温泉の印半纏を着た二十五六の男がいた。”(川端康成、伊豆の踊り子より)

どうせ伊豆のダイビングサービスに関連した記事を書くのだから、川端先生のような格調高い文学的な表現をしたいのだが、・・・・・・文才が無いっす。
さて、雲見のダイビングサービスには、この10月現在、カズさんを含めて6人のインストラクターがスタッフとして常駐しており、4~5名のゲストを一チームとして、多いときは40名にも上るゲストのガイドを担当している。

スタッフの中で、最古参は4月11日生まれのみほちゃん。笑顔がかわいい元気者の小柄な女性なのだが、「雲見」「田子」「須崎」どこでもガイドができる実力の持ち主らしい。それゆえ、彼女には常連のとりまきファンが多く、新参者のtetujinは常連客の外堀を埋めるに甘んじるしかない。

岩手県仙台市(!?)出身はトシ君。彼の出身地のことで笑わないようにと、カズさんからきつく釘を刺されている。前にも書いたが、彼は10月の連休明けにプーケットにあるダイブアジアに派遣されてもう日本にはいない。彼いわく、電波少年のように、3ヶ月あるいは1年のインターバルで突然の移動を命じられるらしい。そして、次の赴任地がどこになるのかは、神のみぞ知るとのこと。赴任先がタイ・リゾート、あるいは、西伊豆に限られており、ぼくから言わせればうらやましいの一言なのだが、「ロールプレーイングゲームの登場人物のよう」と明るく笑い飛ばす彼にしてみれば、胸中、複雑なところがあるのかもしれない。彼は、若い女性ゲスト担当。

ダイビングスタッフとして非常勤で羅針盤に通い始める前は、週末はバスケの審判として活躍していたという糸井さん。小太りフェチ、すなわち・・・・・・tetujinのボキャブラリーできちんと説明するのは難しいが、彼は明るい好青年だ。上級者から初心者まで、じつによく面倒を見てくれる。彼を見ていて、魚よりも人が好きなんだなと思ってしまう。どんなに疲れていても、夜遅くまでゲストに付き合って話相手になってくれる。しかも、下田ダイバーズのイントラたちは、ダイビングの前の晩は禁酒するという徹底的な安全管理のルール下にあるのだが、酔っ払ってハメをはずしているtetujinのたわごとなども、しらふのまま、まじめに聞き入れてくれる。

ゲストのチーム分けは、おおよそダイビングスキルによる(のだろう)。足を骨折していまだリハビリ中のtetujinは、女性らしい気配りに富む慶子さんの率いるチームに入れられている。いわゆる初心者クラスだ。彼女は、スキルの低いダイバーの引率を完璧にこなし、ダイバーが迷子になりやすい地形ポイントでは、必ず振り返ってゲストたちが幼稚園児のように付いて来ていることを確かめるし、フィンで10ストロークごと、すなわち、ゆっくりと10m進むごとに後ろを振り返って、ゲストの隊列に異状がないかを確認する。
水中であちこちカメラを向けるtetujinにとって、彼女のガイドはこの上もなく都合がいい。たまに、深みを泳いでいるチョウチョウウオを追っかけて隊列からはずれても、彼女はぼくをすぐに見つけてくれて、列に戻るのを待っていてくれる。マスク越しのアイコンタクトでにらまれはするのだが、彼女ほどゲストを水中でケアしてくれるガイドは未だ出会っていない。
おかげで、どんなに海底がダイバーで混雑していても、彼女のガイドでロストしたことはない。
言ってみれば、見えないロープで縛られた鵜飼の鵜みたいなものだろう。自由に魚を追っかけられるのだが、いずれ引き戻されて(ゲロさせられる?)

先日の10月の連休には、雲見に400人以上のダイバーが押し寄せた。下田ダイバーズも40人以上のゲストを迎え、インストラクターたちはてんてこ舞いだったようだ。そのせいか、初心者クラスだったぼくは、慶子さんのチームから人選に漏れ、同じくカメラ派の常連ダイバーの女性と2人で、前岡インストラクターのチームに入れられることになった。
実はこの昇格が問題だった。
無事に海中エントリーを済ませて、砂地を渡り、島のように突き出した根を右回りに旋回しようとしたときだった。
一緒に潜ったバディの女性が、砂地にカミソリウオ、あるいはフウライウオなどレアな魚を見つけたのかもしれない。彼女が砂地で魚を追っかけている間に、前岡氏とぼくは根を回ってその陰に隠れてしまった。
小さい根だから、すぐに抜け出ることができる。
根を通り過ぎた前岡氏が後ろを振り返り、彼女が付いてきていないことに気が付き、きょろきょろあたりを探し始めた。
彼女が魚を追っかけて遅れ勝ちなことを把握していたぼくは、根のをさらに回り込み、砂地の方向に進んで彼女を引っ張ってこようとした。
実はこの一連の行動は、ダイバーがやってはいけないことのオンパレードなのだ。
まず、バディシステムにおいて、ペアになったバディとは一緒に行動しなければならない。この場合、2人でロストするのが本当は正解なのだ。(多数決からすると、この場合、迷子になったのはイントラの方だと思うのだが、力関係でその事実を絶対に言ってはならない。)
次に、ロストした場合は、水中を絶対に探し回ってはならない。1分間、あたりを見回した上で、仲間を見つけられなかったら、頭上の安全を確かめてゆっくり浮上する。
安全停止を終えて水面に顔を出すと、そこで同じ手順で浮上した仲間と出会えることになる。
したがって、彼女を連れに戻ったぼくは、2重のロストのリスクを犯したことになる。

彼女を無事に回収できたものの、今度はぼくのロストが待っていた。ダイビング計画どおり、コースを回って浮上のポイントであるブイの近くまで来たときだった。後は、ブイのロープをたどってゆっくりと浮上するだけ。水深10mぐらいのそこで、ぼくは握りこぶしぐらいの大きさのヤドカリを見つけた。最初はそれを見間違いだと思った。あるいは、岩の下にカニが潜んでいるのだろうと思った。そのサイズのオニヤドカリが伊豆にいるとは思えなかったからだ。そのヤドカリらしき謎の生物の写真を何枚も撮っているうちに、みんなからはぐれてしまった。
どうせ後は浮上だから、まあいいっか・・・・・・と思ったのだが、実は内心あせっていた。うまく水面で会えなければ、そくざに海上自衛隊など関係部署に連絡が入り、大々的な捜索が始まる。
水中を探しまわらないのが原則なのだが、だめもとでブイのロープまで泳いでいったら、その向こうから前岡氏がこちらの行動をじっと観察していた。
見えてんのなら、水中ベルをならしてよ。この水中ベル。チリンチリンと結構音が響き渡る。これ以外にも音がするのは水中ホイッスルやタンクをカンカン叩く道具、それから名前がわからないがエアを噴出させてブイブイ言わせる緊急アラームもある。このブイブイはK子さんがエアの残圧をチェックするときに、アイコンタクトしないダイバーに向かってよく鳴らす。
ブイブイ言わせてるヤツ・・・・・・それはぼくのことだ。そして、この一件以来、幸いなことにぼくは慶子さんチームに出戻りとなった。

「ダイビングは癒しではなく冒険だ」 これは、カズさんの口癖。
海は常に危険をはらむ。沖に向かって流れる強い潮の流れ(リップカレント)や、深遠の海の底に引きずり込もうとするダウンカレントがあったりする。しかも、カレントは時間によって刻々と変化する。強い沖出し流などに巻き込まれたら、地上への無事の帰還は運だけが頼りとなってしまう。
だから、よっぽど潜り込んで勝手を知った海でない限り、その海をよく知るダイビングインストラクターの引率にしたがって潜るのが安全だ。
ダイバーは、安全にダイビングできるように海況に応じて立てられた潜水計画に沿って、ガイド役のインストラクターの後を迷子にならないようにくっついて潜ることになる。
ダイビングは、2人一組のバディシステムをとることを前に書いた。緊急の際には、バディ同士が助け合ってエア切れなどの危機を乗り切る。したがって、潜っている最中は、バディがいつも見える位置にいてくれると助かる。

ぼくが好きなポジションは、インストラクターとバディを同時に斜め後方から見下ろせる位置。マスクをしていると視界が一部さえぎられ、視野角が狭くなってしまう。だから、イントラとバディをひと目で見渡せる後方上部のポジションが好みだ。ただし、このポジション。必然的に前方下を向いている時間が長くなり、前方の中層をゆうゆうと泳いでいるウミガメを一人だけ見れなかったりすることがある。また、イントラが指し示すレアな魚の写真を撮る際には、イントラとバディの間にうまく入り込むテクが必要。
イントラの上層は、流れが比較的強い場合があったりする。フォローの流れに乗って、フィンをキックせずにイントラの後ろを付いていくこともできるのだが、このとき急には止まれない。ときどき振り返って後ろを確かめるイントラを追い越してしまいそうになってあわてることがある。
ドライスーツの吹き上がりからのリカバリーの要領で、イントラの視界範囲まで逆戻りするのだが、一人だけみんなと体の向きが違うので、イントラから怪訝な顔をされることが多い。

イントラによっては、バディと平行に並んだ隊形や、一列縦隊の隊形を要求される。並列の場合は、バディが視界に入らないため、定期的にバディを探すことが必要であり、また、一列縦隊の場合は、バディのフィンしか見えてないことが多い。また、前を行くバディによっては、マスクをしょっちゅう蹴られたり、砂を巻き上げて視界不良になったりで、潜っていてストレスがたまることがある。
一列縦隊のメリットは、アゲインストの強いカレントの場合、ズルして海底を四つんばいで進めることぐらいだろうか。キックだけよりも楽に進むことができる。

10月の連休に雲見で滞在中、一人のインストラクターが誕生日を迎えた。
こんなとき、相手が女性の場合は、年齢に関するボケをかますのは簡単だ。10歳よりも年齢が高い女性に対しては、いかなる高齢であっても
「18歳でしたっけ?」
「そう♪(ハートマーク)。・・・・・・んなわけ、ねえだろっ」
と、お決まりのボケとツッコミで会話が弾む。むろん、実年齢が離れていれば離れているほど、効果的なボケとなる。
まあ、15~16歳の女の子に対しては、「18歳?」と聞くのは問題があるかもしれないが、tetujinにはそんなシチュエーションはまずないから、はじめから除外している。
第一、15~16歳というあの頃の年齢からしてみれば、2~3歳なんて誤差範囲のうちだ。ところが、20歳を過ぎると、この差がシビアなものとなってくる。
仮に22歳の女性に「23ぐらいっすか?」なんて聞いた日には、即、地雷を踏んで爆死を覚悟しなければならない。

ところが、相手が男性の場合は、これが結構難しい。あまりにも若い年齢を口にして聞くのは、相手がバカされていると思うだろうし、もちろん、実際の年齢よりも多目の歳を口にしてしまった場合には、相手を傷つけることになり、しゃれにもならない。
したがって、たいていの場合、年齢に関するジョークは、よほど気をつけなければならないもののひとつだ。

ぼくは、くだんのイントラに向かって言わなきゃいいものを
「26歳でしたっけ?」とやってしまった。実は、上に書いたボケの鉄則、できるかぎり実年齢よりも若く、しかも、バカにしていると取られない年齢を注意深く選んだつもりだった。
ところが即座に「27歳です」とあっさりした返事。
これにはヒヤっとした。思いっきりボケをかましたつもりで、実年齢に近いところを言い当ててしまった。こういうときは、<前から年齢を知っていたんだよ>という顔でごまかすしかないだろう。<ウソォ・・・・・・若く見える>なんてフォローしても白々しいだけ。
・・・・・・年齢不詳のダイバーたち。本当に歳の話は難しい。

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雲見 ダイビングショップ
”甲州屋という木賃宿は下田の北口をはいるとすぐだった。私は芸人たちのあとから屋根裏のような二階へ通った。天井がなく、街道に向かった窓ぎわにすわると、屋根裏が頭につかえるのだった。 ”(川端康成、伊豆の踊り子より)

ダイビングサービスの下田ダイバースは、伊豆急下田駅から車で17分のところにある。下田駅に降り立ち、携帯から電話するとスタッフが迎えに来てくれるのだが、<17分でそちらに行きます>と応答があるので間違いないだろう。
下田は江戸時代に諸国の運搬船の寄港地として栄えた町だ。嘉永7(1854)年3月に締結された日米和親条約により下田と箱館が開港。

「泰平のねむりをさます上喜撰(蒸気船)たった4はい(4隻)で夜も眠れず」。下田開港の前年、ペリーが率いた軍艦4隻で江戸の町は大騒ぎだったのだが、開港した下田湾には、4隻どころか蒸気船7隻も入ってきた。さぞかし、当時の下田の人々は驚いたにちがいない。まず3月18日に、サザンプトンとサプライの2隻が入港、そしてその2日後の20日には、レキシントンとバンダリアが、そしてあくる日の21日には、ペリー提督が乗っている旗艦ポーハタンとミシシッピーの巨艦2隻が入港。最後の1隻、マセドニアンは、米水兵達の食料を調達する為、小笠原まで行ってウミガメ70匹と大鯨2頭を獲ってきたので、すこし遅れて4月5日に入港。もちろん、鯨は鯨油を採るため。
きっと下田の人々は、鯨はまだしも、かわいいウミガメを食べる米国人を野蛮人と思ったに違いない。

この歴史の港町下田には、川端康成をはじめとして多くの文豪が訪れている。そんな下田の町を海沿いに走りぬけ、地図から消えてしまうような山に続く細いくねくね道を畑に沿って登っていくとショップがある。ショップの裏手には小川があるらしいのだが、まだそこまでは行き着いていない。きっと、夏には満天の星空の下、無数の蛍が飛び交っているのだろう。そんなロケーションにショップがある。まさにスローライフを満喫できるような場所だ。

”「ああ、お月様。――あしたは下田、うれしいな。赤んぼうの四十九日をして、おっかさんにくしを買ってもらって、それからいろんなことがありますのよ。活動へ連れて行ってくださいましね」”(川端康成、伊豆の踊り子より)

・・・・・・雲を見に連れて行ってくださいましね。
下田のショップから、西伊豆ダイビングポイントの雲見まで車で40分。雲見の込み具合によって出発時間は変わるものの、だいたいは8時前後に乗用ワゴンあるいはダブルキャブトラックに分乗してショップを出発する。
この日のダブルキャブトラックは、岩手県仙台市出身(!?ww)というイントラのトシくんの運転。(彼はこの10月の連休明けにプーケットにあるダイブアジアに派遣されて行った。)
アップダウンの多い国道136号線。うっそうと木が生い茂る山道が続く。トシくんが我々ゲストに気を使って、「なにか聞きたいテープありますか?」と聞いてくる。
そう、このダブルキャブトラックのコンソールには、カーオーディオとして音楽カセットテープを聞けるという装備が付いているのだ。このアナログのオーディオ装備。もはや、入手困難かもしれない。
さて、カセットがいっぱい詰まったボックスから、ケースにハワイアンジャズと書かれているカセットテープを選び、再生。おもむろにホイットニー・ヒューストンの「I Will Always Love You」が流れてくる。1992年、日本で人気のケビン・コスナーとこの映画が初出演となったW・ヒューストンのサスペンス・タッチのラブストーリー、THE BODYGUARDの主題歌でヒットした曲だ。・・・・・・どうやら、カセットケースとテープの中身はごちゃごちゃになっているのかもしれない。
次に流れてきたのが、ロバータフラックの「やさしく歌って」。昔ネスカフェのCMに使われていたやつ。
tetujinが大学のころ聞いていた曲だから、もう大昔の曲なのだが、乗り合わせたゲストともども、みんな懐かしがって聞いている。
このカセット作ったのは誰なんだろう。そして、こんな懐メロをリアルタイムで聞いていたというゲストたちって・・・・・・。
なぜか、比較的、平均年齢の若い西伊豆のダイバーたちに混ざって、異様に濃いキャラが乗り合わせたダブルキャブトラックだった。

”道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思うころ、雨足が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追って来た。”(川端康成、伊豆の踊り子より)

さて、下田ダイバーズ。ここの経営は、有限会社 羅針盤(代表者 増田和昌氏)による。 創立は1998年12月22日。 2002年6月に下田ダイバーズを下田市内の旧クラブハウスから増田氏所有のペンションへ移転したらしい。それまでは、ダイビングの前夜は、旧クラブハウスでスタッフとゲストが雑魚寝していたというから、うらやましい。
きっと、夜な夜なダイビング談義で盛り上がっていたのだろう。
現在のペンションは、まるでオーナーの増田和昌氏(カズさん)の宝箱のような、彼の独特のインテリアセンスで満ちている。そこらじゅうに、バリの木彫りレリーフや置物があるかと思えば、談話室を兼ねている食堂にはアップライトピアノが置かれ、大物JAZZミュージシャンの写真が飾られている。もちろん、BGMはコンテンポラリージャズやスムースジャズJAZZ。カズさんは、その昔、海外大物JAZZミュージシャンのプロモーターもやったことがあるらしい。
また、食堂の片隅には、ハーフサイズのショートボード。このボードだけで、ひとつの小説が書けそうな、そんな雰囲気のボードがディスプレイされている。
ピアノにサーフボード。ひと目で引き付けられる潮焼けしたカズさんの笑顔と合わせて、彼の過去の多くは謎だらけだ。
いつか聞いてみたいと思っているのだが、ヘタレなtetujinはいまだできないでいる。なにしろ、彼はスケールがデカすぎて過去を聞くのが恐い。



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